「葬式は、要らない」 その2 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年
葬式無用の主張 その1 P-22
白洲は大の車好きで、大正時代、イギリス留学時には、高級スポーツカー、ベントレーを乗り回した。そこにはモダンでスマートだった白洲の生き方が示されている。
その白洲が死の五年前に残した言葉が、
「一、葬式無用
一、戒名不用」
であった。
これが彼の遺言のすべてで、生前の白洲は、知りもしない人間が義理で葬式に来るのを嫌い、正子夫人には「葬式をしたら化けて出るぞ」と脅かしていたという。
無駄なことはしないという白洲の合理主義は、留学先のイギリスで培われたもので、彼は宗教も嫌った。結婚式も、神社ではあげず、京都のホテルに親族を20人ほど集めて行った。
白洲の葬儀は、遺言どおり遺族が集まって酒盛りをしただけだった。正子夫人が亡くなった際も葬式や告別式は行われなかった。
葬式無用の主張 その1 P-22
白洲は大の車好きで、大正時代、イギリス留学時には、高級スポーツカー、ベントレーを乗り回した。そこにはモダンでスマートだった白洲の生き方が示されている。
その白洲が死の五年前に残した言葉が、
「一、葬式無用
一、戒名不用」
であった。
これが彼の遺言のすべてで、生前の白洲は、知りもしない人間が義理で葬式に来るのを嫌い、正子夫人には「葬式をしたら化けて出るぞ」と脅かしていたという。
無駄なことはしないという白洲の合理主義は、留学先のイギリスで培われたもので、彼は宗教も嫌った。結婚式も、神社ではあげず、京都のホテルに親族を20人ほど集めて行った。
白洲の葬儀は、遺言どおり遺族が集まって酒盛りをしただけだった。正子夫人が亡くなった際も葬式や告別式は行われなかった。