標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

サウジアラビアの記者殺害事件に思う。「権力の行使」は庶民のためにあって欲しいと。

2018-10-25 21:01:30 | 日記
サウジアラビア政府を批判していた記者がトルコ・イスタンブールのサウジ総領事館で殺害されるとの事件が起きた。当初、総領事館の中で殺害されたことをサウジアラビアは否定していたが、音声や映像などの一部が公開され、一転して、「殴り合いから死亡した」と偶発的な出来事だったと認めることになった。トルコの大統領、サウジアラビアの皇太子、アメリカ大統領などの、キーパーソンらがそれぞれの立場で見解を述べている。

事件の真相は、解明されずどこかで幕引きを図るのか、それとも今後解明されるのか、各国の権力によって綱引きが続きそうだ。いつものように米大統領は、強引な持論を展開するのかと思いきや、今回は風見鶏的な発言をしている。石油、イスラムなどいくつかのキーワードが関わり各国の思惑は複雑だ。日本にも影響があるが、わが国は米国以上に風見鶏の観が強い。

亡くなられた記者ご本人やご家族のことは、各国家権力にとってはあまり重要ではないようだ。各国の体制が、独裁国家であろうが、民主主義国家であろうが、国家権力を得た一部の個人または集団によって、都合のよいように権力を行使してしまう。国家だけではない国家に抵抗する勢力も、その主義主張を行使するために、自らに都合のよいようにその力を行使する。常に犠牲を強いられるのは、庶民だ。そして、庶民には、一般民衆だけでなく、権力に使える、一般公務員も含まれる。

わが国でも昨年の公文書改ざんについては、権力の犠牲になられた方がいた。不幸にも改ざんに関わった公務員が自殺した。権力の命令に逆らえず、改ざんをしたことに良心の呵責を覚えたのだと思える。

戦後多くの国が、民主国家を目指し、努力してきたにもかかわらず、庶民のためでなく、一部の権力の代行者のために、行使されてきている。平和宣言をした日本国憲法の前文を、じっくりと反芻したい。

「・・・そもそも国政は、・・・その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。・・・」(憲法の前文より抜粋)
「享受」とは広辞苑によると、「①受けおさめて自分のものにすること。②精神的に優れた味わいたのしむこと。」とある。

庶民が「味わいたのしめる」ような社会、世界作りに権力者たる代表者は、邁進して欲しいと願う。
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