映画 「茶の味」 石井克人監督
一つ一つの出来事が可笑しく、
「こういう感じってあるよね・・・」と積み重なり、
”おじん”が描き残したパラパラ・アニメが繰られると、
全体を貫く眼差しの位置にいる自身に気がつく。
自然も人も幽霊も不安も、コトもモノも同じような重みがあって、
山を見つめ、空を仰ぐ。
茶の味は、心とコトの置き処
家族が縁側に並ぶ映画では、
是枝監督の「幻の光」を思い出す。
むこうは「海」、水平線の向こうを魅入る。
こちらは「山」、想いの雲の重なりを仰ぐ。
身の置き何処を探してしまいそうになる映画「東京物語」から、
「幻の光」、「誰もいない」、「Lost In Translation」の後には、
いい一腹でした。
『茶の味』、”これでいいのだ!”
<バカボンの叔父の感想>
私にとって、映画を観るということは、
映像と実感の重なりあいのようだ。
此れまでの体験と映像に、新たな映像が上書きされ、
書き換えてくれる刺激のようだから、個人的な経験でしかない。
批評する気はなく、ただどう感じたか書き留めて、
手がかりにして、ちょっとだれかと共有できればと、
ブログを手繰る。
封切りを追いかけるのではなく、
想いの流れるテーマの映画を掘り起こす。
人は、言葉や響き・映像など、いろいろな手がかりを
掘り返し、つなぎ直して、"逆上がり”!
一つ一つのエピソードが、”向日葵”のように、
それぞれの花となり、種となって膨むような
『茶の味』でした。
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一つ一つの出来事が可笑しく、
「こういう感じってあるよね・・・」と積み重なり、
”おじん”が描き残したパラパラ・アニメが繰られると、
全体を貫く眼差しの位置にいる自身に気がつく。
自然も人も幽霊も不安も、コトもモノも同じような重みがあって、
山を見つめ、空を仰ぐ。
茶の味は、心とコトの置き処
家族が縁側に並ぶ映画では、
是枝監督の「幻の光」を思い出す。
むこうは「海」、水平線の向こうを魅入る。
こちらは「山」、想いの雲の重なりを仰ぐ。
身の置き何処を探してしまいそうになる映画「東京物語」から、
「幻の光」、「誰もいない」、「Lost In Translation」の後には、
いい一腹でした。
『茶の味』、”これでいいのだ!”
<バカボンの叔父の感想>
私にとって、映画を観るということは、
映像と実感の重なりあいのようだ。
此れまでの体験と映像に、新たな映像が上書きされ、
書き換えてくれる刺激のようだから、個人的な経験でしかない。
批評する気はなく、ただどう感じたか書き留めて、
手がかりにして、ちょっとだれかと共有できればと、
ブログを手繰る。
封切りを追いかけるのではなく、
想いの流れるテーマの映画を掘り起こす。
人は、言葉や響き・映像など、いろいろな手がかりを
掘り返し、つなぎ直して、"逆上がり”!
一つ一つのエピソードが、”向日葵”のように、
それぞれの花となり、種となって膨むような
『茶の味』でした。
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久々に映画で笑ってしまいました。
またよらせてもらいまーす^^
また共有させてくださいね。
少し、石井克人作品が続きそうです。
トラックバック、ありがとうございました。
私にとって映画を観ることは、感情移入できるキャラクターを見つけて、その人が置かれた状況を一緒に追体験することです。
感情移入する相手はいつも主人公とは限らず、ちょっとしか出番のない脇役であることもしばしば。
いろんな経験を映画の中で追体験させてもらいました。
痛みや苦しみはリアルではないけれども、過去の自分自身の一番痛かった経験や苦しかった経験を引っ張り出してきて、なるべくキャラクターが味わってる痛みや苦しみに近付こうとしたりして・・・。
だから映画はやめられないです。
怖い映画も楽しい映画も痛い映画も全部、大切な疑似体験へとシフトするから・・・。
締めのセリフは”これでいいのだ!”、ちょっと拝借いたします。(笑)
ついでに、ニックネームを「バカボンの父の友人」から、「バカボンの叔父」に変えました。長すぎたので・・・