『ホリー・スモーク』(1999年)は、
信仰と性と生を、まざまざと描いている。
オーストラリアの自然の中で、より煮詰まってしまっている、
家族・知人・地域社会の中、
インドで帰依した女性主人公と
それを解こうとする、米国の男性カウンセラーの物語。
そのぶつかり合う二人のこだわりを溶いたのは、
”思い遣り”という言葉だった。
女性の生の自然さが印象的。
『インザ・カット』(2003年)は、
犯人と疑っている相手に対する意識、
信じたい気持ち、
性による感情が並存し、
生命の危機感を超えてしまう性の強さということでしょうか?
<男性は愛することを愛するのに対して、
女性は男性を愛している。
そうであるがゆえに、女性は、一方では男性よりも深く
また自然のままに愛しており、
他方では男性よりも拘束的で非反省的に愛している。>
「情熱としての愛」P.207 二クラス・ルーマン著
愛、政治、経済、貨幣、道徳、教育など、
社会システムが分化したなかで、男性は、自身をバラバラにしがちです。
しかし、女性の経済的な自立の可能性が高くなるほどに、
その自然さが貴重なのでしょう。
ジェーン・カンピオン監督の映画は、
エンジェル・アット・マイ・テーブル (1990)
ピアノ・レッスン (1993)
ある貴婦人の肖像 (1996)
と観てきました。
ジェーン・カンピオン監督作品に、女性の不思議さを観る
ニュージーランド、オーストラリアの背景が
よりプリミティブな生と愛の姿を浮き立たせ、
またイギリス、フランス、スペインと歴史ある生活社会を背景にすると、
近世から近代への愛の変遷を感じます。
では、現代はと、
小津安二郎生誕100年記念、『珈琲自光』を次に
信仰と性と生を、まざまざと描いている。
オーストラリアの自然の中で、より煮詰まってしまっている、
家族・知人・地域社会の中、
インドで帰依した女性主人公と
それを解こうとする、米国の男性カウンセラーの物語。
そのぶつかり合う二人のこだわりを溶いたのは、
”思い遣り”という言葉だった。
女性の生の自然さが印象的。
『インザ・カット』(2003年)は、
犯人と疑っている相手に対する意識、
信じたい気持ち、
性による感情が並存し、
生命の危機感を超えてしまう性の強さということでしょうか?
<男性は愛することを愛するのに対して、
女性は男性を愛している。
そうであるがゆえに、女性は、一方では男性よりも深く
また自然のままに愛しており、
他方では男性よりも拘束的で非反省的に愛している。>
「情熱としての愛」P.207 二クラス・ルーマン著
愛、政治、経済、貨幣、道徳、教育など、
社会システムが分化したなかで、男性は、自身をバラバラにしがちです。
しかし、女性の経済的な自立の可能性が高くなるほどに、
その自然さが貴重なのでしょう。
ジェーン・カンピオン監督の映画は、
エンジェル・アット・マイ・テーブル (1990)
ピアノ・レッスン (1993)
ある貴婦人の肖像 (1996)
と観てきました。
ジェーン・カンピオン監督作品に、女性の不思議さを観る
ニュージーランド、オーストラリアの背景が
よりプリミティブな生と愛の姿を浮き立たせ、
またイギリス、フランス、スペインと歴史ある生活社会を背景にすると、
近世から近代への愛の変遷を感じます。
では、現代はと、
小津安二郎生誕100年記念、『珈琲自光』を次に
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