NAQOYQATSI ナコイカッツィ
Godfrey Reggio ゴッドフリー・レジオ 監督 を脳感した。
映像と音楽による文明の詩
映像は、断片化され、イメージが固まるまで重ねられる。
凝集された純化された映像が、重ねられ、繫がれながら、
既存の視覚の肉がそぎ落されてゆく。
音楽も、電子時計のように刻まれた時間の上に配置され、
フレーズは変形されながら、イメージが固まるまで重ねられる。
そして固まり始めたイメージが、次のシーンに接続され、
そのズレが”コトバのない意味”を喚起し、展開してゆく。
コトバのない思考があるのだろうか?
チェロの途切れのない響きが、感情を曳きまわし、
臓腑や身体は、取り残されている。
そう丁度、
ニューラルネットワークをスキャンされ
ほころびたシナプスの残渣が
高周波洗浄されてゆく感じ、
癖になる。
これは、ゴッドフリー・レジオ監督の三部作の最後だった。
一部は、「コヤニスカッツィ」
二部が、「ボワカッツィ」
音楽は、Philip Glass :フィリップ・グラス
単純なフレーズが変形しながら、次々に重ねられる。
三部では、Yo-Yo Ma :ヨーヨー・マ のチェロが身体を引っ張る。
手がかりのコトバは、終わりのスクリプトに記された
アメリカ先住民ホピ族の予言の言葉
1.互いに殺しあう命
2.日常と化した戦争
3.文明化された暴力
この三部、「ナコイカッツィ」の副題は、”life as war "
Godfrey Reggio ゴッドフリー・レジオ 監督 を脳感した。
映像と音楽による文明の詩
映像は、断片化され、イメージが固まるまで重ねられる。
凝集された純化された映像が、重ねられ、繫がれながら、
既存の視覚の肉がそぎ落されてゆく。
音楽も、電子時計のように刻まれた時間の上に配置され、
フレーズは変形されながら、イメージが固まるまで重ねられる。
そして固まり始めたイメージが、次のシーンに接続され、
そのズレが”コトバのない意味”を喚起し、展開してゆく。
コトバのない思考があるのだろうか?
チェロの途切れのない響きが、感情を曳きまわし、
臓腑や身体は、取り残されている。
そう丁度、
ニューラルネットワークをスキャンされ
ほころびたシナプスの残渣が
高周波洗浄されてゆく感じ、
癖になる。
これは、ゴッドフリー・レジオ監督の三部作の最後だった。
一部は、「コヤニスカッツィ」
二部が、「ボワカッツィ」
音楽は、Philip Glass :フィリップ・グラス
単純なフレーズが変形しながら、次々に重ねられる。
三部では、Yo-Yo Ma :ヨーヨー・マ のチェロが身体を引っ張る。
手がかりのコトバは、終わりのスクリプトに記された
アメリカ先住民ホピ族の予言の言葉
1.互いに殺しあう命
2.日常と化した戦争
3.文明化された暴力
この三部、「ナコイカッツィ」の副題は、”life as war "
組み合わせ
融合
語るもの
語られるもの
なにかをつかめた私
近世西洋建築のファサードの形が窺え、
次に廃墟もまた、透かし見る背景のなかに、その栄華のなごりが、
浮かび上がります。
古くは、ギリシャ建築の”オーダー”、世界の秩序を意味しているのでしょうし、
建築が世界観だった時代もあります。
しかし、
文明による、
効率のよい破壊と廃墟、
微積分され、変形された映像は、
もう一度、
この存在の意味を曳きだそうと
しているようにも感じられます。