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現代社会の三原則を支える三つのテーマを、WirelessJapanにみる

2011-05-27 10:33:02 | 基本的なコト
現代の三原則: 関係・非対称・優先順位は、
主体の立場次第で、不確定ではないか?
そう、不確定。
自然の変化よりも、人間社会行動の変化は、更に不確定。

身近な相手との関係づくりから、虐めや瞬間ヒーローが生まれ、
母性と社会性(我が子への想いと世界の行く末)との両極が生まれ、
移動・通信・記録が増えるほどに、自身の情報と世界の情報は非対称を極大化し、
優先順位の合理性は、相対的となり、縮約される。

自由・平等・博愛は、始から理念であったのであり、
理念が現実を理解しきるという近代自我が、
自身の一部の意識だっただけのことだ。

だから、
現代の三原則は、
意識とは別次元のデータから、演繹される必要がある。

それが、絶対原理から主義へ、主義から手法へと近代が辿った道だ。
そして、いま手法が手元に残ると、どのような意識とは別次元のデータを、
生活実態の影として、拾って、組み合わせをしてゆくのかということになる。

しかし、未熟な論理回路・アルゴリズムは、金融市場の破綻を招いた。
期待と不安をネタに市場を膨らませ、機関投資家に金を預ける年金生活者まで、自身だけは切り抜けられると楽観した。
機械的なデータでは、想定外の自体への対処はできない。想定を膨らませば、対処のための費用が、生活・事業自体の費用を上回る。想定外の保険が担保されないとすると、どうするか?
そんな自我の欲望に依存しないで、自律分散的なフィードバックが必要となる。
そして、一人一人が、自動的な反応と意識的な反応を一緒に発信してゆく社会システムが考えられる。

その手がかりが、大量生産が始まった20世紀初期からはじまったマーケッティング手法だ。
そして、21世紀には、局所的、ロングテールな事象に対応するための社会的インフラが整いつつある。

今日まで開かれているWirelessJapan。
デジタル化をユニファイド・メッセージから始めた私が意識するテーマは、
mobile communication, unified message, social network
この三つだ。
クラウドもスマートフォンも、この中の話題なのだ。
人が活動している現場から、多様な形式のメディア(言葉・文字・図・写真・映像・身体ー環境センサーデータ)をバラバラにしないで、社会的なネットワークのなかで使ってゆけること。

(なんだ、バカボンの叔父さんは、技術者だったのか?)
そう、技術が、明日に希望を抱かせる
手も、火も、道具も、文字も、人を拡張してて幻想さえ楽しめるのは技術のおかげ
 だから、原発の収束までの技術革新と地球のバランスを壊さないエネルギー利用を期待するなかで、膨大な人が、相手を否定し合わないで、楽しめる時代を期待している。
もう、このぐらいでいいと満足していた人も、実は不確定な社会にいることが、今回の大震災で実感した。運が良かった、悪かったで、かけがいの無い人を失いたくはない。せめて、最善を尽くしたという、思いこみだけは持っていたい。
しかし、一生懸命やっていればとか、汗を流し合っていればというほどには、楽観的ではない。
人知を越えた技術に頼り、使いこなしてゆくことで、立ち向かいたいのだ。

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