民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「フツーに死ぬ」 佐野洋子

2013年12月12日 00時13分34秒 | エッセイ(模範)
 「神も仏もありませぬ」 エッセイ集  佐野 洋子 著 筑摩書房 2003年

 「フツーに死ぬ」 P-48

 前略

 本当にあと一週間なのか。もしかしたら、今そのまんま死んでしまっても不思議はないのか。
苦しいのか。痛いのか。ガンだガンだと大さわぎしないで、ただじっと静かにしている。
 畜生とは何と偉いものだろう。
 時々そっと目を開くと、遠く孤独な目をして、またそっと目を閉じる。
 静かな諦念がその目にあった。
 人間は何とみっともないものなのだろう。
 じっと動かないフネ(佐野さんの飼っている猫の名前)を見ていると、厳粛な気持ちになり、
九キロのタヌキ猫を私は尊敬せずにいられなかった。

 中略

 フネは部屋の隅にいた。クエッと変な声がした。ふり返ると少し足を動かしている。
ああ、びっくりした、死んだかと思ったよ。
二秒もたたないうちに、またクエッと声がして、フネは死んだ。
全然びっくりしなかった。

 私は毎日フネを見て、見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べた。
ほとんど一日中見ているから、一日中人間の死に方を考えた。考えるたびに粛然とした。
私はこの小さな畜生に劣る。
この小さな生き物の、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。
その静粛さの前に恥じた。私がフネだったら、わめいてうめいて、その苦痛をのろうに違いなかった。

 私はフネの様に死にたいと思った。人間は月まで出かける事が出来ても、フネの様には死ねない。
月まで出かけるからフネの様には死ねない。フネはフツーに死んだ。
 太古の昔、人はもしかしたらフネの様に、フネの様な目をして、フツーに死んだのかも知れない。
「うちの猫死んだ」とアライさんに報告したら、「そうかね」とアライさんはフツーの声で云った。
 


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (ばばちゃん)
2013-12-13 11:18:57
良いお話ですね。夫の最後の時を思い出しました。
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REはじめまして (akira)
2013-12-13 12:48:51
人間は畜生に劣る。
そうかも知れませんね。
少なくとも死に関しては。
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わおっ! (akira)
2013-12-13 12:51:30
コメントしたときの四桁の数字入力が8888だった。
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