25黄釈子 Blog 「My Days」by Oldman+2(吉住)

コロナ予防接種0回、30年間健康診断0回の後期高齢+1、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。KindleWriter。

霊芝草(れいしそう)

2022年05月14日 | 気象

2022年5月14日(土曜日)午前5時30分。:[  13c/20c/100%  ]{getup0430} 雨のち晴れ

午後10時に寝て、午前4時ごろ起きる時は、指先まで筋肉はめちゃ、硬くなっている。身体中が似たようなことになっているに違いない。昨日は子供たちと学校まで久しぶりに歩いて、ママチャリで戻ったし、畑作業もした。かなりくたびれたから、尚更だろう。

今朝は、雨の中、8時に泰澄の杜の朝風呂に入ると決めている。街中の昔の事務所の近くに銭湯があって、そこは朝の6時からやっている。じわじわと朝風呂のお客が増えて、今では、常連客でいっぱいらしい。じわじわどころか、毎年どんどん、老人が増えているからだろう。

NHKーBSで、しばしば繰り返し放送される「空旅中国」で、雲南省からモンゴルにお茶を運ぶ茶葉街道が出てくる。1000キロにも及ぶ道のりを、1000年も前から商人たちが活躍した話。隊列を組んで歩いて旅する商人たちが、投宿するモンゴルの古い旅館の庭先で語る老婆が出てくる。

彼女が若かりし頃、実の弟が病気で目が見えなくなり、あちこちの医者にかかっても効果はなかった。そんな折、茶葉商人の隊列がやってきて、その中の医者に見てもらうと、99種類の霊芝を使った薬湯を飲ませ、翌朝、その弟の目が見えるようになったという。あまりの衝撃に感動し、以来、霊芝や薬草の研究を続けている、と語る。

数十年前にも、千年前同様に、茶葉を運ぶ隊列は実在していた。多くはモンゴル人が中国雲南省まで買い付けに行って、戻った。軽い茶葉を如何に効率よく、大量に馬の背に載せて運ぶか。大勢が長旅をするので、医者を連れて歩いていた。大金を稼ぐ、1年以上をかけた商い。

そして、なぜ、モンゴル人が雲南省の茶葉を必要としたのか、乾燥した砂漠、草原の中で、テントぐらしで移動しながら羊と暮らすモンゴル人にとって、お茶はなぜ必需品だったのか。

そういえば、老いたりとはいえ私の体も、60億の全細胞が、約6ヶ月で生まれ変わる(今では1年かもしれないが)。現況をコピーするから、若い細胞に変わることはないし、その際にコピーミスまで増えるから、期待に反することになるのだが、怪我などはゆっくり回復する(はず)。

頭に浮かんだのは、やはり「活性酸素」の障害。目にも体にも、酸素の十分な供給が血液の循環機能には必要だが、同じ酸素でも、活性酸素は体を錆びつかせる。活性酸素の除去?

なんだか、めちゃ私にとっては、大事な気がしてきた。サプリか、水素水か?



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