ある方のブログを以前拝見していると、災害で倒壊した古い石碑を修復されていました。
物は時間の経過や環境により壊れていくものなんだなぁと思いました。
それを修復されていました。修復する際、古碑に心棒が入っているのを発見されたようです。珍しいことのようでした。(古碑修復で検索できます。)
石碑を倒れさせないような工夫なんですね。
心棒とは、物の中心に入れる棒。特に、回転軸。比喩的に、活動の中心となるもののようですね。人の身体の真ん中の軸、脳髄も中枢ですから。
心棒を、身体の真ん中の所に人も皆いれていて、辛抱や忍耐を経験する時に活発にくるくる回りながら良い状態にもどるように働いてくれているのかも、なんて思いました。その状態は以前より強くなってグラグラしなくなって良くなるはずと思っています。
妹が斎藤ひとりさんを好きで、この動画いいよってたまに送ってくれます。ひとりさんは、いいます。
私は愛と光と忍耐です。と。
愛がない人は、愛を唱える時、どっか違和感があるみたい。光がない場合は、光を唱えると、違和感が、そして忍耐がない人は、忍耐を唱えるとそこに違和感があるようです。
心棒は、辛抱。忍耐。
生きる時、必ず誰しも経験します。
心棒が真ん中にあるなら、支えて貰っているはず。倒れかけても、優しく修復してもとに戻そうとしてくれる周りの人もいる。優しさには個性があり、笑わしたり、祈ったり。
石碑を修復しているのを見たり、津野山の神様を復活させようとする故郷の人の話を聞くと、この世は素敵な所だなぁと思いました。
神様の辛抱を自分のこととして感じとっている行動です。
心棒は真なる棒、神望かも。どんな時も神様は一緒にいてくださる。
辛抱、忍耐は人が生きる上では避けては通れない気もしていて、自分を真に強い棒軸に鍛えてくれつつ、それは、神様が望んでいる事のようにも思います。