民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

5、6年ぶりに散歩に行った

2021年09月19日 22時33分57秒 | 身辺雑記
9月19日(日)
いつものように窓を全開にして部屋で作業をしていた。
3時ごろ、なんだか今日は暑いなと温度計を見ると32度を指している。
ずっと30度以下の過ごしやすい日々だった。
温度を見たら急にグッタリしてきた。
なんで今まで気が付かなかったんだろう。

エアコンをつけようか迷っていると、
出入り口にもう半年以上ほったらかしになっているインスタントラーメンが目に入った。
賞味期限が大幅に切れていて、そのうち田川に散歩に行ってカモの餌にでもしようとしていたヤツだ。
さすがにこんなに部屋にこもりっきりじゃまずいだろう。
「ひさしぶりに散歩でも行くか」
100均で買いたいものもある。
(いつも行くスーパーの一角にダイソーがある)

インスタントラーメンを一袋持って散歩にでかけた。
散歩をするなんて5,6年ぶりだ。
思ったより強い日差しに、なんでこんな日にと後戻りしたい気持ちを振り切る。
田川沿いを歩いていると、川の流れに勢いがある。
そうか、昨日台風が過ぎたんだ。
カモも鯉もいそうにない。
土手とトロンボに半分ずつラーメンをちぎって投げた。

店の近くまで来て右の股関節が痛み出したけど、
ガマンして店まで行くことができた。
ダイソーに来るのも久しぶり、
なんか気になるモノはないかと、じっくり1時間ほど店を見て回った。
歩いてきたので大きなモノは買えない。
7点ほど買ったけど、衝動買いしたのは一点だけ、
ほかはみんな買いたかったモノばかり。

2時間くらい歩いたのに、帰りは足も痛くならず、
いくらか落ちかけていた体力に自信を取り戻した。
ラーメンはまだ2袋残っている。
またアレを持って散歩に行こう。
今度はカモに会えるといいな。


エッセイの会員がひとり退会することになった

2021年09月17日 22時53分10秒 | 身辺雑記
9月17日(金)
エッセイの締め切りが25日と迫ってきているけれど、
まだなにを書こうか決まっていない。
外出することがほとんどないからアクシデントに遭遇することも少ない。

エッセイの合評会は第一金曜日だから、10月は1日になる。
緊急事態が明けたばかりの日だ。
いつも第一金曜日はエッセイの会と「うれかじ」がダブってしまう。
エッセイの会は月に一回、「うれかじ」は毎週あるので、
エッセイの会を優先している。
「うれかじ」からは10月1日から練習は開始すると連絡があったが、
エッセイの会からはまだなんの連絡もない。
休みということになれば書こうとする気力もダウンしてしまうだろうな。

今月初め、最初からのメンバー(男)が退会することになった。
これで4人いた男が3人になってしまった。
現在の名簿上の会員は19名。
そのうちエッセイの講座からのメンバーは6人になった。

講座で童謡・唱歌をギターで弾くことになった

2021年09月15日 22時26分54秒 | ギター日誌
9月15日(水)
合唱をやっている知り合いが全4回の講座の一コマに
「野口雨情と童謡」のテーマで講座を受け持つことになった。
持ち時間は一時間、合唱だけでは間が持たないというので、
ギターを弾いてくれないかと頼まれた。
与えられた時間は15分くらい。
「禁じられた遊び」でもいいと言うけど、
テーマからしてふさわしくないと思って、童謡、唱歌を弾くことにする。

その全4回の講座は過去に2回受講したことがある。
今度は受講する立場じゃなく、一応講師の立場になる。
リピーターが多い講座なので知った顔も多いに違いない。

講座があるのは10月4日(月)の午前中、その日は市民大学の講座があるけれど、
別に出席は絶対じゃないので引き受けた。
市民大学は5階、ギターを弾くのは6階、
掛け持ちも可能かもしれない。

アマゾンで平倉さんがアレンジ・演奏している「ギターで奏でる日本の抒情名曲集」を見つけて購入。
全部鉄弦で弾いているのが意外だったが、易しくもなく難しくもなく使えると判断。
昨日と今日で13曲をパソコンで楽譜を作成した。
選曲をどうしようと考えていて、割と四季がはっきりしている曲が多いことに気が付いて、
四季の曲をそれぞれ2曲ずつ弾くことにした。

春、「どこかで春が」「春の小川」
夏、「夏は来ぬ」「我は海の子」
秋、「里の秋」「紅葉(もみじ)」
冬、「ペチカ」「冬景色」

全部で8曲、みんな2分とかからない短い曲ばかり。
プリントしたので、明日から運指にとりかかるつもり。
弾ける見通しが立つまでは気が抜けないな。

戦争中止を望む  伊丹万作 エッセイ集より

2021年09月13日 23時43分39秒 | 身辺雑記
誰かがSNSにアップしていた文。
是非、多くの人に読んでほしいと思って、図書館で借りた。
ずっと気になっていたが、やっとタイピングすることができた。
発表の時期を調べたが判らない。
本土決戦がどうのとあるから戦争末期であることは間違いないだろう。
とてもそんな時期にこの文が公になったとは思えない。

伊丹万作は映画監督、伊丹十三のオヤジである。
名前くらいは知っていたが、詳しいことは何も知らなかった。

なお原文はすべてカタカナ書きである。
読みにくいと思ってひらがなに直した。

戦争中止を望む  伊丹万作 エッセイ集より 大江健三郎 編

 現在の日本の政治、軍事、生産ともに行き当たりバッタリであり、万事が無為無策の一語に尽きる。
 我々国民は、政府が勝利に対する強力なる意志と、周到なる計画性とその実行力とを示してくれるならばいかなる困苦にも堪え得るものであるが、現実においてあらゆる事態がその無計画無能力を暴露しているにもかかわらずただ口頭にのみにおいて空疎な強がりを宣伝し、不敗を呼号して国民を盲目的に引きずって行こうとする現状にはもはや愛想が尽きている。
 
 政府は二言目には国民の戦意をうんぬんするが、いままでのごとく敗けつづけ、しかもさらに将来に何の希望をも繋ぎ得ない戦局を見せつけられ、加うるに低劣無慙なる茶番政治を見せつけられ、なおそのうえに腐敗の極ほとんど崩壊の前夜ともいうべき官庁行政を見せつけられなおかつ戦意を失わないものがあればそれは馬鹿か気違いである。我々はもはや日本の能力の底まで知ることができた。もうたくさんである。こんな見込みの立たない愚劣な戦争は一日も早くやめてもらいたい。我々の忠勇の血をこれ以上無意味に浪費することをやめてもらいたい。我々の血は皇国の繁栄のためにのみ流さるべきである。現在のままでは国民の血が流れれば流れるほど国は滅亡に近づいて行くではないか。そしてもはや流すべき一滴の血もなくなったとき、光栄ある日本は地球上から消えてなくなるだろう。

 何のためか。すべての国民を失い、日本を滅ぼして何を得んとするのか。名誉?国が滅びてのち、名誉という語に何の意味があるか。彼らは必ず勝つという。しかしどこにその根拠がある。冷静に客観的に事態を注視せよ。我らには勝利に縁のある材料は何一つありはしない。理由もなく勝利を呼号するは単なるうぬぼれにすぎない。あるいは魯鈍に過ぎない。

 すべてを犠牲にして日本本土の存続をはかる時期は今をおいてはない。日は一日と状態を悪化せしめる。今ならばまだ外交工作の余地がある。明日になればそれももうどうなるかわからない。今ならば我方に多少の好条件を確保する可能性があるが、外交の手腕によってはボルネオくらいは残し得るかもしれない。しかし今年の後半期においてはそのようなことはすでに夢となっているだろうし第一もはや工作の余地そのものが皆無となっているに違いない。

 おそらく四月には敵は本土上陸を断行するだろう。しかも我はやすやすとそれを許すだろう。上陸されたら最後我には抵抗力はないものと断じてまちがいはない。これは過去のあらゆる戦績がこれを証明して余りあるところである。戦国時代のごとき斬込み戦法で三十や五十殺したところで近代兵器の殺傷力はそれを数十倍数百倍にして返すだろう。現代の戦争において近代兵器を持たない出血戦術などいうものが成り立つものかどうかは考えるまでもないことである。

 現在のままで戦争をつづけるかぎりすべては絶望である。唯一の道はいかなる条件にもせよ一旦戦争を終結させて、科学に基礎を置いた国力の充実を計り、三十年五十年後の機会を窺うこと以外にはあるまいと思う。科学を軽視した報いがいかなるものか。物力を軽蔑した結果がいかなるものか。民力、民富の発展を抑制した罰がいかなるものか。それらは教訓こそはこの戦争が日本に与えたあまりにも痛切な皮肉な贈り物というべきであろう。
 

ビートクラブ レギュラーライブ 2021 Vol.9

2021年09月11日 22時39分51秒 | ビートクラブレギュラーライブ
9月11日(土)
今日は第二土曜日、ビートクラブのレギュラーライブのある日。
9時20分に出かけて、予定時間通り、9時40分に演奏開始。
15分の演奏を終えて、zoomで観覧の仲間たちとあいさつして、
いま帰ったところ。
時計を見るとまだ10時15分。
いつもなら出番はこれからというところなのに。

篠笛の相方、つっちいが休みなのでギターソロで3曲弾いてきた。

1、旅の宿 吉田拓郎 1972年(昭和47年) 平倉信行 編
2、22才の別れ 風 1975年(昭和50年) 平倉信行 編
3、白い一日 作詞 小椋佳 作曲 井上陽水 平倉信行 編

3曲とも楽譜作成ソフトで作った楽譜を使った。
易しすぎてもの足りないところは、参考にできそうなヤツを探して、これはというのを取り入れた。
逆に難しいところは、音を取ったりして易しくした。
こんな作業ができるのもパソコンで楽譜が作れるようになったからだ。

演奏の出来は細かいミスはイヤというほどあるけど、
珍しく大きなミスはなかったかな。
いつもはステージでいきなり本番になるが、
今日は前の組が録画収録だったので、
音を出すことができた。
これができたのはおそらく初めてじゃないかな。

やはりライブが終わるとホッとする。
1週間前くらいになると、ほかになにかしたいことがあっても、
練習しなきゃの意識はずっとつきまとう。
さぁ、明日からその縛りから解放される。
さ、なにからやろうかな。