内宮、外宮両方に別宮として存在する、風日祈宮と風宮。元々は摂社、末社にも入らない小社でしたが、風雨の平安を祈る上で大きな機能を果たしてはいたようです。それが中世になって急激に神威を高め、別格に昇格したのは、あの蒙古襲来がきっかけです。その時、この両社が鳴動し、神殿から赤雲の一群や鬼神が出現し、大風を吹かせたのですが、ちょどその後、蒙古軍が滅んでいた、との「太平記」記述の「神風」伝説がこの宮の位置付 . . . 本文を読む
我等が高槻、今城塚古代歴史館の春季特別展が始まりました。今回のテー マは紀伊国、和歌山県の紀ノ川下流域の古墳群です。去年は丹後、丹波でしたから、個人的には嬉しい繋がりのテーマです。期間は3月16日~5月12日まで。特別展は、大日山35号墳を中心とする数基の古墳からの発掘品で、対象範囲は広くはないものの、拝見したところ、大日山35号墳の発掘品を筆頭に、大型で見ごたえのある埴輪が . . . 本文を読む
内宮です。天皇家の皇祖神、太陽女神とされる天照大神をお祀りする、皇室、国家の祭祀の場です。
【ご由緒】
鎮座の由来は、日本書紀に記載されている話が一般に語られます。元々、天照大神は大和の宮中にあって、天皇が親祭を行っていましたが、崇神天皇が恐れ多いとして、宮廷外の笠縫邑に遷し、豊鋤入姫に奉祀させました。その後、垂仁天皇期に奉仕役を倭姫に交代、姫は笠縫から近江、美 . . . 本文を読む
四天王寺といえば、あの聖徳(上宮)太子が建立した、”日本仏法最初の官寺”とされる、大阪市天王寺区にある有名なお寺ですが、知る人ぞ知る?異伝として、元々は現在の中央区森之宮にあったとの説があります。古来その地には、この鵲森宮が鎮座しています。
・道の向かいはJR森之宮駅
まずは、神社で頂いた丁寧なご由緒書により記載します。崇峻天皇2年(589年)7月、聖徳太子は物部守屋と . . . 本文を読む
伊勢神宮、内宮の北約1kmほど、おかげ参道の北側にあります。祭神は、猿田彦大神と、相殿に大田命を祀っています。猿田彦大神は、「古事記」では、天孫邇邇芸命を筑紫日向の高千穂に案内したとされます。「日本書紀」では、その後、宇受女に送られて、伊勢の狭長田の五十鈴川上に至ったといいます。
境内社として、天宇受売命を祀る佐溜女神社があり、芸能の神として崇敬され、8月の例祭にはにぎやかな行事が繰り広げられま . . . 本文を読む