民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「思考のレッスン」 その4 丸谷 才一

2017年03月21日 02時00分42秒 | 文章読本(作法)
 「思考のレッスン」 その4 丸谷 才一 文藝春秋 1999年

 「書き出しから結びまで」 その2 P-272

 まず出だしの所。
 「挨拶は不要である。いきなり用件に入れ」

 (中略)

 われわれは、村落共同体のなかに何千年も生きてきて、言葉を使うことはお辞儀をしたりお茶を勧めたりすることによく似ている、と思ってしまった。中身のない挨拶をすることが言葉を使うことだと思いこんでしまった。この思い込みが日本語の文章の敵なんです。お愛想ではなく、中身を語ること、中身を相手に伝えることが文章の目的なんです。

 プロの文筆業者が書いている随筆でも、「のっけから私事で恐縮だが・・・」といった挨拶で始まるものがけっこうある。恐縮なんかする必要はない。私事であっても、必要だと思ったら書けばいい。こういう前置きがあると、もう読むのがいやになってしまうんですね。
 書くべき内容がないから挨拶を書く。挨拶はダメだという基本の文章心得を知らないから書く。「挨拶は書かない」、これを現代日本人の文章心得にすべきなんです。

 (中略)

 次は、少し高等技術です。書き出しを考えるときに、他の人ならどう書くかなあ、何の話から始めるかなあと考える。その上で、他の人がやりそうなものは全部捨てるんです。

 じゃあ、嫌気をささせないためにはどうすればいいか。それは紋切り型をよすことです。で、その紋切り型の書き出しの最たるものが、さっきの挨拶なんですね。

「思考のレッスン」 その3 丸谷 才一 

2017年03月19日 00時03分10秒 | 文章読本(作法)
 「思考のレッスン」 その3 丸谷 才一 文藝春秋 1999年

 「書き出しから結びまで」 その1 P-271

 丸谷 文章で一番大事なことは何か?それは最後まで読ませるということです。当たり前のようだけど、これがむずかしい。

 (中略)

 だから、文章で一番大事なことは、とにかく最後まで読ませることなんです。憤慨しながらだって、最後まで読むことになれば、ある意味で及第点なんです。

 「文章の最低の資格は、最後まで読ませることである」
 これを強調しておきたい。

 さあ、ではそのためには、どうすればいいか?
 アリストテレスの『詩学』にならって、書き出し、半ば、結びのそれぞれについて考えて行きましょう。


「思考のレッスン」 その2 丸谷 才一

2017年03月17日 00時26分29秒 | 文章読本(作法)
 「思考のレッスン」 その2 丸谷 才一 文藝春秋 1999年

 「レトリックの大切さ」 P-262

 丸谷 今回はものを書く上での心構えから始めましょう。
 当たり前ですが、ものを書くというのは、何か言いたいことがあるから書くわけですね。そのせいで、つい自分の思いのたけをひたむきに述べる、訴えるという書き方になりがちです。でも、どうもこういう書き方はあまりうまくいかない。

 趣味の問題かもしれないけれど、僕はむしろ「対話的な気持ちで書く」というのが書き方のコツだと思う。自分の内部に甲乙二人がいて、その両者がいろんなことを語りあう。ああでもない、こうでもないと議論をして、考えを深めたり新しい発見をしたりする。そういう気持ちで考えた上で、文章にまとめるとうまく行くような気がします。


「思考のレッスン」 その1 丸谷 才一

2017年03月15日 00時08分12秒 | 文章読本(作法)
 「思考のレッスン」 その1 丸谷 才一 文藝春秋 1999年

 「文章は頭の中で完成させよう」  P-240

 「ものを書くときには、頭の中でセンテンスの最初から最後のマルのところまでつくれ。つくり終わってから、それを一気に書け。それから次のセンテンスにかかれ。それを続けていけ。そうすれば早いし、いい文章ができる」 

 センテンス途中で休んで「えーと・・・」なんて考えて、また書きだす人がいるでしょう。あれはダメ。とにかく、頭の中でワン・センテンスを完成させた上で、文字にせよ、ということなんです。

 具体的に言うと、
 「親譲りの無鉄砲で子供のときから損ばかりしているマル」
 という文章を頭の中でつくる。頭の中ででき上がったところで、初めてそれを文字にする。
 「親譲りの無鉄砲で」というところまで書いて、そこで休んで、「うーん、さてどうしようかなあ・・・・、『子供のときから』にしようか、『五つ、六つのときから』にしようか」などと考えてはならない。「『損ばかりして』か『損をしてばかり』か・・・」と迷ってはいけない。

 そういったことを考えるのが文章の工夫だと思っている人がいるけれども、あれは間違いです。単なる時間の浪費にすぎない(笑)推敲したければ、書いてしまった上で推敲すればいいんですね。とにかくワン・センテンスを頭の中で全部つくってしまってから、それを文字にせよ。


『仮名手本忠臣蔵』

2017年03月13日 00時02分21秒 | 伝統芸能(歌舞伎など)
『仮名手本忠臣蔵』は、以下の文章を以って始まる。


嘉肴(かかう)有りといへども食せざれば其の味はひをしらずとは。国治まってよき武士の忠も武勇もかくるゝに。たとへば星の昼見へず夜は乱れて顕はるゝ。例(ためし)を爰(ここ)に仮名書きの太平の代の。政(まつりごと)…

どんなにおいしいといわれるご馳走でも、実際に口にしなければそのおいしさはわからない。平和な世の中では立派な武士の忠義も武勇もこれと同じで、それらは話に聞くだけで実際に目にすることが無くなってしまうのである。だがそんな世の中でも、立派な忠義の武士は必ずいる。それはたとえば、星は昼には見えないが夜になれば空にたくさん現われるのと同じように、普段は見えなくても忠義の武士は、あるべきところには確かに存在するのだ。そんな武士たちの話をわかり易いように仮名書きにして、これから説明することにしよう…という大意で、要するにこれから「忠」も「武勇」も備わった「よき武士」である「赤穂浪士」たちのことについて語ろうということである。