標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

「運動会をやるようになった理由」:危うさを含んでいたのかな?!

2018-10-13 20:02:02 | 日記
今週のNHK「チコちゃんに叱られる!」で、「運動会をやるようになった理由」という出題をについての説明があった。
日本で最初に行われた運動会は、海軍兵学寮で行われた競闘遊戯会だという。当時、海軍兵学校は座学が中心であった。そのため、座学だけではやがて学生がグレてしまう。イギリス人のアドバイスがあり、校外での行事を行うようになった。その後、初代文部大臣・森有礼が体育の集団訓練を薦めるため学校で運動会を行うようになったという。

私の思い出にあるのは小学校の運動会だ。走馬灯のように、小間切れのシーンが浮かんでくる。
まず、青空を背景になびく万国旗。何故か学校の門を挟んで、道路には露店が並んでいた。カーバイトの匂いが懐かしい。ライン引きで描かれた石灰の白線。昼休憩には、トラックの外に敷かれた筵(むしろ:藁(わら)で編んだ敷物)に座り、家族で弁当を食べた。確か、わが家のメニューは母が作った稲荷ずしが定番だった。

入場行進から始まり、トラックの内側に整列し、校長先生や来賓の挨拶、準備体操。紅白合戦や学年別の競技。玉入れ、障害物競走、騎馬戦、組体操などが思い出に残る。徒競走もあったが、私は常にビリ(最下位)かせいぜいその前だったので、良い思いがない。閉会式は、だるい体で入退場門に集合し、開会式と同じように整列し、来賓の挨拶こそなかったが、赤白の点数発表、講評、整理体操、あいさつなどだ。長かった。

先日観覧した小学校の運動会も競技内容や昼食の給食以外の進行などは、昔とあまり変わらない。
昔は小学校の行事というより、子供も大人も村民あげての一大行事だったのだ。

しかし、チコちゃんの「海軍兵学寮で行われた競闘遊戯会」が始まりだったと聞いた時、私の胸騒ぎが始まった。「大日本帝国」をイメージした。早速、ネットで運動会のことを調べた。
近代日本独特の体育行事でり、「国威発揚」「富国強兵」「健康増進」を目的として明治末期から社会的に広く普及とあった。NHKの放送は、(5歳のチコちゃん故か?)このような内容は語っていない。

韓国、北朝鮮、台湾や中国東北部の学校にも日本の統治時代の名残で運動会が存在しているとのこと。
しかし、韓国では、近年、「日帝残滓」として、運動会を廃止する動きがあるようだ。

戦後、国内では学習指導要領における「特別活動」にあたり、学校行事としての「健康安全・体育的行事」に位置づけられ、児童生徒の自主的参加により催される。その目的は、連帯感・協力・調和・団結力などを養う点にあるとされている。

しかし、今回、改造内閣の文科大臣は、「・・・教育勅語については、アレンジした形で今の道徳などに使える分野は十分にある・・・」と発言した。
運動会が、「国威発揚」「富国強兵」に使われるなど、発足当時に戻らなければよいのだが?
コメント
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