モノと心の独り言

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映画・映像を語りあうこと、地域メディア・地域社会の行方

2006-07-20 11:17:00 | コミュニケーション-メディア
映画を語りあうときって、
これ、”観た?””どうだった?””よかった?”と聞き、
”観た!””すごかった!””面白かった”などと言葉上は単純なことが多い。
お互いに観た映像を思い出し、その場面同士を比較したりする。
セリフ、設定、配役、演技、カメラワーク、物語、・・・などその次へ踏み込むことは、なかなか立ち入れず、また入ろうとしない。

「映画」単位、「映像」単位での好み・趣味の問題として追求はしない。
ずれたときは、「そーなんだ~~」
映画、映像で語り合うには、観ていることを前提だし、
そして、その背景の状況まで語りあうには、
その場・その生活の共通の体験が必要になる。

音楽は、もっと直感的に、言葉や意味抜きで共感できることも多いが、
映像は、その空間、生活文化が示す意味や価値の想起を必要とすることが多い分、共有しにくい。まして、映画では、言葉や物語性が深く関わる。

伝達の方法から考えると、ブロードバンドでやり取りされる映像は、
身近なローカルなものと、グローバルでメジャーなものとに分かれてしまうのではないだろうか?
ローカルは、より身近に、パーソナルに、
グローバルは、ランキングや他のメディアとの相乗効果からよりメジャーなものへと両極化しやすい。
デジタル化、ブロードバンドネットワークなどで、メジャーなメディアはより統合され、他方ローカルなメディアは、より分野や地域で分かれてゆくのではないか?
そのなかで、中規模で地域で共有するメディアである
地方TV局、CATV局、ラジオ、地域FM、タウン情報誌などの
制作力や視聴者数が減ってしまうのではないか。

ワンセグ、ラジオのネット化も結局、キー局中心で動くし、
U・TUBEやネット放送、Podキャスティングなど、
パーソナルなレベルを超えないのではないか?

メジャーな広域のなかでの話題とネットワークでまとまるテーマ別の話題のなかで、
地域の話題や課題を持続的に取り上げ、共有する地域メディアは、個人化してゆくだろう。

映像コミュニケーションが普及するほど、地域は個人化してゆく。
映像コミュニケーションも地域社会を変えてゆく一つの要因である。


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