標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

点字ブロックや路側帯など:見やすくするための工夫と課題。

2017-11-25 20:16:16 | 日記
先日、点字(誘導等)ブロックの色を黄色にすべきだという見解を、視覚障害者団体が市に申し入れたという記事があった(毎日新聞ニュース)。

記事にも記載されていたが、一般に視覚障害者のうち少なくとも7割はロービジョン(弱視者)とのこと。更に、障害者手帳を取得された人以外にも、何らかの見えにくさにより、日常生活に不自由を感じている人がいる。日本眼科医会の発表では144.9万人(2009年)いると言われている。


線状のブロックは誘導ブロック。点状のブロックは警告ブロックといい、危険個所や施設等の位置を示すなどで用いられる。一般にこれらを点字ブロックという。

目の不自由な人の多くは、ロービジョンで何らかの工夫をすることによって、生活しやすくなることがある。点字ブロックは全盲の人だけでなく、ロービジョンの人も利用できる。この時重要なのは、見やすいということだ。そのためには路面と点字ブロックとの区別が、しやすい方が好ましい。しかし、世の中にはコンクリートやグレーのタイルに敷かれたグレーの点字ブロックなどがある。これではロービジョンの人には見えにくい。

また、あまり考えられないが、黄色に近い茶色やピンクなど中間色の路面に黄色のブロックだと、区別しにくい。ロービジョンの人の中には、灰色とピンクなど中間色が同じ色に見えてしまう人もいる。

こうした点を考慮すると、原則として点字ブロックは黄色が望ましいが、路面の色によっては、別な色の方が見やすくなる場合も考えられる。当事者のいろいろな人や団体と敷設する側(役所など)で、様々な角度から検討するのがより良い環境づくりができると思う。

さて、見やすさ、見にくさでいえばロービジョンの人だけの課題ではない。歩行者、ドライバーにとっても重要な課題は、横断歩道、道路の路側帯や中央ラインなどの道路上の表示もより見やすくする必要がある。



路面に新しく描かれたばかりの、路側帯や中央ライン。そして、横断歩道。新しいアスファルトは黒に近い。そこに白や黒のラインは見やすい。


時が経つとアスファルトはグレーになり、白線も汚れたり、かすれたりして白ではなくグレーに近づく。黄色も鮮明さが低下し路面とのコントラスト比が低下する。見にくくなる。


手前の白線のペンキがはがれている。ほとんどはがれた状態だ。見分けの問題ではなくなる。意味をなさなくなる。


路側帯のペンキがはがれている。白線より側溝の方が見やすいかも。でも、その上を歩くのは危険だ。


歩道の中央に点字ブロックが敷設されてるのだが、路面のデザインが凝ったものになっているので、路面と点字ブロックとの見分けがつかない。

(21
歩道のブロックの上に敷かれた点字ブロック。どちらのブロックも汚れや摩耗などで色が褪せている。ロービジョンの人が分かりににくいのは元より、全盲の人でも杖や足の裏で点字ブロックを辿りにくそうだ。

以上見てきたように、見やすさには敷設時の色だけの問題だけでないことが分かる。路面のメンテナンスを行うことが重要な課題だといえる。上述したように、新たに塗られたときは、見やすいが、時間が経つにつれ見にくくなる。その際、何が何でも塗り直しでなくともよい。しばらくは汚れを落とすだけでもよい。そして、表面の汚れが落ちなくなったり、色合いが落ちたり、はがれたりしたら塗りなおすというように、2段構えの対応が必要だと思う。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これが相撲の世界? 何故か、被害者側を非難するコメントが目立つ。

2017-11-24 19:25:23 | 日記
本論の前に、写真の紹介。

我が家の2階の窓から見えた。朝もやがかかる紅葉(我が家のモミジ)。右後ろの白い花をつける木はお隣さんのサザンカ。

以下本題。

マスコミでは、日馬富士の貴ノ岩に対する暴行問題が話題になっている。事実として何があったか、被害者の貴ノ岩とその親方の貴乃花がほとんど語らないので、錯綜しているようだ。事実より推測でのコメントが多い。


私が異常または不思議に思うのは、被害者側の貴乃花親方に対する批判のコメントが目立つ。それも、コメントがもとアナウンサーだった人や相撲協会の評議員議長らの発言だ。貴乃花親方が相撲協会に報告しなかったことを責め、診断書が信頼できないとか発言している。被害者側を批判し、横綱側を擁護するような発言。特に議長は元文部科学副大臣だった人だ。いかなる状態でも暴力は許せないというスタンスに立てないのか。また、元アナウンサーは客観的な評論でなく、相撲協会に相談すべきだったと感情的に怒りを込めていた発言だった。

また、元、現役を問わず関取らの中にも、殴るなどはよくあることだと容認する発言がみられる。つまり指導の一環だというニュアンスだ。

私も、かつてある団体で指導的な立場にいたことがあった。現職を退いた先輩方から、「君たちの指導の仕方は甘い。もっと厳しくすべきだ」と言われたことがある。暴力ではないがスパルタ教育、ある意味ではパワハラを発揮しろというアドバイスだった。とても容認できるものではなかった。それは当時のトップの考えでもあった。トップは自らはもっと厳しく指導しろとは直接は言わない。先輩がトップの意向を忖度して代弁していたのかもしれない。と今になって思う。

日本国内だけでなく日馬富士と貴ノ岩の出身地モンゴルでも暴行問題が、大々的に報道されているとのこと。それも、貴ノ岩を非難する意見が強いらしい。モンゴルでは相撲は人気があり、社会的な地位も高い。元関取が政界の重要ポストも占める。モンゴルの大統領と安倍首相で話すべきだという意見まで囁かれているとのこと。

暴力が擁護されるスポーツ(厳密には「すべての社会」だが)は容認されるべきではない。日本の国技として恥ずべきことだ。世界に認められる競技となるためにも、悪しき伝統は払しょくして欲しい。

果たして真実がどうなのかは分からない。被害届が出されているので、現時点では警察が事実を解明するのを待つしかないと思われる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会計検査院報告について、国会での納得のいく解明を望む。

2017-11-23 19:27:55 | 日記
22日に、森友学園への国有地売却の問題で、参議院が会計検査院に求めていた会計検査の結果報告が提出された。昨日、今日とテレビ各局、各新聞等が一斉に報道している。

局、新聞により評価が異なるようだ。私も会計検査院のホームページに公開されている本事案に関する報告書を斜め読みした。以下は各報道と報告書から私なりに得た見解だ。


2017年11月22日付け会計検査院ホームページの新着情報に「国会法第105条に基づく国会からの検査要請事項に関する検査結果の報告を行いました」として掲載されている。

会計検査院とは、国会や裁判所に属さず、内閣に対しても独立している。よく財務省の下の組織と認識されるようだが、憲法にも規定された会計検査機関だ。さらに、法に基づき国会の求めにより検査ができ、その結果を国会に報告することができる。

今回の森友学園への国有地売却に関する検査について、会計検査院は、値引き額の積算には十分な根拠が確認できない、検証に必要な資料が十分残されていないなど指摘。今後は、行政文書ガイドラインの見直し等を踏まえ、国有地の売却等に関する会計経理の妥当性の検証が十分に行えるよう、必要な措置を講ずることも述べている。会計検査院としては、国有地について、売却等を通じて国の財政に貢献するとともに、今後とも、国有地の管理及び処分について、引き続き検査していくこととしている。

しかし、土地の評価額や値引き額についての具体的な数値は上げていない。報道によると検査院の検査過程では、数億円ほど多いのではないかと数値を出して推計したそうだが、資料が残っていないなどの理由で、報告書には額の記載はしなかったという。(まさか、ここには忖度が働いていないと思うが?)

また、個人名を出すのは控えるが、前の財務省担当局長は当時、国会答弁で、「適正に処理してきた」「資料は破棄した」と発言してきた。しかし、その後、国税局長として栄転した。今、各地の税務署には「書類を廃棄したと言えば許されるのか」「あなたに適正・公平な行政を語る資格があるのか」などといった苦情が寄せられている。さらに、徴収や調査で任意提出を求める資料について、納税者から「来年からは提出しない」と言われたり、領収書がないため仕入れ税額控除を認めなかった際、「おたくのトップは認められている」と嫌みを言われたりするケースが起きているとのこと。

会計検査の段階で、値引きについて、不当な高い額が提示されていたら、その決定をした場合は、税金を不当に使用したという背任罪が適応される可能性が高いという。しかし、金額が出ていないのでそこまでいかない。罪びとを増やすわけではないが、ゴミが地中の何メータまであるのかなど、徹底的に調査して数字を明らかにしてもいいのではないか。

理財局長だけでない、総理大臣、財務大臣や官房長官も、「法に従い適切に行ってきた」という旨の発言を繰り返してきた。今後の国会でも同じような発言をするのであろうか。明日以降の国会で審議されると思うが、政府は真摯に、丁寧に説明するのだろうか?
国民が納得できるような説明が欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今更ながら・・・「伊豆の踊子」の思い出

2017-11-22 19:13:06 | 日記
今日のNHK朝ドラ「わろてんか」を見ていて、耳に留まった言葉があった。あまりドラマの内容とは関係ないが、その言葉は「活動写真」(映画)だ。私の個人的な思いである。



昔、吉永小百合さん、高橋英樹さん両名が主演の映画「伊豆の踊子」を思い出した。調べたら1963年の作品だった。
この映画の終盤、主人公の書生と踊り子とのやり取りだ。下田に着いたらふたりで活動(映画)に行く約束をしていた。そのときの踊子のセリフが「活動に連れていって下さいましね」だったと思う。同じような繰り返しが何回かあった。

何故、このセリフが残っているのかというと、私の中学時代は個人的な異性との交流はあまり行われていなかった。グループ交際といって、男女それぞれ、複数で映画や美術館に行ったり、ハイキングに行ったりしていた。今思えば、なんと健全な付き合いであったのかと改めて感動する。中卒後もこの時の仲間と暫くは、グループ交際が続いていた。このグループ・メンバーのある女子は、この映画鑑賞の後、踊り子が「かつ丼に連れていってください」と言っていたように聞こえていたと話した。皆で大笑いした覚えがある。

これ以来、「伊豆の踊子」と「吉永小百合」という言葉を聞いたり、見たりすると、自動的に"活動"を連想する。

私が「伊豆の踊子」を忘れられないのは、この作品が私の青春時代の多くを占めたからだ。この映画の後だったか、中学時代の同級生と卒業記念として、男3人で、踊り子が歩いたコースを辿り、天城越えをしたことがあった。つづら折りの道、天城トンネルなど小説や映画に出てくる情景と現実とを重ねながら歩いた。

また、大学時代、ゼミの合宿で河津七滝(かわづななだる)の民宿に2泊したこともある。その時も川端康成氏が執筆していた旅館などを見学した。

そして、川端康成氏の書いた小説の分析を卒論のテーマに選んだ。

大学時代の同級生の話では、そのころの私は機会あるごとに、「『伊豆の踊子』は永遠の初恋を描いている」と語っていたようだ。大学を卒業すると同時に、ロマンチックな世界とも別れて、現実路線を歩んできた。

しかし、未だに心の中では「伊豆の踊子」を探し続けているのかもしれない。また、映画が見たくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また起きた米軍の事故。日米地位協定の不公平を思う。

2017-11-21 20:06:45 | 日記
11月19日に那覇市で米兵が飲酒運転の上、死亡事故を起こした。酒気帯び運転におる道路交通法違反の疑いで逮捕された。死亡された方には心から哀悼の意を表します。

報道によると、被害者のご家族は、高齢の母親には、ショックを受けるといけないから、今回の事故のことを伝えていないとのことだった。今度こそは日本の法律で裁いてほしい。そして、こうした事故が再び起きないことを願う。


(朝日新聞 11月21日朝刊より)

20日には、在沖米軍トップの調整官が、翁長知事に面会して謝罪したという。沖縄米軍人の基地と自宅以外の出入り禁止、日本国内の全米軍人の基地内外での飲酒が禁じられた。

しかし、翁長知事は、「綱紀粛正、再発防止に努めますと言われても、県民は何ら信用できない・・・」と沖縄県民の怒り、心痛を代弁されていた。

この事案に対して、20日のテレビ朝日「報道ステーション」のコメンテーターの後藤氏が、これらの事件とその日本の対応について「いまだに『占領軍意識』がある」との発言があった。私は漠然と同感だと思った。しかし、ツイッターにこの後藤氏の発言は甘い。「占領中」だ。という指摘があった。日刊ゲンダイ・デジタルに掲載されている、矢部宏治氏に関する記事で、「日本が囚われ続ける『米国占領下の戦争協力体制』の正体」というのを読めということだった。



日刊ゲンダイに書かれている内容は、日米地位協定に関することだ。例えば、記事には先日のトランプ氏の訪日のことが書かれていた。トランプ氏は米軍・横田基地に降り立った。これは米政府関係者は日米地位協定によって、まったく日本の法的なチェックを受けず入国できる。軍関係であれば高速道路も無料で利用できるなどの特別な措置があるとのことだ。

そして、他国の軍隊に対して「国内に自由に基地を置く権利」と、「そこから自由に国境を越えて他国を攻撃する権利」の両方を与えているのは、世界で日本だけとのこと。

この他、日本国内の米軍基地から戦闘機が紛争地域に飛ぶこともできるなど・・・。旧安保条約で、吉田茂首相が米軍司令官との間で、「戦争になったら自衛隊は米軍の指揮下で戦う」という「指揮権密約」を口頭で結ぶことになった。この重要な取り決めを60年間も隠していたという。

私もこの記事を読んだ後、日米地位協定を読んだ。驚きと共に私自身の無知を知った。中学、高校、大学と地位協定について学んでこなかった。用語は何処かに書いてあったのかもしれないが、その中身については殆ど分かっていなかった。矢部氏がいうように「占領下」ととらえられる条文だ。解釈によっては、米軍が日本の自衛隊の指揮権を持つと捉えられる。教育が意図的に触れないようにしていたならば、ぞっとする。

憲法を改正するか否かという二者択一という問題であってはならない。我々国民も、憲法9条と併せて、日米地位協定についても理解しつつ、より平和な国作りについて論じなければならないと改めて思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする