25黄釈子 Blog 「My Days」by Oldman+2(吉住)

コロナ予防接種0回、30年間健康診断0回の後期高齢+1、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。KindleWriter。

塩焼き鯖を焼く

2014年03月26日 | 日記
送信from Y.Yoshizmi

「馬から落ちて落馬した」という訳ではないのだが、市販の「塩焼き鯖」の切り身を、更に網で焼く。

「臭い!」「油が落ちてガス台が汚れる!」「手が臭くなる(ガス台の掃除)」「家人にサンザン非難される!」などなど、散々な目にあうのだが、その「苦難」にもメゲず(性懲りもなく)時折、しっかり焼いた(塩さばに味塩を振って、傾けながら油を落とすのだから、かなり身が締まる。)焼き鯖が食べたくなる。

スーパーの食材コーナーで手に入れた調理済みの食卓用オカズを食卓に出すとき、必ず少し手を加えてしまう。

最低でも、パックのまま出すことを私は絶対にしないのだが、この世には、というか身近には、もっと合理的な精神の持ち主が大勢いて、というか約1、2名いて、汚れ物や手間が増えないように、パックのままポンと出すことこそ「超近代的」というか、「常識」というか、生活習慣にしている方々がいらっしゃる。

まあ、「美学」の違いだから、その違いを相手に深く追求することはしないが、どうしようもなく「己の人生を寂しく感じる」ことになる。知ってる?すべては、我が身のせいだ。

マレーシア航空機の乗客が、いよいよ「絶望的」だとマレーシアの政府が公表したら、まあ、中国の遺族が泣き喚くの何の!身内を亡くして悲しいのは分かるが、航空会社や政府当局を激しく非難するのはどうしたことか?
賠償目的か、4千年の歴史を持つ民族性なのか?

聞いてみたい、「悲しい?」って、きっと「当たり前だ!」って、殴られるかもしれないなあ。わたしゃ、家族が乗っていなかったから悲しくない。「なんで乗ったの?落ちるかも知れない飛行機に、さ」って軽薄に聞いたら、きっと殺されるな。嘆き悲しむのが嫌だったら、家族を乗せなけりゃ良かっただろ?(もう一度殺されるぞ!)

今の時代は交通の便が非常に良くなって、車、電車、船や飛行機で遠くまで気軽に出かけることが多くなったけれども、だからといって、基本的な危険性が消え去っているわけではない。乗り物に乗る機会が多くなればなるほど、事故にあう確率も高くなる。

安全性が高まる一方で、乗るチャンスが大幅に増えたのだから、事故の確率は増加している。一生に一度飛行機に乗った場合と毎月出かける場合では、大きな違いがあるし、電車や車だって同様だ。ちょいと、気楽に出かけるが、その選択は常に、自己責任というわけだ。「社命」であっても自己責任だ。何といっても、その会社を選んだのは自分だから。自己責任の「選択」意識が余りに希薄になっているだけのことだ。

天はいつだって「公平」なのだ。「やり場のない憤りや悲しみ」を誰に与えるのか?軽薄に生きている、生き残った我々に与える。それは個人的悲しみであって、当局のせいではない。当局がミサイルで撃ち落としたなら話は別だし、航空会社は飛ばしてナンボの商売だ。落としてナンボではない。

世界中の真の関心は、一体マレーシア航空旅客機に何があったのか、というミステリーなのだ。


小雨に煙る

2014年03月26日 | 日記
送信from Y.Yoshizmi [ 10c,17c,90%,52p67k ]

降水確率90%の福井の夜明け。雨は暗いうちから降り出した。春先の若草の芽を促す慈雨だ。今日から子供たちの春休みが始まる。

昨日は偶然にも九州小倉からと福島から「本が欲しい」というメイルを頂いた。福島の人は、かつて福島交通に勤めていたから関心があると、丁寧な文面だった。在庫がある限り、喜んでどんどん上げちゃうよ。ただし、よほど素養がないと、理解出来ない部分も多いかも知れないから、「めちゃくちゃ面白い!」と評してくれた人は、2、3度読み返している。

少なくとも、テレビのワイドショーの馬鹿なコメンテーターの垂れ流し情報を受け入れるだけでは、自分の頭でモノを考える癖のある人でないと、理解は難しいから、私の本など、廃品回収になるかも。

昨年の8月8日に金沢ですべての裁判の勝訴終結を記念して祝勝会を開催(ただし、平成13年度組は2年前に判決が確定し、勝訴金も受け取り、喜びも過去になってしまっていたので、祝勝会の案内は出さなかった)したが、その時、月末に第12回、新潮ドキュメント賞が決定することになったジャーナリストの佐々木実氏を会に呼んだ経緯もあって、彼が講談社から出したばかりの「市場と権力」という分厚い竹中平蔵論の本を30冊あまりを自腹で買い込んで、受付に積み上げておいた。

中には買ってくれた人が一人二人いたが、そのままでは重い荷物を運び込んで、また持ち帰るだけだし、佐々木さんの手前もあるので「是非とも読んでみたいと思われる方にはタダで差し上げますので、どうぞ。」と挨拶の中で私が言ったら、「タダならくれ!」と受付に殺到し、あっという間に無くなった。

これでも、奪われた金が(しかも5割の利息付きで)奇跡的に損害回復が実現出来た被害者の中でも、心ある人たちの集まりである祝勝会に参加した人々だ。こういっちゃ失礼だが、佐々木実氏の部厚い本を読み切れるだけの素養を持つ人は、ごく一部でしかない。

早い話が、ただの「乞食根性」なのだ。ただで、もらえるもんなら貰っておこう、という単なる「損得」だけで動く見下げた性根が、何の恥じらいも無く日本中に蔓延している。「損得」に敏感で「ただ」に食いつくことなら、すぐに大阪の「おばはん」を思い浮かべるかも知れないが、「乞食根性」は、筋金入りの「節約精神」とは大きな違いがある。「卑しい」のだ。

意外に、加賀百万石の歴史を持つ金沢や石川県民に、これが多いと実感すると感じていたら、歴史は正直だ。
「越中強盗、加賀乞食、越前の詐欺」という言葉がある。

ちなみに追加すれば、貧弱なパーティ料理に比べて祝勝会の参加費は1万円だったが、それでも私のフトコロは赤字持ち出しで、本の印刷費を加えたら、百万単位の大赤字だった。どこか、親方日の丸から金が流れ出ているように思ったり、もうけているに違いない、とか邪推するのはやめてほしいものだ。それを「乞食根性」で「卑しい」というのだから。

脳みそがあるなら、自分の頭で考えるべきだな。中に大物と呼ばれた人物もいたが、「おれも参加費出すのか?」と渋々財布を開けた。何が「大物」だ!腐った大根じゃねえか。100万円の祝儀袋を出すべき立場だろ!って、いいたかったなあ。