標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

連携の問題に焦点を当てすぎてはいけない! 当該児相の非ではないか?「児相のずさんな会議録 自宅に帰す判断記述なし」とのこと。

2019-02-07 20:55:43 | 日記
新聞やテレビニュースで連日、小4女児死亡の件が報道されている。今回の事件も昨年の事件と同じように、引っ越し先での事件なので、新旧の児相や学校、教育委員会、警察など他の機関との連携が大きな課題となっている。

確かに、連携は虐待への対応としては、重要な課題だ。しかし、今回の事案は、違うところにありそうだ。

今日の夕方のNHKや朝日新聞ニュースで「小4女児死亡 児相のずさんな会議録 自宅に帰す判断記述なし」と報道されている。
柏児相からこれまで「ない」としてきた会議録が見つかったとのこと。それによると昨年2月末の会議で、記録は虐待のリスクの高まりがうかがえる一方、自宅に帰す判断をしたこと自体が記述されていない。帰宅の判断をする際に最も重要とされる児童福祉司の意見書は作成していなかった。柏児相は書類への記録や管理が「ずさんだった」と認めたとのことだ。

今日のニュースの内容からすると、連携とは異なった“問題”が存在するのではないかと思われる。

「記録や管理がずさんだった」と柏児相は説明するが、これは表面だけの発表だ。何故記録や管理がずさんだったといえるのか、何故虐待死に至ってしまったのか?肝心なポイントに触れていない。
また、今日、今回の事案に関する関係団体の会議が招集されたという。その会議でも今後検討し連携を図るという表面的な会合に終わったようだ。
真相解明などには至っていない。いわゆるお役所的な顔見世に終わったのではないかと思ってしまう。

各団体とは関係ない第3者委員による柏児相の真相の解明を早急に行うべきだ。昨年のことなので「記憶にございません」では済まされない。むしろ、まだ1年前のことだ、児相の現場では、今回の虐待死という悲しい結果に至る真実を知る人はいるはずだ。犯人捜しになってしまうかもしれない。しかし、10歳のこどもが死んでしまったのだ。苦しいかもしれないが、一刻も早く真相を究明したうえで、対策を講じて欲しい。

“連携の問題”を第1にしてしまうと、責任を分散させることにより、責任逃れになってしまう。そうではない。今回は申し訳ないが、“柏児相”が、自らの非を明らかにし、責を自問し反省し、発表して欲しい。そうすることが、より良い対策を見出せる方法だと思う。
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「虐待への対応」と「統計不正」の問題に共通する要素は?

2019-02-06 19:49:04 | 日記
10歳の少女が、父親の虐待により亡くなった。一時保護のケアを受けながら、児童相談所の対応の不備により、防げなかったという。昨年も児童相談所の連携の不備により少女が亡くなるという事件があった。何とも悲しい事件だ。
メディアでのコメントでは、わが国は「こどもを守る」という基本的な行動ができていないと指摘する。

今回の事件について、児童相談所長は、会見で淡々と経過を話す。児相の行為が不備であったことを認めているのだが、事の重大さの認識があるのだろうかと感ずる。
今回の事案は、組織運営、施設の不備など様々な面での問題点があるが、一番欠けているのは、「こどもが生きる」ことの大切さだろう。こどもを守ることは大人の義務だ。親とか、児相とか、学校とかの立場の問題にしてはならない。どの組織も当事者より、親や周囲の顔色を伺ってしまう。こどもより親の意向に沿ってしまう。また、児相は学校に対処を任せようとする。学校も児相や親に任せてしまう。親は、学校や児相とは対立の関係となる。児相はこどもより、自ら組織(を守る、の論理での行動)のことを第一に対処する。こども中心であるべきなのに、大人たちの塩梅で動いている。

これら、他人任せの傾向は、残念ながら日本社会、文化の中にその根もあると思える。
私も度々指摘するが、政治・行政の世界にも当てはまる。今回の統計不正問題の発覚についても、先ずは自らの組織を守るという考えから、厚労省は動き始めた。第3者委員による調査というのも名ばかりで、内々に済ませ、早々に処分とし、幕引きを図った。大臣も自分の行った行為でないので、責任はないとの態度。

第3者の調査報告書も厚労省の職員が作成している。国会の答弁書も詳細に至るまで内部で作成している。大臣等は、自らの発言をしないで、答弁書を読んでいるだけだ。

誰一人として、責任を痛感している者はいない。官僚や大臣の「今後二度と同様のことが生じないように厳正に対処していく」などという発言は何度聞いたことだろう。発言が悪いわけではない。眼前の事態の収拾を図るだけに終始するのではなく、未来に向かって誠実な行動を示し、正すべきは正して欲しい。
そのためには痛みもあろう。自らの痛みを感じたくないために、問題点をすり替えたり、他人の性にしたりする。痛みを一番感じているのは、当事者(こども)なのだ。何よりも当事者の痛みを第一に捉え、それに対処すべきだ。
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わが家の鬱陶しい季節の始まり~飛散準備万端の杉の雄花~。一方でハボタンを観ると寒さと憂鬱な気持ちを癒してくれるのだが。

2019-02-05 20:47:27 | 日記
2月に入り、メディアが花粉飛散の話題を流す機会が急激に増えた。 わが家周辺は、杉・檜の林が多い。ほとんどが、植林されたものだ。そして、放置されたものが多い。


家の一番近くにある杉の木。樹齢は50年ぐらいだろうか。


たわわに雄花をつけている。見ただけでくしゃみを催す。

わが家の、北・西側には、30年以上経った杉が多い。杉は樹齢30年ごろが花の盛りだそうだ。この地に住み着いて20年が過ぎた。確かに、年々花粉の飛散が増えていると思える。ここ数年、2月の末から3月にかけて、多量に花粉が飛散する。少しでも風が吹くと、花粉が多量に飛び、黄色く目に見える。遠方の景色も黄色くかすむ。

この時期の車の洗車は難儀だ。車の色は白だが、屋根やボンネットには、花粉が積もり、薄黄色になる。洗車を終え、水気を拭き取ろうとすると、すでに花粉が付いている。マスクをしていても、くしゃみが出る。どうしようもない季節が続く。耐えるしかない。そして、杉の花粉が終わる頃には、檜の花粉が飛ぶ。4月までは花粉の季節だ。

実験段階だが、杉の木を伐採しなくとも花粉の飛散を防止できる方法を発見したという。植物油を散布すると、雄花が育たないとのこと。散布の方法はヘリコプターでの空中散布。しかし、わが家のように、森林と家が近接する場所は散布できないのではないかと心配だ。よい方法を発見してもらいたいものだ。

杉の雄花を写真に収めた後、家に帰ろうとした。もう、大分前から存在していたのだが、入り口のアーチの下のプランターに植えられたハボタンに目が留まった。


真ん中が赤紫で周囲が白と全体が赤に近い赤紫のハボタン。外周の緑の葉はキャベツぽい。

嫌な杉の雄花を見たからだろうか? キャベツの仲間なのに葉が色づき、まるで花のようだ。ハボタンは食べられるそうだが、キャベツほどおいしくないという。また、虫が付きやすく、育てるのには農薬を必要とするので、食用としない方が良いとのこと。

しばらくハボタンを鑑賞した後、パタパタと衣服を掃って家の中に入った。玄関に入るや否や大きなくしゃみが出た。
花粉が鼻に残っていたのか? あるいは、たわわに垂れ下がった杉の雄花を思い出したからだろうか? くしゃみの確かな原因は分からない・・・・。
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日本の領土なのに米軍の承認を得なければ、日本の航空機が飛べないという「横田空域」の存在。

2019-02-04 22:00:11 | 日記
2020年東京五輪・パラリンピックに向けた羽田空港の国際線増便のため、米軍に管制権がある「横田空域」を一部通過する新たな飛行ルートについて、米国と基本合意した」と1月30日に内閣官房副長官が会見で発表した。

私は今まで横田空域とは、横田基地周辺や有事の時に米軍機が自由に飛べるものと思っていた。しかし、「横田空域」とは、伊豆半島から新潟県に至るまで広大な日本の領土なのに、この空域は米軍に管制権があるということを知って、驚いた。ほかに「岩国空域」もある。かつては「嘉手納空域」があったが、2010年に返還され沖縄空港が管制することになったという。

「横田空域」内を飛ぶには、米軍の許可が必要なので、日本の民間航空会社は、この空域を飛ばないようにするため工夫を強いられているという。管制外のエリアを迂回するか、米軍の管制する高度は7,000mまでなので、その上空を飛ぶなどだ。

そもそも、これらの空域を米軍が管制するようになったのは、「日米安保条約」とそれに基づいた「日米地位協定」による。また、わが国の「航空法」の第6章には、「離着陸する場所」「飛行禁止区域」「最低高度」「制限速度」など航空機の安全な運航を定めた章がある。しかし、航空法特例法というのがあり、米軍機と国連軍機については、航空法の第6章の規定は適用しないとなっている。

日本領土なのに米軍が空域を管制する。日本の飛行機が飛ぶためには、米軍の承認がいる。
沖縄だけでない、一部分だが本土も米軍の統治下にあるといってよい。戦後は終わっていないということを、思い知らされる。韓国との慰安婦や徴用工問題。ロシアとの北方領土問題。いずれの問題も先の世界大戦がもたらした歴史なのか・・・。

だが、嘆いているばかりでは、いけない。
今日は立春、中国では2月5日が春節だ。ニュースで中国からの観光客が増えていて、かつての爆買いからスキーへと関心が移っているとのこと。
各国との間には、硬軟様々な課題が山積するが、厳しさのなかにも“和”もって対応していくしかないと思う。

10代前半の頃、砂利道の国道を米軍の戦車などの軍用車両が、隊をなして数百mに渡って堂々と止まっていた光景を思い出す。私は“give me chocolate”とは言えなかったが、友達は隊列の下に近づきチョコレートを貰っていた。
また、当時は米軍東富士演習場から「ドーン」という大きく鈍い爆発音が、箱根山を越えて、不気味な間隔で聞こえていた。

これら米軍の隊列の映像と爆発音の音響のイメージはいまだに忘れない。
昭和が去り、平成が終わっても、海外諸国との課題は解決されないまま残ってしまうのだろうか?
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大リーグ時代にModesty(慎み深い)と称賛された松井秀喜さん。(NHKスペシャルより)

2019-02-03 20:49:54 | 日記
今日、昼食の後、こたつで寝転んでいたら、午睡をしてしまった。目が覚めるとNHKテレビで、「あの日あの時あの番組」というアーカイブ番組で「「シリーズ平成 躍動!日本人大リーガー」と題して流れていた。2003年に放送されたものを流し振り返る番組だった。眠気覚ましにみていたら、引き込まれてしまい最後まで見てしまった。

内容は、松井秀喜選手としてが大リーガーのヤンキースに入団した年の1年を作家・伊集院静さんの視線で追い続けたものだ。平成30年間に起きた出来事を振り返るシリーズの3回目。平成の時代、日本のプロ野球選手が、次々に海を渡って活躍し、大リーグへの関心が高まった。その立役者のひとりである松井秀喜選手の苦悩と活躍の1年を追っている。伊集院さんの文章と映像で表現されていた。当時の画面比率は4:3であった。左右の幅が狭い映像が、時代を感じさせ懐かしかった。

松井さんもレポーターの伊集院さんも16年前の姿だったはずだが、私にとっての松井秀喜選手は、当時のままだ。失礼かもしれないが伊集院さんの現在はそれなりの年月を経た姿だった。

アメリカファンも期待した。しかし、5月に無安打が続く不振状態となった。球団は、高額のお金を払ったのに活躍できない松井選手を非難した。松井選手は耐え続け、ひたすら打席に立つ。守備ではファインプレーを見せるなど、次第に松井選手の努力を評価するようになってきた。

伊集院さんが、松井選手が好きだというアメリカでのちびっこファンに、共通する傾向があることを見出した。松井選手のちびっこファンは、どこかシャイな子供たちが多い。それは、松井選手の“やさしさ”がちびっこの心に響いたからだろうという。

さらに、メディアでも松井選手を評して、
“Modesty”(慎み深い)人だと称賛するようになった。今まで大リーグにはいなかった選手だと。打順が7番に下がってもひたすら試合に出る。松井選手の努力と謙虚さが評価されたのだと伊集院さんはいう。

このアーカイブの映像が終了してから、現在の伊集院さんと司会の森田アナウンサーが、このアーカイブ映像を振り返り、2年目以降の映像も流しながら、新たなエピソードを交えコメントしていた。


松井さんは公表していないが、難病の治療のために密かに寄付をしたことなど、思いやるところもあったようだ。

そして、巨人に入団したときの記者会見を伊集院さんは評価した。「ほとんどの選手は、成績目標をあげるなどを豊富として述べるのだが、松井選手は、“子供たちが野球を楽しんでもらえるように頑張りたい”というようなコメントをした」。

松井選手がヤンキースに入団した時、ワールドチャンピョンは逃したが、ワールドシリーズへの挑戦する試合で、ヤンキースが5対3で負けていた。チームメイトのヒットで松井選手が、滑り込んで同点のホームを踏んだ。松井選手は起き上がるや否やひざを曲げ宙に飛びあがった。伊集院さんは、このような表現をしたのは見たこともない。このとき限りだろう。

大きく口を開け(何かを叫んだ様だ)ひざを曲げ宙に浮く松井選手の静止画は、私の脳裏にも残っている。2003年に放映されたときのタイトルだが、「松井秀喜 ベースボールの神様に抱かれて」を現している姿だ。伊集院さんも「神様が吊り上げているようだ」と評していた。

小学校中学年の時テレビを見た。野球中継はいつも見ていた。私はスポーツ音痴で、稲狩りが終わった後の田んぼで、平手で打つゴムまりの三角ベース野球をやるのが唯一の楽しみだった。だが、父由来の巨人フアンであることには違いない。今は、野球中継は殆ど見なくなったが、弱くても巨人を応援している。

いつか、松井秀喜さんが巨人を率いて、日本一を奪還して欲しいと願う。そして、単に強いだけでなく、Modestyな監督として!
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