民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「日本と西洋の大道芸」 大野 桂

2013年04月14日 00時57分07秒 | 大道芸
 「大道芸・寄席芸」 日本の伝統芸能 7 大野 桂

 <和ものの大道芸

 日本と西洋の大道芸には、その歴史からみて大きな違いがあります。

 西洋の大道芸は、芸そのものを大道で演じるものですが、日本の大道芸のほとんどは、
薬やあめなどを売るのが主な目的で、そのためにお客を集め、お客に買う気をおこさせようと、
あの手この手でおもしろいことを演じました。

 一方、芸そのものをみせて、見物料をもらう大道芸もあります。

 この両方をふくめ、日本にむかしからある伝統的大道芸を「和もの」といいます。

 それに対して、サーカスなど西洋の芸から入ってきた洋風の大道芸を「洋もの」といいます。

 <洋ものの大道芸

 大道芸の特徴のひとつは、大道で演じる場合、終わってから見ているお客がお金を出すことです。
そのお金を「投げ銭」とか「放り銭」とかいいますが、これは出すも出さないもお客の自由です。
すばらしい芸だと感激したら、財布ごと投げ出しても、かまいません。

 日本の大道芸は、口上(物売りのための言い立て)の中で、
「投げ銭、放り銭はおことわりだ」などと言います。
これは、売るのは品物であって、芸ではない、という姿勢なのでしょう。
物を売らずに、芸だけを見せる人たちは、投げ銭を受けていたわけです。

 西洋の大道芸では、終わったあとに、帽子をもってお客の前をぐるりとまわります。
投げ銭を受け取ることに遠慮はしません。

 居合抜きを見せる柳亭風枝さんの話によると、
日本の大道芸人が投げ銭を受け取る正式な型は、芸人自身はじっと動かずにいて、
目の前の「銭受け」に、お客の方からやってきて、お金を入れるのを待つのだそうです。
自分の方から金集めをするのではなく、
いい芸ならお客の方から来てお金を入れてくれるはずだというわけで、
いかにも日本的な厳しさが感じられます。

 その点、お客を笑わせながら帽子で金集めをする西洋人は、
金集めそのものをパフォーマンスの中に入れてしまうのですから、
おおらかなサービス精神にあふれています。

「大道芸の流れ」 大野 桂

2013年04月12日 00時07分30秒 | 大道芸
 「大道芸・寄席芸」 日本の伝統芸能 7 所載  大野 桂

 <大道芸の流れ>

 大道芸は日本の伝統芸能の原点です。
 大道芸の源(みなもと)は、奈良時代に中国から日本へ伝来してきた「散楽(さんがく)」です。
散楽は、曲芸、奇術などの雑芸で、能や歌舞伎のルーツといわれます。

 散楽の流れは、平安時代には田楽(でんがく)に伝わり、
室町時代、放下師(ほうかし)という人々が曲芸や曲技を演じました。

 江戸時代に入ると、江戸、大阪、京都の三都で、都市文化がすすみ、路上に人があふれ、
大道芸の最盛期をむかえ、三百種もの演目があったといわれます。

 そのうち、おもなものは、万歳、猿廻し、獅子舞、太神楽、人形まわし、太平記読み、ひとり相撲、
居合抜き、曲ごま、曲まり、軽業(綱渡り、篭抜け、はしごのり、など)と数えきれません。

 大道芸は、大きく分けると、「門付け芸」と「見世物芸」の二種類があります。

 門付け芸は、家々の門口に立って、その家の繁栄を祝い、
悪いことがおこらぬように厄払い(悪魔ばらい)のための芸を演じて、お礼をもらうものです。
万歳や獅子舞、太神楽がその代表です。

 見世物芸は、神社の境内や盛り場といった、人の集まる場所の露天や仮小屋で芸を見せるものです。

 見世物芸のなかには、薬や歯磨き、飴(あめ)などを売るのが目的で
大道香具師(やし)(露天商)が演じる芸(居合抜き、曲ごま、曲まり)もふくまれます。

 見世物芸が盛んだったのは、江戸では上野山下、浅草奥山、両国、広小路でした。

 大道芸は、ほとんどすべての芸能の源(みなもと)となりましたが、
屋内の寄席や劇場で演じる芸能にくらべて、当時は社会的にあまり高く見られませんでした。

 江戸時代の終わりから明治時代にかけては、大道芸の世界で、
珍獣や異形(いぎょう)の人間の見世物、のぞきからくりなどが人気を集め、
また屋外で音楽や歌を聞かせる新内流し、演歌師も新しく登場、
のちに出てくる流しのギター弾きも大道芸といえるでしょう。

 大衆に人気のあった大道芸も、明治以後、日本が近代化してゆくにつれて勢いを失い、
芸能の中心は劇場に移っていきました。
さらに、第二次大戦後は、テレビをはじめ新しい娯楽が生まれ、また都市の道路も規制され、
大道芸はおとろえました。

 しかし、近年になって、伝統文化の見直しの動きと、国際的な大道芸復興のもりあがりで、
大道芸がふたたび活性化してきました。

 

「奥の細道」序文  松尾 芭蕉

2013年04月10日 00時32分51秒 | 名文(規範)
 「奥の細道」序文  松尾 芭蕉

 月日は 百代(はくたい)の過客(かかく・かきゃく)にして、
行かふ(ゆきこう)年も 又 旅人也(なり)。
舟の上に 生涯をうかべ、馬の口とらえて 老をむかふる物は、
日々 旅にして 旅を栖(すみか)とす。
古人も 多く 旅に 死せるあり。
予(よ)も いづれの年よりか、片雲(へんうん)の風に さそはれて、漂泊の思ひ やまず、
海浜(かいひん)に さすらへ(い)、
去年(こぞ)の秋 江上(こうしょう)の破屋(はおく)に 蜘(くも)の古巣をはらひて、
やゝ 年も暮、春立(たて)る霞(かすみ)の空に 白川(河)の関 こえんと、
そゞろ神(がみ)の 物につきて 心をくるはせ、
道祖神(どうそじん)の まねきにあひて、取(とる)もの 手につかず。
もゝ引の 破(やぶれ)をつゞり、笠の緒 付(つけ)かえて、三里に灸(きゅう)すゆるより、
松島の月 先(まず)心に かゝりて、
住(すめ)る方は 人に譲り、杉風(さんぷう)が 別墅(べっしょ)に移るに、

 草の戸も 住替(すみかわ)る代(よ)ぞ ひなの家

面(おもて)八句(はちく)を 庵(あん)の柱に 懸置(かけおく)。


 「奥の細道」序文 口語訳

月日は 二度と還らぬ 旅人であり、行きかう年も また同じ。
船頭として 舟の上で 人生を過ごす人、馬子として 愛馬と共に 老いていく人、
かれらは 毎日が 旅であり、旅が 住まいなのだ。
かの西行法師や宗祇、杜甫や李白など、古の文人・墨客も、その多くは 旅において死んだ。
私もいつの頃からか、一片のちぎれ雲が 風に流れていくのを 見るにつけても、
旅への想いが 募るようになってきた。
『笈の小文』の旅では 海辺を歩き、ひきつづき『更科紀行』では信濃路を旅し、
江戸深川の 古い庵に 戻ってきたのは たった去年の 秋のこと。
いま、新しい年を迎え、春霞の空の下、白河の関を越えよと そそる神に誘われて 心は乱れ、
道祖神にも取り付かれて 手舞い 足踊る 始末。
股引の破れを つづり、旅笠の紐を 付け替えて、三里に 灸を すえてみれば、
旅の準備は 整って、松島の月が 脳裡に浮かぶ。
長旅となることを思って 草庵も 人に譲り、杉風の別宅に身 を寄せて、

 草の戸も 住替る代ぞ ひなの家

 これを発句として、初折の八句を 庵の柱に 掛けて置いた。

「汚れっちまった悲しみに」 中原 中也

2013年04月08日 01時50分22秒 | 名文(規範)
 「汚れっちまった悲しみに」  『山羊の歌』より  中原中也

 汚れっちまった 悲しみに
今日も 小雪の 降りかかる

 汚れっちまった 悲しみに
今日も 風さえ 吹きすぎる

 汚れっちまった 悲しみは
たとえば 狐の 革裘(かわごろも)

 汚れっちまった 悲しみは
小雪の かかって ちぢこまる

 汚れっちまった 悲しみは
なにのぞむなく ねがうなく

 汚れっちまった 悲しみは
懈怠(けだい)のうちに 死を夢む

 汚れっちまった 悲しみに
いたいたしくも 怖気(おじけ)づき

 汚れっちまった 悲しみに
なすところもなく 日は暮れる……

「あなたはだんだんきれいになる」 高村 光太郎

2013年04月06日 00時42分04秒 | 名文(規範)
 「あなたはだんだんきれいになる」 高村 光太郎

 を(お)んなが 付属品を だんだん棄(す)てると
どうして こんなに きれいになるのか。

 年で洗われた あなたのからだは
無辺際(むへんさい)を飛ぶ 天の金属。

 見えも外聞も てんで 歯のたたない
中身ばかりの 清冽な 生きものが
生きて動いて さつさつと 意慾(いよく)する。

 を(お)んなが を(お)んなを 取りもどすのは
か(こ)うした 世紀の修行によるのか。

 あなたが 黙って 立ってゐ(い)ると
まことに 神の造りしものだ。

 時々 内心 おどろくほど
あなたは だんだん きれいになる