タオル
2010-02-15 | 日記
リハーサルにネバダバレエに行くと、『瀕死の白鳥』の衣装について尋ねられました。まだまだそれどころではなく、何の準備もしていません。でも、用意をしていかなければならないことを思い出すことができました。
帰りがけに、今日ラスベガスにご到着のお二人から電話が入りました。丁度お店に居た時で、良いタイミング。一度家に戻ると、MGMにチケットを取りに行き、彼女達とタウンスクエアに行って食事をしました。アメリカンサイズの一皿を残さず頂いたので、お腹いっぱい。デザートは入りませんでした。
彼女達をミスティアに送ると、亜梨ちゃんに電話。今日は彼女の誕生日。お祝いをすることにしました。私はお腹がいっぱいでしたので、残念ながら食事は出来ず、デザートだけ頂くことにしました。彼女がおいしそうに食事をする姿を眺めながら、お腹に隙間が出来るのを待ちました。話しをしていると、あっという間に時間は経つものです。閉店時間。3時間ぐらい居ました。
あまりにもお腹がいっぱいなので、散歩をして落ち着かせることにしました。
ボロボロになってしまったタオル、こんなになるまで使いたかったタオル、タオル掛けから降ろすことになり、ようやく雑巾として第二の人生を歩ませる覚悟が出来ました。このタオルは、世界大会代表選手に選ばれて頂いたタオルです。
私が初めて世界大会に出たのは第3回の世界大会、1982年のことです。その頃は、日本代表選手として揃えなければならないものを自費で払っていました。ジャージだけではなく、靴もお揃いでした。そればかりか開会式に着る立派な制服もありました。
その後、ジャージは支給して頂けるようになり、また、このようなタオルを頂けるようになりました。オリジナルのバトンケースを作って頂けることになった時は、夢のような話に心を躍らせました。
遠征費や体育館代も自費でしたから、親にはたくさん負担を掛けましたが、私はこうやってひとつひとつの喜びをかみしめながらバトンの発展と共に歩んでこられ、幸せだったと思います。
思い出のタオルと共にラスベガスに来ました。毎日のように使い、その幸せをいつも思い出しながら過ごしていました。顔は拭けなくなりますが、もう少しは共に過ごせます。
帰りがけに、今日ラスベガスにご到着のお二人から電話が入りました。丁度お店に居た時で、良いタイミング。一度家に戻ると、MGMにチケットを取りに行き、彼女達とタウンスクエアに行って食事をしました。アメリカンサイズの一皿を残さず頂いたので、お腹いっぱい。デザートは入りませんでした。
彼女達をミスティアに送ると、亜梨ちゃんに電話。今日は彼女の誕生日。お祝いをすることにしました。私はお腹がいっぱいでしたので、残念ながら食事は出来ず、デザートだけ頂くことにしました。彼女がおいしそうに食事をする姿を眺めながら、お腹に隙間が出来るのを待ちました。話しをしていると、あっという間に時間は経つものです。閉店時間。3時間ぐらい居ました。
あまりにもお腹がいっぱいなので、散歩をして落ち着かせることにしました。
ボロボロになってしまったタオル、こんなになるまで使いたかったタオル、タオル掛けから降ろすことになり、ようやく雑巾として第二の人生を歩ませる覚悟が出来ました。このタオルは、世界大会代表選手に選ばれて頂いたタオルです。
私が初めて世界大会に出たのは第3回の世界大会、1982年のことです。その頃は、日本代表選手として揃えなければならないものを自費で払っていました。ジャージだけではなく、靴もお揃いでした。そればかりか開会式に着る立派な制服もありました。
その後、ジャージは支給して頂けるようになり、また、このようなタオルを頂けるようになりました。オリジナルのバトンケースを作って頂けることになった時は、夢のような話に心を躍らせました。
遠征費や体育館代も自費でしたから、親にはたくさん負担を掛けましたが、私はこうやってひとつひとつの喜びをかみしめながらバトンの発展と共に歩んでこられ、幸せだったと思います。
思い出のタオルと共にラスベガスに来ました。毎日のように使い、その幸せをいつも思い出しながら過ごしていました。顔は拭けなくなりますが、もう少しは共に過ごせます。