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ジェーン・カンピオン監督の映画三作に、女性の不可思議を観る

2006-07-20 10:57:07 | 映画・音楽・・・パッケージ・メディア
映画監督ジェーン・カンピオンの作品を、制作年代を遡るように3作観た。

「ある貴婦人の肖像」 (1996)
「ピアノ・レッスン」 (1993)
「エンジェル・アット・マイ・テーブル」 (1990)

最初に観た「ある貴婦人の肖像」は、何年も前だったが、
そのときは社会的な背景、
近世から近代へ、貴族社会から市民社会への移行のなかでの女性の生き様を感じた。
その社会的な重さと、映像の精緻さ、二コール・キッドマンが印象にのこった。

次は、「ピアノ・レッスン」、気になりながらやっと最近観て、
話すことができなくなった母親のピアノを通じた生き様の重さを観た。
ピアノとを弾くこと・聴かせることによって関わりあう心の世界、
ここでは、言葉では確かめられないことが密やかに交わされ、支えあう。
映像の強さが印象的だった。

そして、順番が逆だったのだけど、「エンジェル・アット・マイ・テーブル」
変わらない少女の心を、ことばで表現しつづけた女性の強さを観た。
少女時代の家族、学校、幼友達、進学、そして社会へでる障害、
8年の隔離、老年の小説家の庇護、そして、
ニュージーランドから出て、ロンドン、パリ、スペイン、ロンドンと
旅をしその地の生活や人、文化に触れて、戻ってきた故郷、
少女の世界を垣間見る思いでもあった。

映像の切り替えが少しづつ早く、重いテーマをテンポよく展開させ、
その割りきりが余計、女の強さを感じさせた。
男には、何らかの目標なり、対象であり続け、挫折や喪失にそれほど強くない。
ただ生きて、それもしっかりと生きてゆくことには、男はかなわない。

もう2作も、観よう。
ホーリー・スモーク (1999) 、イン・ザ・カット (2003)

特に、イン・ザ・カットでは、
ある貴婦人の物語に出演した二コール・キッドマンが製作スタッフに入っている。
「アイズ ワイド シャット」スタンリー・キューブリック (1999)
「ドッグヴィル」ラース・フォン・トリアー (2003)など
他の監督の映画での演技が印象的だった。

そういえば、少女の精神世界では、「ネル」マイケル・アプテッド (1995)が思い出される。
ジョディ・フォスターが作った映画会社の第1作であり、主演もしている。

女のつくる映画には、男 にはないものがある。
男の視線は、もっとテーマや意識がシンプルだ。
「勝手にしやがれ」ジャン=リュック・ゴダール (1960)
「赤い航路」ロマン・ポランスキー (1993)
「視線のエロス」フィリップ・アレル(1997)


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