モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

記憶とコトバの在りどころ:三月大歌舞伎にて

2006-03-28 07:23:40 | 暮らし・街・環境
街も建物も装飾も着物も柄も

様々な体験と記憶の手がかりとして、
共有化されているのだが、
携帯では、
コトバに変える意志と集中力も不要に
パシャ!

もう、見つめる眼差し、
交わすコトバよりも、
画面で”どう?”
記憶の外部化、言葉の無化は、
テレビという共通心象の、
刺激・変化の速さ・多さに順応してきた結果なのだろう。

リアリティは意識だとのデカルトの時代は超えられるのか、
重層化されるのか、あるいは超えていないのかは別として、
すでに記憶や判断が
外部化・共有化されていて、
生きるとは追認することみたいになっているのかも。

それなら、
外部化されえない麻原・オームは、
”人間では無く、在り得なかったこと”に
できるかもしれない・・・
・・・・・・・・・・・・けど・・・



最新の画像もっと見る

コメントを投稿