標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

森の中での作業で見つけるゴミ。プラスチック、缶など。そして、動物たちの痕跡、気配。

2019-02-23 21:07:14 | 日記
森の中で作業をしていると、枯れ枝、枯れ葉や白骨化した木の根っこに混ざって、プラスチック容器、袋などやその破片がある。また、空き缶もあるが、林の中にあるものはアルミよりもスチール製やブリキ製の方が目立つ。錆びついたものが多く、年月を感じる。多分この地域が開発された20数年前のものだろう。

さすがに紙類はほとんど見つからない。紙類もたまにあるが、最近のものでどこからか風で飛んできたのだと思われる。

いずれも自然に帰らないこれらのゴミをみつけると、鳥などの生き物の内蔵に入らないように、家に持ち帰り地域の収集ゴミの中にいれている。

ゴミとは違うが、大きな樹の下に動物のウンチらしきものがこんもりと溜まっているのをみかける。山を知る人によると、タヌキの糞塚だという。ほとんど人の入らない森なのに、周囲とは異なり、明らかに土や落ち葉などが踏まれ押しつぶされた状態だ。その状態が一筋になっている。けもの道だ。

この森の中で今まで見た動物は、タヌキ、リス、サル、野良猫、そして鹿だ。また、幸い姿は見たことはないが、イノシシもいる。また、数年前だが、この森と繋がっている小さな沢の対岸の山には熊が出たこともある。この森も歩いていたかも知れない。

地を歩く動物ではないが、初夏の夜、暗闇から「ホホー、ホホー」とフクロウの鳴き声が聞こえる。この鳴き声を聞くと一瞬背筋がゾッとするが、じっと聞き入ると味わいがある。夜トイレに起きたときに聞くこの鳴き声は、好きだ。他の音は全く聞こえない。顔を回転させながら暗い森を独り占めしているフクロウの姿を想像するとおもしろい。
森の中で作業をすると、こうした動物たちの気配が感じられる。楽しいものだ。

最近、頻繁に森に入り作業をしているので、今年の夏は、フクロウの鳴き声が聞こえるかどうか心配だ。その頃は森での作業は終わりにしよう。
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レジ袋とマイバック、マイバスケット。そして、はやぶさ2の着陸成功。

2019-02-22 23:00:22 | 日記
今日の「チコちゃんに叱られる」で、何故レジ袋ができたかについて放送していた。
多摩川梨の梨狩り農園が発祥という。当時うどんが30円だがストッキングが400円だった1960年代のこと。梨狩りで刈り取った梨を持ち帰るのに、当時は竹で編んだかごを使っていた。しかし、籠がストッキングを履いた足に当たると、いわゆる伝線してしまう。そこで、袋メーカーに頼み、梨を入れる袋を開発してもらったという。

そのポリエチレンで作られた袋が、一般の小売店に取り入れられ、通称レジ袋として広がったそうだ。

その後、この袋は家庭でもごみ入れ袋として使われるなど、便利に使われている。しかし、近年ポリ製品は自然環境破壊につながるとのことで、レジ袋の使用を抑制しようと、有料化などの対策をしている。マイバックを持参すると値引きをするスーパーなどが増えている。

わが家では、10年ほど前からマイバックなどを使っている。車の荷室には常にマイバスケットとマイバックが積んである。また、外出時に携帯する妻のショルダーバックには、必ず折りたたんだ携帯用のマイバックが入っている。


マイバック


マイバスケット。あるスーパーのロゴ入りだったが、どの店でも使えるように手書きで「マイバスケット」と書いてある。

チコちゃんでも、レジ袋以前の買い物のシーンで流れていたように、我々の幼いころ、母は豆腐を買う時は金ボールを持って、豆腐屋に買いに行った。八百屋でも魚屋でも品物を新聞紙にくるんで売ってくれた。それらを母は籠にいれて家に持ち帰ってきた。妻の回想だが、よく引き売りが来ていたという。今のように引き売り用の車というより、三輪車だった。

私も思い出した。大きな籠に入った野菜などの品物を大きな風呂敷に包んで、背中に背負った行商人が来ていた。富山から毎年同じ人が、荷物を背負って薬の行商にきていた。子供のころの私は、紙風船を貰うのが楽しみだった。今でもわが家には、置き薬がある。本社が富山県にある製薬会社だが、車でやってくる。

物売りではないが、リヤカーで廃品回収業者が来ていたことも思い出した。
そういえば、子供のころ私が住んでいた地域では、牛が大八車を引いていた。道に落ちていた牛尾の糞のイメージは今でも鮮明だ。

ところで、今朝、はやぶさ2が「リュウグウ」に無事着陸した。リュウグウは地球からおよそ3億4000万kmの距離にある。2014年に打ち上げられたはやぶさ2は、4年数か月の旅をしてリユウグウに着陸した。はやぶさのスピードは速いのだが、宇宙時間からみるとゆっくりだ。私の幼いころは、新幹線もなかった。リヤカーが移動手段だった。生活範囲も狭く、移動するにも時間がかかった。はやぶさ2のように長い時間をかけて、第一目標を達成した。

レジ袋を考え直すと同じように、たまには時の過ごし方を、昔のようにゆったりとした、または、はやぶさ2の旅のように、長いスパンで過ごしてみたいものだ。
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あすの朝「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」に着陸予定とのこと。

2019-02-21 22:35:54 | 日記
明日の午前8時過ぎに、はやぶさ2が小惑星「リュウグウ」に着陸予定とのこと。
私は、数日前から、外作業をしながらも、時々気持ちがそわそわしている。

地球外の天体に着陸という出来事は、私ならずとも多くの人が関心を抱くことだ。
私の宇宙旅行の夢の原点は、1944年のアポロ11号の月面着陸だ。
大学時代だった。テレビ画面に食いつくように見ていた。西山千さんの同時通訳による着陸状況が、私の心をワクワクさせた。「こちらヒューストン」という西山さんの低音の語りは、そのお名前と共に今でも私の脳裏に残っている。

そして、人類で初めて月面をゆっくり跳ねるように歩くアームストロング船長が述べた、「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である(That's one small step for man, one giant leap for mankind)」というフレーズは忘れられない。

21時のNHKニュースで、はやぶさ2の着陸予定のニュースと「ものづくりを支える町工場」の紹介を行っていた。町工場で作られた「フラッシュランプ」というランプがはやぶさ2に載せられているという。そのランプの大きさは手のひらサイズだ。着陸地点を決めるのに使われるという。着陸地点を探すため予め“ターゲットマーカー”というものを“リュウグウ”に投下する。フラッスランプから強い光を発射し、ターゲットマーカーからはね返ってきた光をとらえ、着陸地点を特定するというのだ。

町工場で最も大きな課題は、「小惑星は空気がないので絶縁物がない。電気がショートしないようする」ということだった。そして、「ランプにつけた刀のつばのような壁を開発し、ショートしないようにしたことだ」と工場関係者が語っていた。また、誤差0.5mm以下というガラスの加工技術が役立っている。ガラスを加工するには、ガラスを熱する火の強さや曲げるタイミングなど、機械ではできない職人技が必要だという。

決して大企業ではない小さな町工場の匠の技が、偉業である小惑星着陸に役立っている。この町工場の存在を知って、身震いする。

こうした人間の叡智を搭載したはやぶさ2の活躍に期待したい。明日の朝が楽しみだ。
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思わず買って食べてしまったチキンラーメン! 朝ドラびいきの仲間入りした一日だった。

2019-02-20 21:52:44 | 日記
60年前のことだが、従弟が電車バスを乗り継いで、よく遊びに来ていた。いつごろからだったか、彼はほぼ毎回、来るたびに即席ラーメンを持ってきては食べていた。土産というより自分で食べるために持ってきていた。
たぶんそれは、現在朝ドラの即席ラーメンだったと思われる。

私たちもインスタントラーメンは良く食べる。でも、そのインスタントラーメンは、熱湯をかけて3分でなく、乾麺を茹でるもので、元祖即席ラーメンより、店で食べるラーメンに近寄ったものだ。何を隠そう、今日の昼食はラーメンだった。

今日立ち寄ったスーパーの入り口の特設コーナーに、チキンラーメンが並んでいた。「元祖鶏ガラチキンラーメン」と書かれ、「ありがとう発明60周年」と“0”が安藤百福さんのイラストが描かれていた。今日の朝ドラのシーンが浮かんできた。苦心してやっと即席ラーメンができあがり、テレビのコマーシャルの撮影をしたところだ。
店舗によっては品薄になっているという。 躊躇せず5食いりの袋をひとつ購入した。

買い物の帰り道、「そういえば今日の昼もラーメンだったね」と妻が言う。「丁度良い。今日はラーメンデイだ。食べくらべてみよう」ということになり、帰宅後、熱湯をかけ3分後にチキンラーメンを食べた。

懐かしい味だった。今のインスタントラーメンは、スープと乾麺がべつで、麺のコシやスープの味も、店頭で食べるラーメンに近い。それに比べると、これは、ラーメンというより、他に表現のしようもなく「チキンラーメン」そのものだ。妻は「カップヌードルだね」と言い、朝ドラの萬平と福子がスルーとメンをすするシーンを思い浮かべながら食べていた。

朝ドラを見て、ドラマに登場するものを食べてみるという、ありふれたごく普通の国民の人となった日だった。


購入した5食入りのチキンラーメン。



チキンラーメンは、その味を楽しむため、具を入れずに湯をかけただけにした。副菜は別盛りにした。
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「エスカレーター『片側空け』しないで!」の訴え? それよりバリアフリーのエスカレーターの開発を願うのだが。

2019-02-19 22:28:35 | 日記
河北新報によると仙台市交通局が「エスカレーター『片側空け』しないで」とエスカレーターのベルトに「片側空け」をしないよう訴えるラッピングを施したとのこと。
わが国では片側を空ける利用法は、1970年の大阪万博の際、外国人がやってくるので、英国の方法に習ったとの説があるそうだ。阪急電鉄が梅田駅で「左側をお空けください」と放送を始めたのが始まりとのこと。
英国以外でも、エスカレーターの片側空けが習慣化している国があるという。

一方、東京では、地下鉄駅が増えた80年代末から、片側空けが始まったらしい。鉄道会社の呼びかけでなく、自然発生的に始まったとのこと。そして東京では、右側空けだ。左側空けは大阪、奈良、兵庫などの関西圏で、地方は右側空けのようだ。それは新幹線網により地方は東京と同じ暗黙のルールになったという。

私の大学時代には、あまりエスカレーターはなかったように思う。ましてや片側空けを意識したことはなかった。やがて就職し、1983年から職場が東京になった。その時から右側空けが習慣化していった。

そして、「エスカレーターでは歩行しないように」というメッセージがデパートや一部の駅などで流れていた記憶がある。

もともとエスカレーターは、歩行を想定して作られていないこと、躓いたりして危険であると、安全面から「歩行しないように」と注意されてきた。しかし、「片側空け」の暗黙のルールは、依然と続いている。

エスカレーターの転倒事故もあるが、一方で階段利用における事故もあるという。一概に事故はエレベーターの方が多いともいえないとのこと。
英国では100年前から、片側(左)空けが根付いているという。今回、仙台局が発した「片側空けをしないよう」にとの訴えは、どうなっていくのだろうか?

エスカレーターの普及の一因にバリアフリーの影響もあるという。高齢者などが長い階段を歩かなくても良いようにとのことからだが。
しかし、果たしてエスカレーターはバリアフリーなのだろうか?

車椅子使用者は利用できない。視覚障がいの人も利用できないことはないが、乗り降りのときのリスクは増す。これではバリアフリーの乗り物とはいえない。

一方、エレベーターは、多くの障害のある人が利用できる。しかし、ドラマなどで表現されるが、密室で見知らぬ人と密着した利用となり、無言のやり取りがあるようで息苦しさを覚える。エレベーターに乗るためには、ボタンを押し待たなければならない。
だが、エスカレーターは自分が乗りたいタイミングで乗れる。前後に人はいるが、エレベーターとは異なり、密室ではない。また、他人との関わりは極めて少ない。あたかも電車の指定席に乗るように、自分が踏んでいるステップは小さな面だが、指定席的な意味合いがある。そして、周囲の景色(風光明媚ではないが)が見られ開放的だ。

エスカレーターの「片側空け」をなくそうとするなら、ほぼ一人幅のエスカレーターのみの設置にするなどの工夫を行えばよい。または、頑強な歩けるエスカレーターにしてしまい、「歩けるエスカレーター」にするかだ。後者の方が現状の社会にあっていると思える。

それよりも、もっとバリアフリーなエスカレーターを開発して欲しいと願う。例えば、スキー場のリフトのように、乗るタイミングを計れるものにする。それに加え、車いすの人が乗れるような、広いステップにするなど。各種ロボットが活躍する現在の技術をつぎ込めば、より効果的なバリアフリーのエスカレーターに類する乗り物を作るのは容易なことだと思うのだが?
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