モノと心の独り言

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’バベル化’? モノやコトで人が繋がる時代

2007-04-29 07:44:58 | 基本的なコト
私たちの生きている世界を、ラカン的に、想像界・象徴界・現実界に分けると、そこでは、意識・無意識・生存が作用している。
動物は、現実界を象徴的にとらえ無意識に対応する音や仕草でコミュニケートできるかもしれない。
人もまた、山や滝や巨木を共通の象徴とし、洞窟に対象を描いてきた。それが、象形文字になり、また楔形文字になり、数字と記号となって、現実界と象徴界の関係付けが行われてきた。しかし、その関係付け=媒体は、絶対的に少なく、その場所から切り離されなかった。現実界を象徴した聖堂、王のリング、神器などが、移動するときは、その社会関係が転換した。これを、現実・象徴界中心の時代とする。

その象徴が、手によって複製・写本された続けた後に、道具・装置により量産・印刷される象徴界の崩壊に時代が始まった。それまで唯一的・普遍的だった象徴が、様式として変化しはじめ、選択の対象となり、分野別のモードとして恣意的になり、ファッションとて付加的・短期的になった。
意志界から現実界は、観察・記録され、コントロール可能な対象して、生存に直接関わると機能として組み立てられ、無意識-象徴界が背後に隠れてきた。これを、象徴界・想像界の時代とする。
そして、この意識されたものが、記録され、交換されるメディアとなり、その流通量が爆発した。交通・生産・流通量の飛躍の後に、想像界・意識されるもの中心の時代がきた。私たちは、想像を交換可能な形にでき、数値で交換できる市場社会をつくった。ここでは、共通の象徴も、共感する無意識も、ミクロ化され、マスメディアがその共通化・共時化を果たしていた時代、象徴界の時代だ。

そして、想像界から現実界へ、意識から生存への短絡の時代が来た。
身の回りのモノやコトと意識を直結させる時代だ。
個人が、装置により、現実を記録をし、流通させる。自身の身体や感情、身の回りの状況を記録し、言葉ではない写像・音、あるいはセンサー・データとして感じることができる。

時間軸による組織という繋がり、空間軸による地域という繋がり、そえぞれの繋がりが切り替えられ続けることにより、象徴界は恣意的な積分の結果とて見透かされる。
結果的に、この個人的なミクロなモノやコトが象徴界の因子だったことがわかってしまった時代なのだ。

この今、意識=言葉で繋がるのか?それは、‘バベル化’した時代では幻想だ。
過剰な意識の流通である言葉を検索する結果は、仮想の象徴、ワード・ランキングをつくる。タグもフィードも、ランキングが摩擦係数のように、ズレながら繋がる手がかりだ。
意識され、表現されたもの、想像界の積分が現実界を象徴することができるか?
無意識は、その表象されない、あるいは、表象の影に隠れたa'を残し続けてきたのではないか?

身体の現実との付き合い、身体が属する場を介する付き合い、
それは、
写像・音・センサーデータを通じて覗きみるしかないのではないか?
その整理はやはり、言葉にするしかないにしても・・・

あとがき
<生きるスタイルとして精神分析的な思考というものが存在している・・>という『フロイト=ラカン』著 新宮一成、立木康介著にほだされて

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