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’終戦の日’前、原発発言に、終国を見る

2011-08-12 21:08:10 | 暮らし・街・環境
毎年、8月15日が近づくと、初めから戦争に反対していたという身振りが目立つ。
それがどうも、原発も同じで、初めから原発には疑問をもっていたという気分を、だれもが持っていたかのような発言になってくる。
そして、電力会社や所轄官庁のやらせ発言を、正面から否定し、憤った素振りをする。

あー、これはいつか来た道。
第一次世界大戦までは、戦勝国だった日本の植民地拡張を期待したのは、庶民の期待に支えられていた。戦後の高度成長をささえる原子力に期待したのは、鉄腕アトムを愛した市民だった。自然への還元の輪が閉じていない原子力を、CO2削減の切り札に掲げたのも、産業界であり、そこに職場のある市民だった。
やらせ発言とは、自分たちを納得させたい言葉を、表現したに過ぎない。

だから、敗戦を終戦と美化し、平和の担い手のような振りを国中でするこの時期が堪らない。
戦後の東西軍事バランスの狭間で、生産人口比の高い高度成長期に、市場戦争で差益を得て繁栄してきたのが、貿易戦勝国日本なのだ。
猛暑の中、企業の省エネ対応のおかげで、電気はまだ止まってはいない。

票田・政治資金と直情に動く政治へと戻れば、国際化してでも生き残ろうとする企業・個人が見捨てる国にならないのか?
それが、終国の日になるのでは?

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