これは、脳の病を患い一瞬天国にいき、手術が成功しこちらの世界に戻ってこられた飯田史彦先生が、自分に起こったことについて神から送られたメッセージです。
起こる出来事は自分が望んだ?こと。
いや、まさか!
こんなん望むわけ無い無い。
そう思う場合もありますが、
多分あちらの世界にきちんと寿命まで生き切って行くと、明らかになるんだと思います。
神様との約束を忘れているだけ。
生まれながらに障害をもって生まれてくる命があります。この世で学びきった魂が最終段階でそのようになる事があるといいます。
本人が障害と共に生き抜くことで味わう様々な経験をもって、更なる魂を成長させるか、もしくは、もうこの世では、学ぶことが無いほどの魂であるため、自らの存在をもって、他者の魂を成長させることがあるそうです。
私は、霊感とかないし、神の話を直接きいたことないし、因果とかもあるだろうし、わからないことだらけだから、自分に合う本で学びます。
何でこんな事が?って思うことがたとえ起こったとしても、その経験から学び成長すればよいだけかもしれないなと最近は思ってます。
ふーんなるほど、そうきたかぁ、ふんふんふんふんと、答えのない問題が出されたら臨もうと思います。
未来は白紙とよく言います。
運命はあると思いますが、解答用紙は白紙です。様々な運命や、宿命の中、今の心を白紙の解答用紙に記しているんだと思います。
実はその問題を課すことを納得して望んだのも実は自分自身だったりして。
あなたの未来占いますの、占いが正直苦手です。人の解答用紙に勝手に書き込むような行為だと思います。「埋めといたよ、嘘もあるけど、埋め賃はハイいくらっ」てな気がしてならない。
自分の解答用紙は自分で埋めてこそ価値がある。
この世に生まれてくるチャンスをいただけた際、頑張って果たして来ますね!と神様と約束したんだと思っています。
しんどい時なんかは、なかなか作問頑張りましたねぇ、もうちょいお手柔らかにしても良かったのではないでしょうか?
と俯瞰して見てみる。
テストで簡単にいかない問題や、作問者にオイそこだすかい!?と突っ込みを入れたくなるような意地悪問題に直面した時の事を思いだします。
勉強したのに悉く外れた時、那智の滝から落下したような気分になりましたから。
しかし、人生のテストは時間ギリギリまでかかっても、諦めない気持ちと、諦めるなら、なるだけ明るく諦める気持ちでいようと思っています。
この世では、
わかりません、頑張ったけど解けませんでした、鉛筆転がしに頼る気持ちになるかも、だけど最後まで臨んでみますね。
諦めって、なんだかポジティブではない気がしていたけれど、
仕方ないわぁ、自分の成長のために起こったことなのねぇ、
自分が望んだことなら観念して、
ただ明るく内なる神様と一緒に経験しようと思います。
生きるのはあっというまだから最期まで生きる。
これだけは大切ですね。