毎週一回は私が仕事休みの日に長女とクリニックにお出かけします。その後にランチをします。ああ、また太るわぁ、といいながらも美味しいものを美味しそうに食べている姿を見ると嬉しくなります。
電池が切れるまでという本を昔読みました。友人に貸してもらった本だったから手元にはありませんが、なんとなく覚えている所があります。
結婚するしない、子供をもつ持たない、自由な選択がありますから、その人が望む形を各自が祈ったり望んだりします。
子供を欲しいと願う親がいるとします。
授かるまでは、赤ちゃんが来てくれますようにと祈ります。今は医学も進み色んな方法で望みを叶えようとします。
そして、授かると、親は子供が産まれてくるまでは、どうか元気でと祈ります。
生まれてきて、もし障害を持っていたら、この障害が無くなりますようにと祈ります。
しかし、それも叶わないとわかったら、これ以上悪くなりませんようにと祈ります。
しかし、それも叶わなかったら、命だけはと祈ります。
そして、命を願っても叶わないとわかったら、せめて一日でも長くと祈ります。
そして、電池が切れるまで、、、という話でした。
ちょっと暗くなりますね。
しかし、反対のケースも考えてみました。
子供は無事に産まれてきたとします。
最初はほっとしてますが、段々と思い通りにいかない育児に力がはいりヘトヘトになります。
また、少したつと、発達が遅いの早いの周りの声が気になったり、言葉が達者とか、そうでないとか、賢いの、賢くないの、色々気になります。
成長するにつれて、さらに、ああだこうだ、もっとこうなれば、ああしたら。こんなんじゃ困る。競争のラットレースにはいります。
そして、大切なことを忘れます。
生まれてきてくれていることだけでもありがたいということ。
段々と言葉にしてなくても、ストレスを感じる子供は電池が切れそうになるのかもしれません。外の空気を読む事が出来るかどうかの要因も絡まります。目に見えない障害があったりするとなおさらです。
電池が切れる前にくいとめる事が出来なかったら、本当に壊れてしまいます。
本で読んだケースと、私が考えたケースは逆のようでもありますが、今を無理に変えようとすることで、無理してさらに電池が切れるまで苦しむとしたら、ケースは違うけど同じかも。電池が切れる事がわかってたら、今をもっと大切にしたのにと悔んでも仕方なくなります。
娘がクリニックに行き、私は色んな反省をしました。ただ、こんなふうに美味しいと言いながら私とランチをしてくれる今がとても幸せです。
私も少しは変わったんだと思います。
知らず知らずのうちに、電池が切れかけるまで頑張らないとと感じさせていたのかもと反省します。身体が悪くなるまで思い詰めたり、頑張らなくていいよと言ってあげなかった。
私は、頑張って頑張って生きてきた世代です。そして、頑張っても虚しくなることを私なりに経験もし、それでも歯を食いしばったこともありました。
しかし、そんなことは苦い経験でしかなく、私の価値観が古いと最近若い子達(娘と同年代)と話すと気付かされます。私は若い世代の子達と話す機会に恵まれています。
クリニックのお世話になりながら充電中の古いタイプの娘は、電池がなくなりかけてダウンしたけれど、もっと気楽に、ゆっくりゆっくり充電してもらいたいです。そして、私はこの充電中の今を大切にしたいです。