「社会システムは、人間の求心化作用と遠心化作用が、個人から対人・対社会へとフラクタルに重なってゆく自己組織化による複雑系のシステム」。
身体も、言語も、政治も、求心化と遠心化の重なりが、第三者の審級として反射してくる。
行為と意味と規範の重なりの複雑性の縮減/増大
コミュニケーションの重なり、他者の効果としての秩序、第二次の自己準拠としての「国家」
構造から機能、潜在的な機能、「真のはじまりは最後に生じる」
物質に帰属する観察の能力、揺らぎの内生性
自己組織性と二重の自己準拠
コミュニケーション・メディアとしての貨幣
時間軸と社会軸
無限への欲求
資本制、消失する第三者
代表制のパラドクス
身体の排除/包摂
コミュニケーションで社会をとらえるニコラス・ルーマンは経済システム、学システム、法システムなど多様な知のシステムを論じ、それぞれのシステム内とその環境としての他のシステムのコミュニケーションの手がかりとして、芸術を論じた。精神科学から芸術を区別し、単なる反復を許容しない芸術がシステムを超えたコミュニケーションを可能にしているようだと、私は読んだ。
大澤氏は、身体からの求心化と遠心化で、その境界を越え続ける。そして、身体の排除の果てに消失した第三者の代理としての資本の自律運動を見ているのではないか?
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