モノと心の独り言

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家族や地域や組織を自己目的化して分離しない活動を続ける人たちを

2015-02-14 10:48:24 | 基本的なコト

社会活動には、個人、行政、企業(法人組織)それぞれの立場がある。

村社会が崩壊し、家族が分散しがちな現代は、従来のライフライン/産業基盤などよりも、社会保障という個人の生活支援が予算の多くを占めるようになった。それは、村や家族内での活動が外部のサービス(税/商品)に代替えされてきたからでもある。行政活動も措置からサービスへと受益者負担を増やしてきた。高度成長期の余剰を生活サービスに充てる時期が終わり、寿命も延びた生活を支える医療保険/介護保険費用、あるいは膨張したライフラインを維持/更新してゆく費用も増大するばかりだ。

最近、高度成長に沿って隙間が広がった個人/法人の地域や共同生活に対する持続的な社会活動が増えてきている。NPOは、差益を私有化しない社会的な目的の法人活動化である。CSRは、企業法人が社会的存在を事業活動に織り込んで行うことである。これらは、かっての富めるもの、王侯貴族、格差階級の上位からの施しではない。行政による弱者への施策に留まらない。

個人は、家族内に閉じこもることなく、家族の生活(養育/学習/介護/遊興・・)の一部を外部に委ねると同時に、地域や組織の中での社会活動を増やしてゆく。これらは、市場交換されない、持続することでの信頼関係を高める活動として、一人一人の人格や法人格の志向の高さを現す。差異を競うのではなく共感を競う。

その結果、社会保障サービス費が減少し、インフラを最適な規模へと縮減維持できる。その余剰を、多様な価値を共存できるグローバル社会での存続のために、次世代を支え、次世代エネルギーへの開発へと振り向けることができる。次世代は、社会活動を通じ、多様な人と出会い、現場に関わることで、個性ある人材が育ち、多様な世界で生きることができる。

世界の地勢/資源は、本来、格差だらけだ。その優勢を活かし、劣勢を逆転させ、自己展開してきた西欧文明の果てが、近代国民戦争期だった。そして、貿易市場が、金融資本市場化することで、不安と欲望のグローバル化が進んだ。族の戦争、国王の戦争、市民階級の戦争、そして、国民の戦争として資源と市場で世界を塗り替えてきて、今、絶望した個人のテロが組織化している。

恵まれた個人は、多様な場/仲間/組織で、人格を多面化し、マスからパーソナルなメディア・コミュニケーションに反応を続ける。’合理的に行動する個人’は、その刺激に反応する’動物化’を進める。世界の劇場化は、激情に踊る動物の舞台となりうる。

 ここで、人が持続的に存在するには、自身の廻りと身体内との協調を維持してゆく必要がある。それは、家庭でも地域でも職場でも、家族や地域や組織を自己目的化して分離せず、一貫した自身と、相手/対象との共感を高める努力をすることでは。

 生活現場を取材していて、努力を続ける人に触れるのがとても嬉しい。


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