標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

明日の天気予報は雨で、歴注でも“雨水”。現実の季節が旧暦の季節感に近づき「暦の上では」ではなくなったのかな。

2019-02-18 21:06:50 | 日記
昨日の仕事が終え、今日になってパソコンをリビングにある作業机上の定位置に置いた。その時さりげなく壁に下げてある、月めくりカレンダを見た。明日のことだが、19日の欄の下に、予定とは別に予め印刷された文字が、他の日に比べて多い。
次のように書かれていた。
「雨水・旧三隣亡
 旧1/15 三碧 先負」
と2行に渡っていた。私たちの結婚式の日は友引だったと記憶している。そして、強いて選んだわけではなく、たまたま私たち二人が都合のよい日にちが、友引だったというのが正しい。

カレンダに書かれているこれらの記述を暦注というとのこと。日時・方位などの吉凶、その日の運勢などが書かれているという。

私が、今日注目したのは“雨水”だ。雨水は二十四節気の第2番目で、今年は2月19日とのこと。また、期間を表す場合は、次の節気“啓蟄” (今年は3月6日)の前日までを指すとのこと。

二十四節気については、よく天気予報で語られるように、季節を表現している。冬至、夏至、春分、秋分、立春、立夏、立秋や立冬などは、生活になじんでいる。しかし、“雨水”という節気は、私にとってあまりなじみがなかった。

でも“雨水”という漢字から、その意味は予測できた。調べてみたら、「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」(歴便覧)とあり、空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になる、という意味とのこと。草木が芽生える頃で、農耕の準備を始める目安とされてきたという。

ところが二十四節気で表す季節感は現実の気候とずれることが多い。雨水では実際は降雪の盛りの地方も多く、関東もこれから大雪に見舞われることもある。

今年はどうであろうか?
今日は、快晴といえる良い天気で穏やかだった。ところが、天気予報によると、関東地方は明日の夜は雨になるという。歴注が的中し雨水になりそうだ。

二十四節気は太陰暦の時代の中国が発祥だ。新暦を採用した現代でも、節気は旧暦のままになっている。19日の歴注にも「旧1/15」とあり1か月ほどずれている。かつて日本気象協会は、太陽暦の現代日本の気候に合わせた新しい二十四節気を作ろうとしたことがあったという。しかし、「これまで培われた微妙な季節感を混乱させる」として計画は中止となり、そのまま使われているとのこと。
というわけで、テレビ各局の天気予報などでは、「暦の上では」という前置で説明されるということだ。

ここ数年地球全体規模で気候変動が著しい。それがかえって、あたかも現実の気候が、昔の太陰暦時代を回顧しているような状態を作っているのかも知れない。

気象協会は、新しい二十四節気を作り直さずに済んでよかった。そのうち「暦の上では・・・」ではなく、「暦のとおり・・・」という前書きが多く使われる時代が来るのかもしれない。
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今日と明日ブログを休みます。

2019-02-16 19:19:46 | 日記
明日は、主催のイベントがあります。今日は準備のため、明日は会場への持ち込みのため、コンピュータが使えません。今日・明日とブログは休みます。
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一日遅れのプレゼント。チョコなしのスノーボールクッキー! そして、永遠にホワイトデイがやってこないAさんの思いで。

2019-02-15 21:02:59 | 日記
日のスノーボールクッキーは美味しかった。妻が数日前から、クッキー作りに挑戦していた。最初はスノーボールではないが、平べったいクッキーだったが、電子レンジでの加熱時間が長かったためか、焦げてしまった。数日後次は白くて丸いものを作った。表面が粉ぽっく、生かなと思うほどだ。さらに指でつまむと崩れそうだった。妻に聞くと、これでも焼いてあるとのこと。
何ていう菓子なのか聞いたが、何だったかしらと生返事。しかし、味は美味かった。
タッパーに入れてあったが、つい摘まんでしまい。あっという間になくなった。

さて、今日、外作業から戻ってくると丸い白いクッキーが出来上がっていた。摘まむと、今回は、見た目は硬さがありそうだったが、口の中で軽くカリッと砕け、味も良かった。何というクッキーなのか?と聞いたところ。何だったかなと言いながら、妻はスマホで検索し見つけた。この時、このクッキーが“スノーボールクッキー”というのだと知った。

妻からの一日遅れのバレンタインプレゼントだった。チョコも粉砂糖もなかったので、トッピングはないが、ほんのりした甘さ、香ばしさがあった。

ところで、バレンタインというと思い出すエピソードがある。
3月末で定年を迎える年の2月14日、私は当時の社内の廊下を歩いていた。すると前方から、ある女性(Aさん)が私の名前を呼びながら近寄ってきた。会うや否やチョコレートを手渡された。その人は5年前まで、私が所属していた組織のスタッフだった。

私は4月からAさんの所属するチーム、つまり私にとっての古巣に非常勤で勤めることになっていた。「戻ってきてくれるそうですね。とてもうれしい」と語った。私も何んと返答してよいやら。戸惑いながら「ありがとうございます」というのが精いっぱいだった。

古巣時代のリーダーは、豪快かつ己の道を行くパワーのある人だった。Aさんは、リーダーの補佐役として、時にはリーダーの猛進を抑え、ある時はリーダーを陰ながら支えていた。その後、別なリーダーになっていが、この女性は5年前の当時のリーダーが残した功績をフィードバックしたかったのかもしれない。

しかし、Aさんと言葉を交わしたのは、この時が最後だった。この時のAさんのチョコの真意は私の想像に過ぎない。

3月のホワイトデイの返礼を何にしようかと思いながら、3月初めに古巣のチームを訪問した。しかし、Aさんは病気で休んでいるという。復帰したら渡そうと思った。
だが、4月になっても復帰されなかった。しばらくして、Aさんは亡くなってしまった。ガンの再発だったとのこと。
Aさんとの再会は、ご遺族となったご主人とお子さんの参列する葬儀の時の遺影だった。

翌年から、私のバレンタインの思いでは、Aさんのチョコとあの時のメッセージだ。今の私は非常勤職員を退職しているが、勤めていた間、果たしてAさんの期待に沿えたのだろうか? 毎年自問する。そして、永遠にAさんへのホワイトデイはやってこないと。
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ドライブレコーダによる我が「運転力」の査定は、「才能アリ」はたまた「才能なし」か?

2019-02-14 21:16:21 | 日記
今日は、「プレバト」の放送日だった。昨年から俳句初心者として、句会に出ている。句会の互選により、自分の句がたとえ1点でも選ばれるとうれしい。また、自分が選んだ句が、他の多くの人が選んだ場合もまた喜ばしい。まだ、初心者なのでそんなレベルだ。

プレバトでは、夏井いつき先生により、採点され「才能アリ」「凡人」「才能ナシ」にジャンル分けされる。そして、「才能アリ」から上は、特待生制度、名人、永世名人などのジャンルがあり、夏井先生による厳しい査定がある。芸能人が俳句能力を競い、勉強しつつ、お笑い的な要素があるなか、俳句の技量については、皆真剣に取り組んでいるところが、好感が持てる。

ところで、私の車に搭載されているドライブレコーダも、プレバトほどではないが、私や妻の運転技能?について査定してくれる。

ドライブの後エンジンを切ると「今日の運転では、わずかに急ブレーキがありました。交差点の前では予め速度を落としましょう」などと、女性の声でアナウンスされる。ドライブレコーダを取り付けた直後は、このアナウンスが、気に障った。自分では急ブレーキをかけていないと思っていたのに指摘される。自ずと自尊心が現れ、それが傷つけられたような気がするのだ。

しかし、数週間ほどすると、どこが急ブレーキだったのだろうかという疑問は残るが、ドライブレコーダからの指摘になれてくる。さらに自ずとドライブレコーダの急ブレーキ、急発進、急ハンドルの指摘を受けないような運転を心がけるようになった。やがて、「今日の運転中特に危険な運転はありませんでした」とアナウンスされるようになった。さらに数日してから、エンジンの始動後に「最近、とても良い運転ができていますね」とドライブの前に褒めてくれるようなった。
少なくとも「才能ナシ」ではない、「才能アリ」か「凡人」なのかなと勝手に思い込んでいる。

ブレーキ、発進やハンドル操作が少々「急」があったとしても、程度が軽ければ「ほめる」ようになっている。つまり「急」が全くなく完璧なドライブでなくとも、ある程度の「急」は許してくれる。この点が、人間らしくて良い。100点満点でなくとも許してくれるという、匙加減をしてくれる査定は良い。

ドライブレコーダのアナウンスを受け入れるようになってから、車間距離を開ける、交差点進入時には早めにスピードダウンするなどの運転を心がけるようになった。また、信号待ちの後、発進時に「右よし、左よし、前方よし」などと時には指差や口頭で確認するようにしている。

最近はドライブレコーダのアナウンスと付き合いながらドライブしている。
特に「今日は危険な運転はありませんでした」と極力「才能アリ」の査定を貰えるように。
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消費税増税にともなう、「ポイント還元」は無駄な政策ではないか?

2019-02-13 21:28:31 | 日記
昨日、衆議院予算委員会で消費税10%に伴う「ポイント還元」について、論議されていた。現在は消費税が8%なので2%あがるのだが、その分、キャッシュレス決済すると2%または5%をポイント還元するという。還元分は税金でまかなうとのこと。2%還元ということは、単純に考えれば、増税分を還元するということになるので増税しないと同じだ。そして、5%還元となると3%の財政支出が必要となる。負担が増え、その分国の財政はマイナスとなる。

消費税が8%になった時、消費が落ち込んだからと政府は繰り返し主張する。しかし、このポイント還元は、増税後9か月間の期限付きだ。政府与党のお手盛りだという批判がでるのも頷ける。

私達消費者からみても、時限付きのポイント還元は、あまりメリットはなさそうだ。9か月間ためるポイントは、買い物で使えるという仕組みのようだが? それほどたまりそうにもない。おまけに現金での買い物には、ポイントはつかない。かつてのプレミアム商品券とおなじで使い道もなさそうだ。ポイントを使うためには、クレジットカード等で新たに支出しなければならない。

年金生活の人にとっては、つらい。ポイントをためても、ポイントを使うための新たな出費をする余裕はない。

私も十数種のポイントカードやクレジットカードを持っている。しかし、これらのカードのためたポイントのうち、ポイントを使っての買い物や商品化したものは僅かだ。多くのポイントはたまったままだ。
何故なら、ポイントで新たな品物を買うためには、ためるためにそれなりの金額を費やさなければならない。電化製品などはそれほど頻繁に買うものではない。数年前に作った家電量販店のポイントカードは、その後一回も使っていない。従って数ポイントたまったままだ。いずれ期限切れで失ってしまいそうだ。

ポイントをうまく使っている人たちもいる。その人たちの消費分は向上するかもしれない。しかし、それも9か月間だけだ。

野党の議員が述べていた。ポイント還元の制度は、結局はデフレを促すのではないかと。そうかもしれない。
やはり、参議院選挙の影がちらついているような気がしてならない。

お手盛りの、小手先の掛け声だけでなく、もっと将来の国民生活に役立つような政策を立てて欲しい。
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