2010年度から今年度も東京都中央区社会福祉協議会と、ブログサイト:中央社協の「まちひとサイト」の契約が続いています。”中央区に 住み・働き・集う人の街ぐらしの記憶と兆し”として、今でも昔でもない、中期的な話題としてネット上に残し続けています。
地域FMとの縁から自主運営していた「まちひと中央」は写真中心でしたが、今は観察的な映像中心に。FBページ「machihito.site」では社協の枠を越えた中見出しをつけてシェア、FB藤井俊公では個人的な心情を加えてのシェア。どれも、他のサイトとリンク・検索されることを期待しての断片記録です。
社会全体を報道/批判する目線の高さはありませんが、個人的/感情的な記事は避けて、間主観的に取材です。視角・視点の移動でブレもそのまま、生音/生声での、観察的な映像に、静止画/図表などがも混ぜます。長く緩く冗長なYoutubeの映像も、4月1日で累計2,750本、毎日800アクセス平均2分程には、観られるようになりました。
こんな記録を残す動機は、街暮らしへの好奇心と期待から。人間社会が通信・交通・運輸・情報化を進め、都市化・集権化・市場化拡大の果てが「グローバル化」で、終わるわけはないだろう? 生活・政治・言語が拡張しても世界が一元化しきれない理由は、一人一人が生まれ死ぬ身体内外の関わりの蓄積の異なりに在ります。RFA(Recency:直近性、Frequency:頻度、Amaount:量)は、マーケッティング用語ですが、人の気持も関わりも、刺激交換のRFAとして、微分的に変化を続け、積分的に蓄積されてゆく、人それぞれの違いの結果です。
意図する・しないに関わらず、生活や仕事の中で繰り返す五感での対象とのやり取り(コミュニケーション)とその媒介(メディア)は、感覚/神経/筋肉/内臓に痕跡を重ねてゆく。関わりは、自己中心にへ向かうと同時に、他者との関わり方へと遠心化の双方向。社会的なメディアは、直感的/直情的な一方で、より多く/遠くからの視線を求め、身近な人気映像と定番の世界遺産/絶景を好み、陽が暮れても強烈なライトで照らし出し、写像を上書きする。差異を最大化する刺激が溢れる中で、イヤーフォンで耳を塞ぎ、ヘッドギアーで視覚を遮って、リストバンドから信号を。こんな中で更に欠乏するのは、近縁(近いことと縁の深いこと)が重なる生活領域での人同士の関わりの手がかり。
ということで、マスでもパーソナルでもなく、ローカルでの関わり合いの記録と手がかりを、まちひとサイトを続けています。自身への楽しみと地域のコトへの興味とで自己組織化される地域社会は、一人一人が創っているもので、所属したり交換したりするものではないでしょう。一人一人の生活現場の些細なやりとりこそが、面白く、かけがえのない日々がつづいています。
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