わが家の玄関先の庭先に夏椿が植わっている。私たち家族がこの地にやってきた時に植えられた木だ。当時は妻と3人の子供と私の5人でやってきた。私の知人が、記念樹を送りたいと言う。私は樹木については詳しくなかったので、妻に聞いたところ、「夏椿」というので決めた。その知人のいとこである植木屋さんに、支え木を添えてもらい、丁寧に植樹していただいた。
お蔭でそれ以来、毎年、清楚でかわいらしい花が咲いている。
やや下向きに咲く花
妻も私も特に宗教信者ではない。後で知ったが、夏椿を沙羅の木ともいう。お釈迦様が亡くなった時に近くに生えていた沙羅双樹という樹があり、仏教で聖木とされている。昔、僧侶がわが国にも沙羅双樹があるはずだといい、探したところ夏椿が沙羅双樹だということで、沙羅の木と呼ばれたそうだ。
沙羅の花は、咲き始めに気づきにくい。地面に落ちた花をみて、上を見上げると沙羅の花が咲いている。咲きだしたと認識する。朝開き夜には落ちてしまう1日花だ。
つぼみが真珠のようにきれいだ。
花が散った後は、このように実を結ぶ。
一年前の種がはじけ、残る黒く枯れたガク?
夏椿の幹肌のはがれた後がサルスベリのようにスベスベしている
こちらはサルスベリの幹肌
沙羅の花を見ると、50年近く前のことを思い出す。大学時代、ある研究会で、仏教に親しい他大学の学生が歌っていた歌だ。次のような歌詞だが、正確かどうか、私の覚えている部分だけかもしれないが、今もメローディー付きで思い出される。
「東の空に 瑠璃色の朝日と輝く 人ひとり・・・衆生済度の草枕 旅に出る」
そして、この歌のどこかにまたは、タイトル化の中に「沙羅双樹」という言葉が入っていたような気がするのだが? 或いは「平家物語」の一節と重なっているのか? 私の連想かも知れない。
研究会のメンバーの誰が歌い始めたのかは、思い出せない。確かなのは私が所属していた大学でないことは確かだ。同級生の多くはクリスチャンだったから。
この歌は、正に仏教の世界だ。。そして、歌詞は何となく、その後の私の人生に影響を与えてきたといえる。ただし、私は悟りを開く者ではなく、常に、「衆生」のひとりで、何かに突き当たった時に、この歌によって、徹頭徹尾一人になれる。そして、再び前に進める。そんな、不思議な爽やかな力が出てくる歌詞だと思う。
お蔭でそれ以来、毎年、清楚でかわいらしい花が咲いている。
やや下向きに咲く花
妻も私も特に宗教信者ではない。後で知ったが、夏椿を沙羅の木ともいう。お釈迦様が亡くなった時に近くに生えていた沙羅双樹という樹があり、仏教で聖木とされている。昔、僧侶がわが国にも沙羅双樹があるはずだといい、探したところ夏椿が沙羅双樹だということで、沙羅の木と呼ばれたそうだ。
沙羅の花は、咲き始めに気づきにくい。地面に落ちた花をみて、上を見上げると沙羅の花が咲いている。咲きだしたと認識する。朝開き夜には落ちてしまう1日花だ。
つぼみが真珠のようにきれいだ。
花が散った後は、このように実を結ぶ。
一年前の種がはじけ、残る黒く枯れたガク?
夏椿の幹肌のはがれた後がサルスベリのようにスベスベしている
こちらはサルスベリの幹肌
沙羅の花を見ると、50年近く前のことを思い出す。大学時代、ある研究会で、仏教に親しい他大学の学生が歌っていた歌だ。次のような歌詞だが、正確かどうか、私の覚えている部分だけかもしれないが、今もメローディー付きで思い出される。
「東の空に 瑠璃色の朝日と輝く 人ひとり・・・衆生済度の草枕 旅に出る」
そして、この歌のどこかにまたは、タイトル化の中に「沙羅双樹」という言葉が入っていたような気がするのだが? 或いは「平家物語」の一節と重なっているのか? 私の連想かも知れない。
研究会のメンバーの誰が歌い始めたのかは、思い出せない。確かなのは私が所属していた大学でないことは確かだ。同級生の多くはクリスチャンだったから。
この歌は、正に仏教の世界だ。。そして、歌詞は何となく、その後の私の人生に影響を与えてきたといえる。ただし、私は悟りを開く者ではなく、常に、「衆生」のひとりで、何かに突き当たった時に、この歌によって、徹頭徹尾一人になれる。そして、再び前に進める。そんな、不思議な爽やかな力が出てくる歌詞だと思う。