モノと心の独り言

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’おはなし美術館’は、語りからのジャズセッション

2011-12-28 05:00:22 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア

 

朗読者と自称される春日玲さんと、舞台の音づくりをされているうららさん、そして絵・装飾などのをつくられている緒方朱梨さんが、12月23日、銀座二丁目の若山美術館で、「おはなし美術館」の公演をされました。

演目は、

  「雪の夜の話」太宰治 作

  「アリ・ババと四十人のどろぼう」菊池寛 訳

  「星の王子さま」 原作:サン=テグジュベリ 脚本=伊藤さやか

取材内容は、まちひとサイトに

   「おはなし美術館」が若山美術館にて 

  ’おはなし美術館’の春日玲さん、うららさん、緒方 朱梨さんに伺いました

  銀座2丁目、若山美術館の、武田館長、高橋さんに伺いました

ここで書き留めたのは、この公演が、メディアのモデルとして感じることが多かったから。

印刷メディアの文字が、語り手の声で読まれ、音像が合わされ、連想が視覚化されつづけ、白い部屋で、演じ手と観衆とともに交感しあうく公演でした。

劇場空間・音楽堂・ライブ空間・祭り空間・・・これは、常に仕掛けられて、楽しんできた、時間と空間の凝縮の一つです。言葉が文字になり活字になり印刷され大量に複製され流通している社会で、最初の作り手とは遠く離れている。ここでは、紙の上のインクのシミが文字として、言葉として、語られ、音や形象が立ち上がる中で、個人の感覚が呼び覚まされてゆく。一人一人が、想起するのは、その本の主題にも、副題にも捕らわれているわけではない。語りが、声と、音像と、形象へとそれぞれの実体を現わす手がかりを契機に、観客はそれぞれの'おはなの作品'を創り・集う美術館のように感じたのです。

外からこの状況を考えれば、行動心理学でいうメラピアンの法則を思い出します。実験的に始めて会った人の印象では、どのように見えたのかという視覚が55%。声として、音としての記憶が37%、言葉として8%。物語として、始まりと終わり、展開やテーマなど、時間がたつほどに、意識的に思い起こさせるのは、その8%の言葉なのです。

しかし、視覚や聴覚を記録し、表現するすべは、文字よりは手間がかかります。記録し、編集し、他の人に伝え、伝えられたものが感じ取られ、共感されるには、技が必要です。記録する技と、伝える技と、感じ解く技が。

この公演は、印刷された文字を、読み、奏で、描く3人が、一つの部屋の中でそれぞれ演じ、それが観衆の一人一人の個別の情況にそって共振される空間だったのです。そして、さらに巧妙な演出が面白かった。 春日さんは、自分がペコちゃんに似ているといって、初めての人にもなつかせて、さらに、不二家のキャンディーを、分けて、一緒に舐めさせているのです。これが、触覚から味覚の共有へ。舞台の最後には、みんなで一本締め。一期一会だから、東日本大震災に会われた方々へと意識の方向もづけもして、参加させてい拍手を合わせます。そして、この一時の空間の記憶の手がかりにと、緒方さんの作品や、春日さんとうららさんんおCDをどうぞと・・・。

同じ感動や印象を観客に求めるのではなく、それぞれの琴線に触れさせてゆく公演。生まれも育ちも生業も違いながら高密度に暮らす現代都心では、相手と共感し続けること自体が困難です。だから、その場・その時・その相手との共感に応えあえるのが都会暮らしの人たちの街空間。昼の部では、2歳の子どもが終わりかけから拍手のような仕草を始めていました。夜の部でも、終わってもなかなか帰らない観客の様子。2歳の子どもから高齢者まで、3人が呼吸を合わせて演じた舞台を楽しめたということでしょう。

厚化粧とはやりの衣装で身を隠し、ヘッドフォンではやり歌に身をゆだねて、移動する。飛行士となって不時着した砂漠は、じつは大都会の真ん中だっのかもしません。飛行機という空から降りてであったのは、一輪の花を星に残してきた王子様。王子様が消えたあと直した飛行機はどこへ飛び立つのか。私もまた一つの時空の記憶を刻みました。

おはなし美術館は、昔のジャズセッションのような、新鮮でスリルたっぷりのライブ。

「おはなし美術館」は、若山美術館に、見事に開館しました。

 


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