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「好奇心再燃」 マイ・エッセイ 23

2016年09月03日 00時10分22秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   好奇心再燃  

 去年の暮れ、『ローマの休日』のスチール写真が載っているチラシが目に入った。オードリー・ヘップバーン演じるアン王女が愛らしく、今でもオイラの一番好きな映画になっている。
 手に取って見ると、「映画で学ぶ英会話」の受講生募集案内だった。一月から三月の木曜午前中、全十回、主催は国際交流協会。予定はない。歩いたって十分とかからないところにある。ここで見つけたのも、なにかの縁かもしれないと、かすかなためらいはあったけれど、受講することにした。
 英語とは浅からぬ縁がある。高校のとき、学校の先生になろうと決心して、選んだ科目が英語だった。成績が一番よかったからだ。英文科に進み、六年間在籍したが、夢かなわず中退した。田舎に戻って会社員になってからは、英語とはまったく無縁の生活になった。
 子育てに追われていた三十五歳のころ、レンタル・ビデオ店が出始めた。そのおかげで、前に見損なった映画、もう一度見たい映画、新らしい映画が手軽に家で観られるようになって、仕事のストレス解消という名目のもと、毎日のように借りてきた洋画のビデオに耽った。そのうち字幕を見ないで観たくなり、手当たり次第に英語のハウツー本を買ってきては、英語を攻略しようとした。
 いろいろな英語学習法を模索し、試していた。特に集中して研究したのは、イギリスのオグデンが英語を母国語としない人のために考案した『ベーシック・イングリッシュ』、単語を厳選した八百五十語しか使わない英語だった。
 夜、ひとりになると英語の学習を黙々とやった。孤独で地道な作業だったが、性に合っていたのだろう、つらいと思ったことはなかった。毎日、いくつかでも例文を覚え、英語に近づいていってる実感は、じゅうぶんに知的満足を与えてくれた。
「英語を学ぶのには英語のポルノ小説を読むのが一番」、そんなことを真に受けてチャレンジしたこともある。最初はちんぷんかんぷんだったが、それでも諦めないでしつこく続けて、ようやく劣情を催したときは、やっと到達した感激と、二つの意味で興奮した。
 オイラはバンカラを標榜していたから、こちらから女性に声をかけることは潔しとしない。
しかし、たった一度、社員旅行でサイパンに行ったとき、みやげ店でショッピングをしている韓国人とおぼしき素敵な女性に一目ぼれして、思い切って話しかけたことがある。英語が通じなかったのか、お国柄でシャイだったのか、オイラがタイプじゃなかったのか、最初にして最後のナンパは失敗に終わってしまった。いくら日本を離れた解放感があったにしても、われながら初めての大胆さに驚いた。
 そんなことを懐かしく思い出す。英語への没頭は、四十五歳で囲碁に出会い、夢中になるまで、十年間続いた。それから英語はピッタリやめて、二十数年が経った。ときどきふり返って、あの英語に熱中した十年間はなんだったんだろうと問いかけることがある。
 膨大な金と時間を費やした。買い込んだ大量の本はずいぶん前に処分して、痕跡をとどめるものは残っていない。いまの生活に英語が役に立っているとはどうしても思えないから、三十五歳から四十五歳の一番エネルギーがあった時代に、もしかしてムダな時間を費やしたんじゃないだろうか、というモヤモヤ感を打ち消せないでいる。
 それなのに、このたび、英会話の講座を受けて英語熱が再燃し、また英語の本を買おうとしている。

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