モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

コミュニケーションとメディア 8:情報からモノの規定

2005-05-12 20:22:45 | 基本的なコト
情報が自立するに従って、記録され、流通し、選別され、権威付けられる。
宗教・政治・商業・工業、そして情報自体の流通へ、多層化されてゆく。

 例えば、最も抽象化される情報は、通貨為替。
象徴貨幣から、貴金属通貨へ、そして信用情報・期待情報へと純化した。
並行して、モノの交易が進み、為替相場が、地域の価値の基準として適用され、
WTOが地域の流通を国際化する。
地方の個人価値ですら、お宝探偵団により値付けされ、相対化されてゆく。
 
 他方情報から見れば、芸術・工芸・工業製品の情報化は近世の様式化から始まり、
反工業運動・アールヌーボー・アールデコへと展開するころに、
マーケッティング手法が開花した。
モノの機能性と情報性が分離するのは、丁度機能性、装飾性が個別に扱われて、
市場で売買される工業時代の出来事なのだ。
それまでは、宗教観・身分・職業により、持つものは決まっていた。

 看板の歴史は中世まで遡ることができるだろうが、
メディアを活用した広告が自立したのは、工業化時代、
つまり、作れるだけ売ろうとする時代からだ。
最後は、売れる情報を作れるかどうか、
そしてデマンドからサプライ・チェーンを組織化する時代となった。

 メディアが溢れるようになると、その情報の内容もあいまいになる。
報道も娯楽も広告も、同等の刺激へと解体する。
オイルショック・ニュースは、トイレットペーパー騒ぎになるし、
ハリウッド映画は、ブランド物のプレイスメントとなし、
トレンディ・ドラマやニュース・キャスターの服装さえも広告となる。
さらにCFが、コミュニケーションの素材化する。
人気ブログの日記がバズになり、アフィリエイトと流通へ吸収される。
ネットも、マス・コミュニケーションの一部であり、流通情報システムの
一部であって、モノの価値と流通を支える。

情報がモノを規定する。
感性・信頼性・価値観・・・。
ビールの咽ごし感、ヴィトンのはやりバッグのビニール感、
あるいは、小じゃれたレストランのまったり感、
スローライフまでが、多弁な語り・情報化にはまって、
身体の外から規定される。

身体の前のモノは、社会的にアフォードされた情報の塊なのだ!

[バカボンの叔父]

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