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「大放言」 その26 百田尚樹

2017年11月13日 00時16分48秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その26 百田尚樹  新潮新書 2015年

 好きなことは金を払ってするもの P-53 

 前略

 私の亡くなった父は大正13年生まれだが、家が貧しかったため、高等小学校を卒業してすぐに働きに出た。当時の仕事がどんなものだったか聞き忘れたが、好きなことなんか仕事にできなかったのは間違いない。父は働きながら夜間中学を出たが、20歳の時に徴兵で軍隊に入った。戦後、いろいろな職を転々とし、30歳くらいのときに大阪市の水道局の臨時職員になった。その頃、結婚して私が生まれた。

 父はやがて正職員になれたが、配置されたのは漏水課というところだ。どういう仕事かといえば、一日中、大阪市内を歩き回り、破れた水道管を直すというものだ。昔は大阪市内の道路もほとんどは舗装されていなくて、晴れた日に道が濡れていると、地中の水道管が破れているという印だった。そういう場所を見つけては、道路をツルハシとシャベルで掘り返して、水道管を修理するのだ。父は定年まで、夏の炎天下、ヒュの木枯らしの中で、そういう仕事をして、私たちを養ってくれた。
 
 こんな仕事がふつうに考えて楽しいとは思えない。きっと辛かったと思う。けれど父は私たち家族の前では、一言も仕事の愚痴をこぼさなかった。別に父が格別に立派とも思わない。当時は父と同じように、しんどい仕事を黙々とやり続けた男たちがたくさんいたからだ。

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