縄文期の頃まではまだ完全な島だったという島根半島の東端、美保湾の奥の方に鎮座する、現在では青柴垣神事や諸田船神事で有名な神社です。「出雲国風土記」には既にその地名は見えていて、”美保浜。広さ一百六十歩。西に神の社あり”と、当社と思しき記載があり、神社列記の条にも在神祀官社の一つとして、”美保社”と記されています。「延喜式」神名帳にも& . . . 本文を読む
引き続き出雲大社について。前回は、ご祭神の大国主命と出雲国造の関係や、本殿の神坐西面についてふれましたが、今回は中世以降の運営や、主な祭祀の話題をまとめたいと思います。
【出雲御師】
律令制が乱れて荘園が乱立する時代になってからは、出雲大社も墾田の開発に努めるようになり、おもに出雲郡の神戸を足掛かりに社領を増やしていきます。1256年の「社領注進書」によると計1 . . . 本文を読む
(出雲御師や国造家分裂、国造身逃げ神事などについては、続編2にまとめています)
出雲といえば、とにかくこの神社。この大社を参拝する為に出雲に行くという、山陰を代表する観光地ですね。出雲に旅した時も一番にこの神社に参拝しました。今は大社は幾つも有りますが、明治から戦前にかけてはこの神社だけ。あえて説明するまでもない、誰もがよく知る神社ですが、やはりきっちり押さえたいです。
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斐伊川に合流する赤川の南岸に鎮座するこじんまりしたお社と、その隣に移築された山陰地方ではきわめてめずらしい竪穴式石積石室を持つ、4世紀中頃の古墳です。昭和47年からの赤川拡張工事で神社を旧鎮座地から少し移築する必要となり、その旧本殿の下の古墳を調査したところ、上記石室が発見されたのです。そして、全国で2番目となる、景初3年銘(卑弥呼が銅鏡100枚を下賜された年)の三角縁神獣鏡の発掘 . . . 本文を読む
秋には紅葉の穴場スポットともなるらしい、素晴らしい神社でした。エントランスの階段の横幅が堂々として、国道の大通り沿いにもかかわらず一歩境内に入ると本当に静かで重厚なたたずまいに癒されました。
【近隣の発掘遺跡】
考古学上の発掘成果によると、伯耆・因幡には、古墳時代中期ごろまでは吉備勢力の影響が強く、その後は北九州勢力の進出がうかがわれます。現社地背後の丘陵には宗 . . . 本文を読む