民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「まんが日本昔ばなし」 市原 悦子

2014年03月29日 00時22分08秒 | 日本語について
 「ひとりごと」 市原 悦子 著  春秋社 2001年 

 「まんが日本昔ばなし」 P-133

 前略

 それから、人間ってすごくちっぽけだっていうこおとぉ、やるたびに思い知らされました。
「ほんとにちっぽけだ、人生は点でしかない」ということを。
どんなに素直になっても、いいことは起こらない。努力しても実らない。
理不尽なことがどんどん起こる。
でも、それでもこつこつ生きていくのが人間なんだということを、また深く思い知らされるという。
そこが不思議な魅力でした。

 何をやっても大したことはない。
「どうせだめなんだから、飲んだくれて、どうこうしちゃえ」とか。
「いいや、もう人生なんて」といってしまえばそれまで。
やはり、大きなもののなかで生かされていく、それが人間なのだと。

 中略

 やまんば(山姥)は、どういうふうにって?
やまんばはすっごく大胆で、怖いものがなくて。そして小さい虫もかわいがってね。
そういうイメージが湧き出るんです。
髪の毛がザァーッと長くて、オッパイはダラーッとして、プワーッと大きなからだでね。

 自分に暗示をかけるのね。
そして声の出し方なんていうんじゃないんです。
それこそからだの中のほうから、何かが出てくる。
創造力が、絵によって誘因されて触発されて、もう声が出てるのね。

 中略

 それから、昔の言葉をわかりにくいから、いまふうに直そうとか、そういうこともしなかった。
「わからなかったら、おばあちゃんに聞けばいいや」って。
それはそれで、よかったと思います。

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