標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

会議の準備のためブログ休みます。

2019-01-21 21:00:03 | 日記
金曜日の会議資料の作成のため、ブログは休みます。悪しからず。
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ドアホンの玄関子機が取り付けてある壁の中は、蜂の巣で覆われていた。

2019-01-20 22:17:03 | 日記
家も20年を過ぎるとメンテナンスしなければならない箇所が出てくる。それも一か所だけでないので始末悪い。

正月早々の7日から始まった屋根と壁の塗装と補修の工事は、明日で終わりそうだ。

工事が終われば一息つけるかなと思っていたところ、先日リフォーム会社の職員(工事の監督役)が訪ねてきたとき、思わぬ機器の不良を発見して下さった。

それは玄関チャイムだ。「ボタンの接触が不備で、鳴らない時がありますね」という。一般の訪問客だったら、一回ボタンを押しても返事がないとしたら、2~3回はボタンを押すだろう。まさか、機器が壊れているとは思わない。
さすがリフォームの営業マンだと思った。私は、ありがとうございますといいその場では確認しなかった。なにか後ろめたいような、恥ずかしいような気がした。

後に確認したところ、数回に1度はボタンを押してもならないときがある。しかし、はじめはならなくとも2回目は鳴る。接触不良だろう。
妻に話したところ、「もう20年も経つからね」と言う。取り替えることにした。

ネット通販で頼み、先週の半ばには届いたのだが、玄関の壁の工事が終わっていなかった。やっと、昨日、玄関周辺の工事が終わり、養生テープとシートが解除された。

今日、朝食後自分でチャイムの交換工事を行った。同じメーカーの新機種を購入したので、ねじ穴などが同じだった。簡単に終わると思っていた。室内の親機を設置し終え、玄関のカメラ付き子機を設置しようと、旧子機を外したところ驚いた。驚いたというより、瞬間は驚愕に近かった。キッチンにいた妻のところに駆け寄り、玄関に来るように促した。

妻は見て仰天した。何と、子機をはめるために壁に開いていた埋め込み配線のエリアの半分が、蜂の巣で覆われていた。


壁の穴の中の半分ほどは、蜂の巣で覆われていた。

マイナスドライバーで巣を少しずつ叩き、乾燥している砕けた泥・砂を掃除機で吸い取った。

新しい子機の設置は簡単だった。旧機種は、白黒映像で親機は電話と同じように受話器が付いていた。新機種はカラー映像で、ハンズフリーでの通話、画像が録画できるタイプだ。少しは防犯に役立ちそうなものだった。


新機種の玄関子機は無事取り付けられたが・・・?

新機種には満足したが、あまり喜べない。このままでは、暖かくなると再び蜂が侵入し巣作りを行うだろう。
侵入経路と思われるのは、2か所考えられる。一つは、子機の下部には、水分が抜けるように小さい蜂が出入りできそうな隙間だ。他方は、基礎と外壁の間に、壁に沿って空気が流通するための隙間だ。思えばこの2か所とも蜂が出入りしているところを見たことがある。

とにかく、対策を練らなければならない。憂鬱だが、蜂が残した新たな課題だ。
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“改元”に係る詐欺と外貨建て保険による損失。いずれも被害は高齢者が多い。

2019-01-19 21:02:32 | 日記
本日付けの朝日新聞の一面に「外貨建て保険 苦情増加 損失リスクの説明 高齢者ら『不十分』」という記事が掲載されていた。同じ紙面の社会面では「『改元でキャッシュカード変更』詐欺 横浜で高齢者に手紙9件」とあった。いずれも囲み記事として編集されていた。

1面と社会面の囲み記事は、多くの人が眼に触れるだろうと、意図されて編集したのかもしれない。また、いずれの見出しにも“高齢者”という言葉が使われている。高齢者に“リスク”を促すための警鐘だろうか?

「外貨建て保険」の方は、超低金利下でも高利回りの資産運用として、生命保険会社が、高齢者に売り込んでいるもの。しかし、為替相場次第で元本割れとなり損失を被るリスクがあるとのこと。そして、リスクなどに関する事前説明が不十分との声が寄せられているという。業界は苦情の実態を公表していない。その販売姿勢が問われていると指摘している。

外貨建てについては、円高になれば元本割れもありうる。「つまり、リスクが伴うということは当然なので、それは加入者の自己責任だ」とでも、保険会社は言外で言いたいのかもしれない。しかし、加入については、保険会社は“元本割れリスク”について、予め適切に説明する責任はある。

どうも十分な説明がされていないようである。ここにも今の社会現象が現れているのかとも思う。説明しない。ごまかす。隠ぺい体質だ。

一方、「改元でキャッシュカード変更」詐欺については、高齢者に手紙を送り付け、カード等をだまし取ろうとする詐欺の手口とのこと。
横浜市内の9人の高齢女性宅に「5月1日の改元による銀行法改正に伴い、全金融機関のキャッシュカードを不正操作防止用に変更することとなった」などと書かれた、全国銀行協会をかたる封書が届けられたとのこと。そして、「キャッシュカード変更申込書」が同封されていて、口座番号、暗証番号などを記入し、カードとともに送るように求める内容だそうだ。

幸い9人の方たちは、警察に届けて被害は免れたという。

今や、銀行やカード会社にいって、対面で申し込みをしなくとも、封書による書類のやり取りやインターネットを利用し、カードが作れるし、分割払いなどもできる。
そして、カードも郵送されてくる。従って、郵送でのやり取りは“ありだ”と思ってしまい、返送してしまう可能性はある。
もう、詐欺はオレオレだけの時代ではない。あたかもコンピューターウイルスのように、詐欺の手口は社会の流れに乗じ、刻々と変化している。

そして、説明不足というのもひとつの“社会現象”かもしれない。

金銭やお金に関するカードの管理については、物に対する管理だけでなく、社会に対する広い関心と知識や洞察を深めなければならないとつくづく思う。
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珍しい現象か? 食器の花ボウルと鉢が重なったまま外れなくなった。半日後、叩いて解決!

2019-01-18 23:03:24 | 日記
昼食後、妻が食器洗いをしていたところ、急に笑い出した。理由を聞くが、笑いが止まらないため、説明できない状態。何事かと思い見ていると、しばらくして笑いながら、かろうじて話し出した。小鉢がくっついたまま外れなくなってしまったと言う。そしてまた笑い出す。


中鉢の中に斜めに半分ほど身を沈めるようにはまってしまった。


合体した器と同種の花ボウルと中鉢

みそ汁用の椀で、同じ種類同士の場合は時々あるが、今回の合体は、形状の異なる花ボウルと中鉢だ。花ボウルの花弁は10弁ある。花ボウルは磁器で中鉢は陶器で、材質が異なる。共通するのは、直径が12㎝ほどあるということのみ。中鉢の中に、花ボウルの花びらの3弁がペタッと付いている。


分かりにくいが、花ボウルの花弁が中鉢に食い込んでいるようだ。

妻と私が手ではがそうとしても剥がれない。
とりあえず、外側(中鉢)をお湯につけ、花ボウルの中に水を入れてみた。
その後、即座に「陶器 重なったまま外れない」と入力しインターネットで調べた。ヒットしたが、方法は外をお湯につけ、中に氷水を入れるという方法がベストのようだった。

早速、水の中に氷を入れ、剥がそうとしたが、剥がれない。
ネットには、他の方法として、隙間があればテレホンカードなどの硬めのカードを入れ、中に空気を入れると書いてあった。

しばらく考えていたが、わが家の今回の事態は、通常の器の合体とは、異なると気が付いた。花ボウルと中鉢の接触しているところが、限定されている。中鉢に接している箇所は、3つの花弁と底の一部分だ。傾いて入っている。隙間もあり、双方の器の間の空気は外界と変わらない。

物理的に壊すしかないか? でも、いつも使っている器に愛着がある。
妻と思案していたところ、急用が入った。妻が孫の世話に行かなくてはならない。
器のことは据え置くことにした。

妻は21時頃帰宅した。妻はこのまま捨てても良いという。しかし、二つとも諦めるよりも、どちらか一つでも残せないかと思った。

リビングにあった竹製の“猫の手”で軽く3回ほどたたいた。ストンと白い花ボウルが落ちた。どちらの器も壊れていなかった。
しかし、よく見ると花ボウルの花びらの先の白い塗料が若干欠けていた。花びらの先が陶器の中鉢に食い込むように付き、花ボウルの底が反対側の中鉢にはまり、動かなくなっていいたようだ。

まるまる半日も合体していた器が数秒も経たないうちに外れたのだからと、また、笑うしかなかった。

“重なった食器を離す方法は?”に、“軽く叩いてみる”を追加しておこうかな。ただし、両者とも壊れるかもしれないリスクを負うということを忘れてはならない。
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「日本人横綱」という言葉の違和感。マスコミがこだわり過ぎだと思う。

2019-01-17 20:43:20 | 日記
稀勢の里が引退することとなった。
初場所の前、マスコミもファンも稀勢の里が横綱としての正念場を迎えるのではないかという危惧感が、勝敗の期待感より勝っていたように思う。そして、場所が始まり初日に負けると、もう後がないという報道が勢いついていた。二敗すると引退ではないか。歴代の連敗記録に並ぶとか、コメンテイターも論評する。

こうした報道の中、15日に三敗し、翌日引退会見となった。NHKも民放もこぞって、「日本人横綱」がいなくなったと報道した。この日本人横綱という言葉自体は、客観的な呼称であるが、「稀勢の里」に関する報道では、違和感を感じる。
女人禁制と同じような“差別感”を覚える。

大相撲が、外国人を受け入れるようになったときから、“日本人”と“外国人”と差別的な使用はするべきでないと思う。大相撲で取り組みを行う前に、番付、所属部屋と出身地をアナウンスする。決して“外国人”とは言わない。国名をアナウンスする。これでよいのではないか。
「外国人横綱」と際立たせているのは、マスコミなのではないか?

相撲は国技という。国技ということを守りつつ相撲協会は他国出身の力士を受け入れた。国技であることを捨てたわけではない。他国の人が力士になるのには、日本が育てた相撲文化は守られている。外国出身の力士には、競技としての技だけでなく、言葉や礼儀をはじめ髷、回しを、和装などいわゆる日本文化を学び身につける。こうして人としての出身国による差別はせず、日本の伝統は引き継ぐということに意義がある。

国籍は出身国のままでもよいし、日本の国籍を取得してもよい。
(他国出身の力士は各部屋一人に限るなどの縛りもあるので、手放しに自由な受け入れ態勢とはいえないが)

本題からそれるが、昨年の国会で、人権にあまり配慮の無い外国人労働者の受け入れに係る入管法の改正が成立した。相撲力士の受け入れのように、他国出身の労働者の受け入れも自由であったらと思う。
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