コトバが、自己中心に組み立てられるメディアなら、
描画もまた、その自意識を映し出すメディアだと思う。
同じ人を、写真で写すのと、イラストで描くのでは、
意図の表れ方は、大きく違う。
コミックは、その内的な世界の描写に強いだけ、
書き手の自意識が、読み手の自意識に迫ってきて、
精神的なメディアだと感じられる。
写真は、それ自体が物理・化学の結果である。
何を、何時を、どのフレームを、どこに焦点をあわせてと
撮りてが意気込んでも、光の明暗、化学変化へ還元されて、
外界と相似的につながっている。
その描かれた物語であるコミックは、どんな宇宙が描かれていようが、
読み手自身の中へ潜られてくる感じがする。
描くことで、その行為の主の意識自体が表現され、
読み手は内容とともに、描きての意識が生に伝わってくる。
写すことと描くことは、
同じ視覚メディアでも、大きく違う。
コミックを読むことは、描かれた対象を読もことと同時に、
描いている作家との対話であるように感じる。
描画もまた、その自意識を映し出すメディアだと思う。
同じ人を、写真で写すのと、イラストで描くのでは、
意図の表れ方は、大きく違う。
コミックは、その内的な世界の描写に強いだけ、
書き手の自意識が、読み手の自意識に迫ってきて、
精神的なメディアだと感じられる。
写真は、それ自体が物理・化学の結果である。
何を、何時を、どのフレームを、どこに焦点をあわせてと
撮りてが意気込んでも、光の明暗、化学変化へ還元されて、
外界と相似的につながっている。
その描かれた物語であるコミックは、どんな宇宙が描かれていようが、
読み手自身の中へ潜られてくる感じがする。
描くことで、その行為の主の意識自体が表現され、
読み手は内容とともに、描きての意識が生に伝わってくる。
写すことと描くことは、
同じ視覚メディアでも、大きく違う。
コミックを読むことは、描かれた対象を読もことと同時に、
描いている作家との対話であるように感じる。
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