大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

大国魂神社

2021-04-25 06:32:00 | 神社仏閣

昨日の大国主命つながりで、今日は大国魂神社について書いてみようと思います。結婚した際に住んだのが東京都府中市の大国魂神社の近くだったので、今では氏神様としてお祀りしています。


ただ、この神社をずっと氏神様としてお祀りしていたわけではありません。私は高知だし、夫ももとは九州でかつ転勤族の家で転々としていたので、関東に住むようになってどこを氏神様として祀るのかわかりませんでした。お正月に参拝に必ずいく明治神宮をずっとお祀りしていました。


山さんから、お山の神様に謝罪した後、氏神様に今回の謝罪が出来たことのお礼をしてくださいといわれ、私の家の氏神様は何処なのかを帰りの車で山さんに聞いてみました。


山さんがここですと即答したわけではありませんでした。明治神宮から始まり、今住んでいる場所周辺の神社を私が片っ端から言って、ここですか?と尋ねる形です。全て違う、違う、と言われました。


携帯で検索しながらエリアを広げて、20社位違うと言われた後、携帯にでてきた、六所神社を尋ねました。「そう、そこです。」と山さんは答えました。


私がその時感じたのは、

「えっ、ホント?六所神社?それどこ?」

でした。


朝、山さんに初めて会った印象は凛として雰囲気からこの方は良い人に違いない、でした。真剣に神様に謝ってくださっている姿は本物だったし、言葉に嘘がある方にも思えませんでした。


だから、帰りの車で、あー余計な質問してしまったかなぁ、分からなくて返答に困ってるんだ。嫌な質問してしまってゴメンナサイ。と失礼にも思ってしまいました。


しかし、山さんから言われたし、行かないと落ち着かないので、住んだ事も行った事もない遠くの相模国六所神社に電車バスを乗り継ぎ行きました。




素敵な神社でしたが、やはり、ここが氏神様?ホントかなあ?とピンときません。


お札も買いましたがハテナ?が渦巻きます。なんか違うなぁという感じでした。その日六所神社にお詣りしてから家で調べていると、やっと辿り着く神社がわかりました。


六所神社は六所神社でも、相模国六所神社でなく、昔、武蔵国六所神社と呼ばれていた大國魂神社だったのです。




天啓に打たれるとは大袈裟ですが、大国魂神社は府中市にあり、何度も足を運び、若かったので、参道なのに散歩気分で当時は乳母車を押しながら歩いていました。


大国主命が御祭神であるほか、この神社には様々な摂社がありました。夫が大阪で生まれた時お宮参りした大鷲神社と大阪一宮の住吉神社がともにまつられていました。龍神様の摂社があったり、鶴石亀石があったりと、親しみが持てる神社です。




今は府中市には住んでいませんが、この神社の八方除御守りを夫は好きで、毎年このお守りを買いに神社に行っていました。


山さんの教えてくれた六所神社は大國魂神社だったんだと腑に落ちて、それからは明治神宮と大國魂神社の両社でお正月は御祈祷をしています。


ところで、夫お気に入りの八方除お守りとは、八方が塞がることも八方が広がるのも全て自分の心掛け次第というお守りです。夫の座右の名です。子供達にも渡しています。






全てが自分の心掛け次第、誰のせいでもないと思えると良いですね。なかなかそう思えない事もこの世を生きているとあります。腹がたつと、人のせいにしたくなります。しかし、そういう自分の心をまた、俯瞰して見なさい、という事かもしれないと思いました。


お守りに守ってもらうのではなく、お守りにより、自分を俯瞰して見つめる視点を持つ、お守りってそういう視点もありそうです。


少彦名神 優しい神様

2021-04-24 05:42:00 | 神仏について

一寸法師のモデルとされる少彦名神は、国造りの途中で常世の国(海のはて、海神の国、蓬莱島?)に帰ります。


こんなエピソードがあるようです。

大国主命

「色々苦労したが、この国もよくなってきたよな。」

と言うと少彦名神は

「良いところも沢山あるが、良くないところも沢山ある。」

と言い、ある日突然、大国主命の元を去ってしまったのだそうです。


少彦名神は高天原の使いだから、帰る時が決まっていたのでしょうか。もしくは、色々我慢していたこともあったのでしょうか。


優しい人は我慢して、いいよーいいよーと何でも引き受けます。いいよーの裏側にホントは我慢してるけど、、、という事もあったりします。いいよーといつも優しかったり、許してくれる人は、平和主義で喧嘩しないぶん、我慢の限界まで我慢してしまう。自分が持たないとわかると言葉スクナく去るのです。


去られた方は辛い気持ちを味わって初めて、その優しい人の気持ちを裏切っていた自分にきづく、こういう事は人間関係にもある気がします。


少彦名神は言葉スクナに、時にはヤンチャに、黙々とやるべき事をやり、名をあげるわけでもなく、さっと現れてスーッと消えていきました。大国主命にとっても、いる事が当たり前過ぎたのかもです。居なくなるとその存在の大きさと、自分の心の弱さに気づいてしまう。


しかし、やはり日本の神様、少彦名神が去ったのは、嫌になったからではなく大好きな大国主命のさらなる成長を期待しての深い優しさからだと思いたいです。


獅子の子落としです。少彦名神は小さい身体だけれど、心は獅子。常世からの使者。大きな名前を持つ大国主命を大切に思っていたから、名前にも相応しい男になるよう更なる期待を込めて去ったのかもしれません。


少彦名神がいなくなってからどうしてよいか分からなくなり、大国主命が一人苦しんでいる時、海を輝き照らす神様が現れます。


大国主命は「そなたは誰だ?」と問います。すると、その神は「我は汝の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である。丁重に祀れば国造りの協力をしよう。」と言います。


幸魂はで奇魂はを表します。


また、「思いやりと相互理解を図り、分析観察力で真理を探求しなさい。善を促す己の心を信じよ。そうすれば身も心も一体となり、事は成せる」と言いました。


汝のということは、大国主命の内なる神様ですね。


どのように祀ったよいのですかと大国主命がたずねると、


 「大和の国を青垣のように囲む山々の東の山の上に、身を清めて祀るがよい


とお応えになったそうです。その言葉に従い大和の三輪山にその神様をお祀りしたようで、この神様が奈良県の大神神社に祀られているオオモノヌシ神です。森羅万象に宿る目に見えない力を象徴している神様なのだそうです。





そのお言葉に従い、大国主命は更に強くなりました。葦ばかり生えた大地も水穂(瑞穂)の実る国土となったようです。大国主命は心の声に従いました。


思いやりと相互理解を図り、分析観察力で真理を探求しなさい。善を促す己の心を信じよ。そうすれば身も心も一体となり、事は成せる」


この言葉は、私の心にもとても響きました。


おわり


【画像はスクナビコナノミコト画像検索、大神神社画像検索より】


一寸法師 小さな神様

2021-04-23 05:51:00 | 神仏について

龍宮の乙姫やかぐや姫、鶴の恩返しは常世からの使者だという事について書きましたが、日本昔話しの一寸法師も繋がりがあります。


一寸法師というか、一寸法師のモデルとされる神話の小さな神様スクナビコナ様に関係があります。


スクナビコナ様は大国主命を助けた神様ですが、常世の国(一説には龍宮、蓬莱島)に途中で帰った神様です。


まず、日本昔話しに出てくる一寸法師のお話から紹介します。


子供のない老夫婦が子供を恵んでくださるよう住吉の神様に祈ると、老婆に子供ができます。しかし、産まれた子供は身長が一寸(現代の3cm)しかなく、何年たっても大きくなりません。子供は一寸法師と名づけられました。


ある日、一寸法師は武士になるために京へ行きたいと言い、お椀を船に、お箸を櫂にしい、針を刀の代わりに、麦藁を鞘(さや)の代わりに持って旅に出ます。


京で大きな立派な屋敷を見つけ、そこで働かせてもらうことにします。その家の娘と宮参りの旅をしている時、鬼が娘をさらいに来て、一寸法師が娘を守ろうとすると、鬼は一寸法師を飲み込みました。


一寸法師が鬼の腹の中を針で刺すと、鬼は痛いから止めてくれと降参し、一寸法師を吐き出すと山へ逃げてしまいました。


一寸法師は、鬼が落としていった打出の小槌を振って自分の体を大きくし、身長は六尺(182cm)になり、娘と結婚した。御飯と、金銀財宝も打ち出して、末代まで栄えたといいます。


以上


一寸法師は小さいという点では神話のスクナビコナ様がモデルのようです。


スクナビコナ様という小さな神様は大国主命を助けて国造りをします。「スクナ」と「オオ」との大小の対比が絶妙です。大国主命はスサノオ尊の義理の息子にあたります。


スサノオ尊は、八岐大蛇を倒して祓い、スサまじく地上の人を助けました。今も色んな所にお隠れになりながらも陰で人々を助けていらっしゃるのかもしれません。


オオナムチ(大国主命の別名)はお兄さんにいじめられたり、根の国では、将来の義理の父になるスサノオ尊に色々試されたりしながらも、何とか男を磨き、大国主命として日本の国造りをしはじめます。それを様々な方面から助けたのがスクナビコナ様です。


このスクナビコナ様は、国造りの協力神、常世の神、医薬の神、温泉の神、まじないの神、酒造りの神と様々な呼ばれ方をしていてめちゃくちゃ多才です。



スクナビコナさまの多才さは、小さな国に住む、細やかな日本人の多才さと通じます。体力、腕力の方面では全く活躍できませんが、その小さな身体には数々の知識が詰まっていました。

 

スクナビコナ様と大国主命の出会いは大国主命が出雲にいる時です。大国主命が名前を尋ねたけれど名乗らなかったみたいです。不思議に思った大国主命がヒキガエルに聞きました。




カエルは「クエビコ(=かかしの姿をした田んぼの神様)なら必ず知っている」と言ったので、クエビコにきいたところ、「この神様は神産巣日神(カミムスビノカミ)の子、少彦名神(スクナビコナノカミ)です」と大国主命に申し上げたようです。




大国主命は意地悪な兄から命を奪われたとき、高天原で神産巣日神により助けてもらっていましたので、スクナビコナ様を心から信頼しました。


また、田んぼの神様繋がりで、中国に神農と呼ばれるとても偉い神様がいます。医療と農耕の神様のようですが、この中国由来の神様は、スクナビコナと縁があるようです。実際、大阪では今も神農とスクナビコナは共に祀られているようです。




お空で一緒だったのでしょうか。


あなたは、おっきいから中国をよろしく、私は小さいからから日本で頑張るね!とか言って分担したのかも?

高天原では、地球の農業の基礎を作る使命を同じくした仲間だったのかもです。


 実は、この神農は古代中国の皇帝だったと言われていて、その姿はなんと牛の頭もしくは角を生やした人間の姿で、手には金属製の鞭を持った姿で描かれているようです。牛の頭ときいたら、牛頭天王=スサノオ尊を思ってしまいます。




この神農は中国で最高神である軒轅(けんえん=天帝)に負けて覇者の座を追われたそうです。少し、天照大神とスサノオ尊、天津神と国津神の関係と似ていますね。


世界の様々な神様は色々繋がっているのかなと思いました。


国造りは、スサノオ尊が大枠をつくり、その後大国主命とスクナビコナ様が引き継ぎ2人は色々面白いエピソードを残しながら仲良く頑張ったのです。山陰、山陽、四国、九州の神社には色々二神の国造りの痕跡があるようです。


四国の温泉といえば最古の温泉、愛媛の道後温泉があります。この温泉の開湯にも大国主命と少彦名神が関わっているようです。


二神が出雲から伊予へと旅していたところ、スクナビコナ様が突然の病に苦みました。大国主神は大分の湯を道後へと導き手のひらに温泉を作り少彦名神をそこへ浸して温めました。


スクナビコナ様は大国主命のおかげで元気になり立ち上がりました。その時、踏んだ石の足跡が残りました。その玉の石は道後温泉に奉られているみたいです。



日本最古の温泉、道後温泉は宮崎駿監督の映画、「千と千尋の神隠し」のモデルの温泉です!日本のアニメは世界でも凄い人気です。日本は、世界に誇る温泉文化と日本神話の繋がりがあったりするなんとも奥ゆかしい国ですね!

つづく


【画像はスクナビコナ、クエびこ、一寸法師、牛頭天王、道後温泉画像検査より】



神様試験

2021-04-22 06:10:00 | 十里桃花

昨日、罠についてかきましたので、その関連で久しぶりに、私がはまった中国の神仙のドラマ十里桃花について書いてみます。


神界でも一目置かれる偉い神様が修練のために人間世界におりる際、それは辛い試練が人間世界で用意されます。


例えば、自分の信じる唯一の寵愛する美しい姫が自分の息子と関係を持ったと疑えるほどの場面に遭遇したりするのです。


かなり現実に起こるとドロドロですね。そこをよりにもよって見るかなぁ、?と突っ込みどころ満載ですが。


ただ、ドラマでは、寵愛する姫も息子も縁者であり神界からの使者でした。姫においては、やりたくない役をその神様の修練のためにやれと言われ、泣く泣く嫌々引き受けるのです。


ドラマだから悪役をやるからといって悪人ではないとすぐわかりますし、美しい姫が可哀想にも気の毒にもなります。


これと同じ事が実は自分の周りにも起こっているかもしれません。


例えば、ある人が陰謀や嫉妬により酷い状況に陥れられたとします。その人の弱い部分を克服させるために、意地悪役の人達は演技をさせられたとします。


ただどっぷりドラマの主人公になり、その人は被害者になりきって、寝ても覚めても悲しくて腹をたて絶望し暗闇に落ちる状況になります。誰も信じられないとその人を助けようとする優しい人にも心を閉ざします。


その意地悪な人達は筋書き通りの演技をしただけで、お役目果たして涼しい顔をしています。被害者役であるその人は、何故自分を苦しめて、そんな感じなのと更にムカムカ、だんだん怒りは沸点に。ネガティブな感情で心が支配されます。




ここで、ブーっと音が鳴り、はいカットーっと監督に言われる姿を想像します。





周りの人達はお疲れ様〜、上手だったよ!と言われ涼しい顔をしているのに、自分の周りからは、あーあ、とガッカリした声が聞こえてきます。折角チャンスを与えたのに、ここ、また乗り越えられなかったねー、と。


その声の主はその人を応援してくれる守護霊様やご先祖様です。




あらら、と台本にバツがついて、またやり直し、次はえーと、、、、キャスティング揃えないといけないし、いつになるかわからないけど、あちらの世界でゆっくり再履修登録ね、、という感じです。


だから、輪廻転生はなかなか卒業出来ないというわけです。弱点をうまい具合に突かれるから。



十里桃花の中で人間の運命を司る神様に、偉い神様が質問します。


  縁なき人は出会うことはあるのか?と。


    それはありません。


もちろん、偉い神様はその答えはわかってきいています。 


   では、いくら愛情をもっても、三世石(結婚の名前を刻む石)に刻まれてない場合は結ばれるか。


  それもあり得ません、と。


だから、愛しているが故に冷たい態度をとるのだといいたかったのですね。




嫌なあの人と出会ってしまう、愛する人と別れる、ドラマでは、はっきりとこれもやはり縁なのだとわかります。


自分がやったことが自分にかえる、自業自得はよく言われます。しかし、自分の記憶がないのに降りかかる嫌なことも、悲しい事も、どうしようも出来ないことも生きてるとあります。自分のせいだとはなかなか思えない事もおこります。


結局は自分の為に起こる有難いこととよく言われてますが、心境がそこに至らない場合には、その言葉は、響かない言葉だったりします。


今生で、悪い事が起こると、自分の前世の行いがまずかったからかなぁ、と真面目な人ほど真剣に考え、更に理由も分からず悩んだり苦しんだりするわけです。苦しみ最中に、そんな事を考えはじめると、益々悲しくなり、ドツボにハマってさあ大変です。 




だから、そんな時はブラックホールに苦しみや悲しみを放り込むのが良さそうです。時間に任せて自分を守ります。えーい、私には因果なんてわかりませんが、何か?と。


そして、全て神様にお任せします。


良い人は自分を責めがちです。自分がどう考えても悪くない場合、いじめや、犯罪に巻き込まれた場合は周りの確実に信じる事のできる人や警察にたよります。ひとりで悩まない。きっと、舵を切って方向転換できます。


そうしてるうちに俯瞰して、あっ、あれは巧妙な罠だったのかぁ、もっと良くなるための神様試験、悪と関係をたつためのチャンスだ。また道が明るくなりはじめます。


振り返るとそういう転機が人生にあります。同じ場所で鬱々と心を塞ぐ落とし穴に落ちる前に、ちょっと違う視点を持ち始めるかもです。


自分を守るためにも、俯瞰したり別の視点を持つのも良いのかなぁと最近は私も少しずつ思えるようになりました。


【画像は映画監督検索画像、大野舞LINEスタンプ、十里桃花検索画像より】


蓬莱島と日本昔話

2021-04-21 05:20:00 | 神話・物語・本から

蓬莱で思いついた昔話には、かぐや姫と浦島太郎があります。


かぐや姫は竹取物語をもとに書かれています。竹取物語に「東の海に蓬萊という山あるなり」と記されるています。


求婚者の一人は、難題として「蓬萊の玉の枝」を取ってきて持ってくることをかぐや姫からが課せられます。



しかし、出航せず、職人たちにそれらしきものを作らせ、帰航を偽装してこれをかぐや姫に献上しますが、褒美をあげなかった職人の不満から話しがもれます。逆ギレして求婚者は怒ったようですね。


今の時代にも、部下に色々指示したのに、出来が良いと自分の手柄、悪いと部下に逆上する上司いませんか?せめて、出来が良いと部下のお陰、悪いと自分の指示がまずかった、と思える人が上司だといいですね。


『丹後国風土記』に浦島太郎に纏わる話が書かれています。


浦島子(浦島太郎)が海に出て五色の亀を釣り船中に置いて眠ると、亀は美しい女に変身します。女は浦島子を誘って不老不死の蓬莱山に連れて行きます。




彼は仙女とともに、蓬莱山で三年間の結婚生活、官能的な生活を送りますが、その後故郷が恋しくなって帰郷を申し出ます。女は別れを嘆きつつも、決して開けてはいけないと言って「玉匣」を授けます。




故郷にもどった浦島子は、土地人の話によって地上では三百年もの時間が経過していたことを知ります。驚きのあまりに約束を忘れて玉匣を開けると、若々しかった肉体は風雲とともに天空に翩り飛んでしまいました。




ここに登場する蓬莱山は、古代中国で東海の彼方にあると幻想された神仙の住む永遠の世界です。そこには不死の仙薬があり、神仙たちが永遠の齢を保って生きていると考えられていました。

 

日本は、東方にある神秘の国と昔から考えられていたのですね!


ところで、亀と縁ある浦島太郎が玉手箱を開ける話は、鶴の恩返しで、見ないで欲しいといった鶴が機織りの姿を見られて天に還る話とも繋がります。鶴と亀ですね。




日本昔話は、この世と不思議な世界との交流を織り交ぜます。未知との遭遇です。不思議な世は時間の概念がなかったり、月の姫や鶴(霊鳥)や龍宮の乙姫がとても美しい人の姿に変わり、優しい人間の前に現れ富や幸をもたらします。


富や幸やまた、官能的な生活は、しかしながら、不思議の国の使者がいなくなると泡のように消えてなくなったり、人が傲慢になったり怠惰になると続くものでは無いこと、更なる欲を生み出す対象に変わります。


そういう世の無常がわかった時に美しい人は居なくなって終わります。かぐや姫や、龍宮の乙姫なんかは、無常の対として常世(常にある世)からの使者です。


何か心地よいものを持たされたあと、人が本来の姿から遠く離れて曲がっていくと、道を戻すべく徹底した回収が時間差を経てきます。


反省して気づけば、改心のチャンスをいただけたととれますが、別の言葉では冷たく聞こえるかもですが自業自得です。


この世はたまに、甘い罠で試されることもあるから、身魂磨きをして自分の中にいる神様に恥ずかしくない生き方をしたいです。だから、足るを知る、感謝する、謙虚でいる、などなど、心を大切にしたいです。