25黄釈子 Blog 「My Days」by Oldman+2(吉住)

コロナ予防接種0回、35年間健康診断0回の後期高齢+2、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。KindleWriter。

段取り八分

2014年03月23日 | 家事
本当はシチューなどより、「アボガドの刺身」だな、ほほほ。くせになる味だよ!

午後5時。どうしよう? 実に旨い、これ以上は無いというクリームシチューが、ハウス食品の想定通り、出来てしまった!!野菜の甘みと旨味が、香り豊かに仕上がったぞ。

そして、もう一つ、ネギとえのきの味噌汁。昆布だし。わたしゃ、天才だね、おほほほ。

さあて、5時半から「笑点」を見て、6時から「黒田勘兵衛」を見て,6時45分になったら、夕飯準備だな。
7時には夕食タイム。娘が帰宅するのは8時だろうし、誰が食べるの?

募集:私の作った夕飯を食べてくれる人。

梅の花

2014年03月23日 | 日記
iPhoneから送信Yoshizmi

結構、疲れが「足と腰」に来ている。太ももは筋肉痛だし、腰は両脇から後ろにかけて、これも重いし筋肉痛を感じる。社会奉仕は、お昼前に終了したのだが、簡単な昼飯を食べてからも、まだ横になって一服していない。

というのも、お天気はさわやかだし、ワイフは白い顔して不調のようだし、夕食を考えると、食材が欲しくなって、一人で買い出しに出かけたからだ。(小声だけど、一人は気楽だ!好きなものがマイペースで買える)調味料や卵、ネギやアボガド(大きいのを3個も買った。ワイフは1個しか買わない。今日は1個98円。これをスライスして、ワサビ醤油で食べるのは最高だ!)肉(体力増強のため、シチューを作る予定)それにアルミホイール(なぜか、冬場の我が家はよく使う。ストーブの上で、食べ物を暖めるのだ。)チーズなど。それから、老人どものパン類に煮魚。

果物にイチゴとパイナップルの切ったやつ。

帰宅してあっという間に冷蔵庫などに片付け、珈琲をたてながら、ジャガイモ2個と人参とタマネギを切っておく。

もうすぐ3時。よし、これで一服だ。多分、横になったら眠ってしまうだろうなあ。

それにしても、いい日だねえ、第一静かだ。

快晴の労働日

2014年03月23日 | 日記
写真は19日朝、東京虎ノ門近くのホテルのベランダ。タバコが飲める。(今日とは無関係です)

戸外の労働には最高のお天気だ。暑くもなし、寒くもなし。

例年、この時期の作業は肌寒く、杉花粉でくしゃみ鼻水に悩まされ、さんざんな目にあうのだが、近年、次第に花粉症が軽減してきた。今日など全く、くしゃみ一つしない。実に不思議だ。昨夜の焼き鳥が良かったのか?

大して疲れなど感じないぞ!


村の江掘り人足

2014年03月23日 | ニュース
さあ、今朝はのんびりと言う訳にはいかない。昨夜は、ワイフが風邪気味とかで、自室で静かに布団にくるまっているので、珍しく我が炬燵、我がテレビを独占出来(いつも、ゴールデンタイムは占領される)読書で夜更かし、などと構えていたら、寝ているはずのワイフが顔を出し「明日は、社会奉仕やよ!」と鋭い警告を発して立ち去った。

げげげ、わすれちょったげな!

というわけで、今朝はいつも通り6時に起きた。食べ物をつまんだり、珈琲を飲んだり、トイレに行ったり、作業着に着替えたり、準備する時間はたっぷり。今朝は放射冷却のせいか、屋根が真っ白になっている。寒いから、石油ストーブを付けていたが、明るさを増すとともに、次第に陽射しが強くなり気温がグングン上がってくる。

福井地方の天気状況は、最低気温0度、最高気温14度、降水確率10%、晴れ [ 80p67k ](双子座の運勢80ポイント、体重多分67キロという意味)

緑のツナギに長靴をはいて、首に手ぬぐいを巻き、スコップを肩に集合場所に出たのは8時。10人全員集合(我が集落は、福井県でも最下位クラスの10戸数、微小集落)優秀だ! まさにお天気は社会奉仕日和。「江堀人足」と言うからには、まずは谷川や用水路の泥上げ作業だ。

作業スローガンは「手抜きこそ我が命」

それにしても、主要道路から少し奥まったところの用排水の土手が、イノシシにメチャクチャにされていて、手の施しようがない。ぐるっと一回り、一応の作業が終了したのは、午前9時半。たった、1時間半で、一服だ!

アンパンにペットボトルのお茶を自治会長が差し入れする。20分ほど「飲んで騒いで」から、有志だけで神社の前の切り捨てられている竹の始末をする。3、4年前に自分の山だからと竹やぶの竹を、切るだけ切って放置した犯人がいるのだ。大阪大学の大学院まで卒業し、広島の勤務先では英語の論文までアメリカの専門誌に投稿したという人物だが、定年退職後に一人帰省し、竹の始末作業さえ出来ないくせに、ひたすら切り倒した。

その余波が神社敷地にも及んで、はた迷惑な数年を過ごしてきたのである。ようやく犯人は自覚症状が出てきて、今日も作業には参加しているが、昔の彼の父親同様、作業量は他の人の1、2割。DNAは恐ろしいぞ。ただ、最近は非常におとなしくなって、無口になっただけ救われる。

家族を神戸に残して、老化と二人暮らしの彼の人生とは、一体何だったのか? 我々同様「へ」だな?