日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

ママ友との忘年会で政治を語る愚を思う

2012年12月29日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
昨日は久々に以前住んでいた世田谷時代のママ友達と飲んで楽しんだ。
簡単に言うと、忘年会!

メディアにもちょいちょい出ている「世田谷子どもを守る会」の代表を勤めている瀬田さん宅でママ友6人が集まった。楽しかった~。

が、3:11以降放射能汚染から子どもを守るという高尚で切実な活動を続けているその瀬田さんが、本日ラインにて「友達に自分の活動を否定されて落ち込んだ」というような、メッセージを発信したのでビックリしてしまった。

日頃、Twitterやfacebookでガンガン、原子力村批判や脱原発発言をしている彼女にとってラインで発言するなんてのは、おちゃのこさいさい。
「・・・・こども守る会の活動でクリスマスに70万円の募金をいただき、福島の養護施設に届けました。三角形のトップにいる皆様には分かりにくいかもしれないけど、底辺の弱者がますます困るような社会ではまずいと思うんだよね。1対99の構図。。。
政治家にお任せするだけじゃなくて、いつも市民は見てますよ、より良い仕事頼みます、と発信したいだけなんだよ。
世田谷の区政や区議会とは案外仲良くやっていて、市民の声でこれだけ変わるし、動くんだ!と実感してる。だから、友だちに否定的に言われるとへこんじゃう~💧」
(一部抜粋)とラインで主張してくるとは。
確かに彼女は立派である。
ただし、自分の活動成果を言わなきゃ(ラインで忘年会参加者全員に発信)気がおさまらない、その我の強さのほうがむしろ気になった。慈善事業はとかく売名行為に思われがち。だから、人しれずこっそり誰からの賞賛も求めずやるべきことなのである。せっかく立派な活動をしていても、人が親切心でアドバイスしたのを「否定」されたと勘違いして憤慨したり落ち込むとしたら、それは自分自身のために行動しているにすぎず、真からの慈善活動とは言えない。その「子どもを守る会」を通して「私は実はみんなに褒めてもらいたいの、すごいでしょ、私」と言っているように見えてしまうのもその自己顕示欲が全面にでてしまうからだ。まあ、区長から区議選出馬のお誘いもあるのよ、とまんざらじゃない感じで言うので、心配になったのだ。彼女は私と同じクリスチャンなので慈善活動も心からしているのだと思う。ただ、慈善活動や放射能から子どもを守るという活動が政治家になるための売名行為となれば、それはまさしく偽善でしかなくなってしまう。

つまり、彼女が子どものための活動を自分の(認められたい欲を満たす)ための活動イコール政治家になる、にすりかえてしまったら、それは権力欲や顕示欲に負けたことになりはしまいか?
本人はあくまでもそれを認めず、弱者擁護のため、人のため、と主張するだろうけど。テレビに出る(私の知り合いの編集者がシースルーのブラウスでテレビに出ていた彼女を批判していたなぁ)だとか、やれ寄付したとか、区長とは仲がいい、なんていちいちSNSを使って言わなければ尊敬されるのに。タレントじゃあるまいし、残念すぎる。有名になることをはしゃいでるように見えるから損なのだ。心配なのだ。

政治家(この場合保坂世田谷区長)が市民の味方だと世間にアピールする絶好のチャンスが「子どもを守る会」を応援することだったに違いない。震災後、放射能被害というのはニュース性が高く、マスコミが取り上げるにはかっこうのネタだった。そういう側面が、彼女のいうところの「市民の声」を通りやすくさせていた点は否めない。私には、純粋な母達の思いが政治的に利用されただけの茶番に見えた。だいたい放射能汚染の真の(真の、を強調)実態がどうなっているのかすらあやふやだ。風評被害で苦しめられた人々も多かろう。とにかく、市民活動が実を結んだと単純に思い込むそのナイーブさが心配で、友情からアドバイスしたつもりが・・・。なんと、翌日にはそのことが気に食わなかったのか、ラインで突然の悪者扱い。"自分は弱いものの味方だけど皆様は社会構造における三角形のトップだから(そんな慈悲もないでしょう、と皮肉りたかっのか)・・・と私の言った内容を独善的に飛躍させつつ、養護施設に献金するお金まで集めたのに! 否定的なこと言われてヒドイ、落ち込んだ~"と一方的に反撃されてしまった。そもそも、ラインにアップされた彼女の主張だけ見れば、「瀬田さん、なんて可哀想」てことになるよね。否定した側の人間は冷たいブルジョワ達かのように皮肉っているし。私は日本のヒエラルキー(三角形)の頂点(トップ)は天皇である、と言ったのよ。そもそも、その頂点にいる天皇は福島をご訪問なされたけど、「子どもを守る会」で福島へ慰問に行ったんかい! 行ってないはずだ。

「市民活動家出身の政治家は権力握ると独裁者になりがち。歴史がそれを証明している」と言ったのを「市民活動家は危ない」とラインでやけにはしょって書いてくるし。まさか自分を市民活動家と思っていて、将来独裁者になると言われたとでも、勘違いしたのだろうか? 他にももろもろ私の言ったことを歪曲した感じで並べあげ、前述の抜粋文に繋がっていた。文は「皆様」と始まるので一件参加者全員へのメッセージかと思いきや、内容は私への個人攻撃なのだ。アドバイスや意見を言ったのは私だけじゃないのに私の言った事だけ取り上げてあったんだもん。もはや、これって友達のすること? 私に直接電話なりでいうべきだ。恐るべしネットの申し子!勢いや感覚だけで、個人攻撃を発信しないで欲しいなぁ。それも攻撃された本人だけがすぐわかる狡猾なやり方でラインにアップするなんて‼
さらに、だ。私以外の参加者全員が、「美樹ちゃんのこと尊敬してる」とか「応援してる」とかラインで打っていて。彼女の落ち込んだ、というメッセージに反応してママ友たちがヨイショ、及び瀬田さんへの応援のメッセージを出してるんだよね。真面目に心配して、政治に巻き込まれないようにとアドバイスした私は完璧にピエロ、いや、瀬田さんを落ち込ませた悪人になってしまった。ホントに吐き気がしそう。まっ、活動に没頭する瀬田さんが家庭をギクシャクさせている感もあり、「よくやるよね~」という思いは個々のママ友が抱いている本音かもしれないが。アドバイスなど無駄だと知りつつも、友だちとして見捨てられないという思いからあえて苦言を呈したのに。思いやりがアダとなるなんて⁈

さらには、ラインに参加しているメンバー全員が参加するわけではない新年企画を、わざわざ出したりしてさ。誘われたって行かないけど、私のように誘われてない人間はラインを通して寂しい思いをするだろ! 周囲の友達にさえちょっとした思いやりが足りないのに、 ほんと、それでよく弱者のために「子どもの会」をやってるなどと言えるもんだ。

と、たかがライン上のやりとりでママ友の核心的本性が分かってしまうから恐い、恐い。

言ったもの勝ち、と無責任がはびこるネットの世界で、真偽などは判断しようがないね。(つまりこのブログも真偽は?てことだけど。私は大学でジャーナリズムのゼミを取ったので、虚偽は許せない)

瀬田さんからのラインを読んだ瞬間、
夏に家族でヨーロッパ旅行したり、そこそこ派手な生活をしているように見えるので、底辺の人々の苦しみが本当に分かるんかい~!
と揶揄したくなった。本来は謙遜して、「こういう活動ができるのも家族のおかげ、感謝よ。微力だけど、頑張る、分かってね~」くらいにしときゃいいものを。まっ、さらに反論しても聞く耳持たないだろうから「御礼と幸せを祈る」内容のみの返事をライン上に出しておいた。

瀬田美樹さんの活動の真価は今後10年くらいみないと、本当には分からない。消費者団体や市民の味方をことさらアピールする必要のない区長に変わった時が、正念場だ。引き返せなくなる前に、よく考えようね!と言いたいだけなんだけど。覚悟出来てるんかい?と。

とにもかくにも悔やまれるのは、忘年会で政治の話をしてしまったことだ。
それもこれも彼女が自分の顔写真が載った朝日新聞の囲み記事を嬉しそうに見せ「市議会選に子どもの会から候補者を出せ、と言われているの」と言ってきたり、「保坂区長とメールでやりとりするくらいだもん、すごいよね」などと彼女を持ち上げるママ友がいたりしたからだったのだが。

彼女がクリスチャンでなければ、ことさらアドバイスしなかったかもしれない。彼女が人や政治を動かせたことから湧き出たいっしゅの権力欲や名誉欲に絡め取られつつあるとしたら、それは聖書のみ言葉(下記参考)に確実に反する。それで心配になってしまうのだ。悪魔はその人間の内側にある欲を刺激して、聖書の言葉(神)から人間を引き離そうとする。破滅は自らが自らの欲に負けて起こるものだと思うから・・・

「見てもらおうとして人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときは、偽善者たちが人から褒められようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
施しをするときは、左手のすることを右手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」(マタイ6章1~4節)

ただ、その同じ聖書で、

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」とあるから
瀬田さんのことを「クリスチャンとしてどうのこうの」と先輩づらして言うつもりはない。裁きはしない。

ただただ忘年会で政治の話をしたことを、心より反省するばかりである。

あっ、私の2012年は占いで人間関係がボロボロ、と出たと兄から言われていたが、ほんとうだ。翌年まで残りわずか3日にして、こんなことが起こるとは。お酒の席で、政治と宗教の話はしない方が絶対にいいよね~、を来年の教訓としよう。友として瀬田さんを温かく見守れるほどの器ではないけど、遠くから物言わず心配している他なさそうだ。
「さらば、友よ。」
と自分の心がうなだれている。
愛がなければ、何事も意味がない。
私の姉妹愛(女性のクリスチャン同士は姉妹と呼びあう)も彼女には通じず・・・! ただそれは私に愛が足りなかったせいかもしれないのだ。

追記
この事件から10年経つがいまだに瀬田さんとは会ってない。友情というのは違いを認め合って尊重するものだが、ママ友の付き合いに友情を求めるのは難しい。違ったから離れた、というのが本当のところ。でも、そんな事が出来たことが私にとっては大きな岐路だった。意に沿わない事をしない日常は、会いたい人にしか会わない心地よさを生んだ。おとなげないが、大人になる必要ってある?





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