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映画 「NAQOYQATSI」、 映像と音楽による文明の詩

2005-02-11 19:32:06 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア
NAQOYQATSI ナコイカッツィ
Godfrey Reggio ゴッドフリー・レジオ 監督 を脳感した。

映像と音楽による文明の詩

映像は、断片化され、イメージが固まるまで重ねられる。
凝集された純化された映像が、重ねられ、繫がれながら、
既存の視覚の肉がそぎ落されてゆく。

音楽も、電子時計のように刻まれた時間の上に配置され、
フレーズは変形されながら、イメージが固まるまで重ねられる。

そして固まり始めたイメージが、次のシーンに接続され、
そのズレが”コトバのない意味”を喚起し、展開してゆく。

コトバのない思考があるのだろうか?
チェロの途切れのない響きが、感情を曳きまわし、
臓腑や身体は、取り残されている。

そう丁度、
ニューラルネットワークをスキャンされ
ほころびたシナプスの残渣が
高周波洗浄されてゆく感じ、

癖になる。


 これは、ゴッドフリー・レジオ監督の三部作の最後だった。
一部は、「コヤニスカッツィ」
二部が、「ボワカッツィ」

音楽は、Philip Glass :フィリップ・グラス
単純なフレーズが変形しながら、次々に重ねられる。
三部では、Yo-Yo Ma :ヨーヨー・マ のチェロが身体を引っ張る。

手がかりのコトバは、終わりのスクリプトに記された
アメリカ先住民ホピ族の予言の言葉
1.互いに殺しあう命
2.日常と化した戦争
3.文明化された暴力

この三部、「ナコイカッツィ」の副題は、”life as war "

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2 コメント

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なにかと (JOHNY)
2005-02-12 16:05:36
コラボレーション。

組み合わせ

融合

語るもの

語られるもの

なにかをつかめた私
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Unknown (alf)
2005-02-13 11:15:26
映画「ナコヤカッツィ」 の初めのバベルの塔のファサードは、

近世西洋建築のファサードの形が窺え、

次に廃墟もまた、透かし見る背景のなかに、その栄華のなごりが、

浮かび上がります。

古くは、ギリシャ建築の”オーダー”、世界の秩序を意味しているのでしょうし、



建築が世界観だった時代もあります。



しかし、

文明による、

効率のよい破壊と廃墟、

微積分され、変形された映像は、

もう一度、

この存在の意味を曳きだそうと

しているようにも感じられます。



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