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Information<四方館 Dance Cafe>
「KASANE 2008 –襲Vol.Ⅲ-」
愈々本日夕、Free Space MULASIA, Kujyo
匂ふより春は暮れゆく山吹の
花こそ花のなかにつらけれ 定家
春ならば、桜萌黄や山吹か
藤や桜や牡丹花
秋や秋、月に桔梗や女郎花
紅葉、白菊、萩重
夏は、卯の花、葵とや
百合や撫子、花菖蒲
冬は、枯野に松重
椿氷るや雪の下
―世間虚仮― Soulful days -10-
昨日-9/27-、RYOUKOの二七日。
AM11時前に波除の家に行く。生前の寝室だった部屋に祭壇が設えられ、遺骨が置かれている。
まだ誰も居ないその部屋で、そっと骨壺を開けてみた。これでもかというほどに詰め込まれた骨片の上に頭骨が乗っていた。その頭を指で触れてみる‥、カラカラに乾いた感触以外、なにもない。
蝋燭を灯し、線香を立てて、ベッドに凭れるように座っていると、まもなく麻生和尚がやってきた。
その麻生さんが帰りがけに階下で言い残していった謂い「脇見運転だって、新聞に出ていたって?」に、ひととき一座は騒いだ。新聞に出ていたのならその記事、どうでも探さなくちゃ、記者の予断としても西署から漏れ出た情報がある筈。何人かに尋ね合わせてみたが、記事を知る人はいなかった。
はたして記事はあったのか、或いはなにかの勘違いか。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「炭俵の巻」-16
霧下りて本郷の鐘七つきく
冬まつ納豆たたくなるべし 野水
次男曰く、秋三句目、霧は兼三秋の季だが、晩秋と見定めれば「鐘七つきく」に夜の明けるのを待兼ねる姿がある。それを「冬まつ」と、合せたか。
「冬まつ」は冬近しである。一句、姿良く、初冬に入る生活の情がよく現れる。七点鐘を力ぐさに、納豆叩きの小刻みな音を面白く絡ませている。
尤も、納豆といえば寺、僧家の連想がある。「本郷」を寺町と見ているのだろう。但し、この句の作りについていえば、町家の未明の営みと読んで趣が深い。
叩き納豆は、江戸初め頃商売にすることも江戸初め頃既に商売にすることも珍しくなかったらしいが、納豆を季語とするのは下って江戸中期以降で、「納豆造る」を晩夏に分類する季寄せが多い。
次に花の座を控えて「冬まつ」とは転合なことをする。「捨られて」以下「門守の」まで冬の三句続きは、夏冬の平句は一句で捨ててもよいとする者から見れば異例だが、はこびはさらに雑の句を挟まずいきなり秋へ戻し、その三句目でわざわざ「冬まつ」と念押しに作っている。
「冬まつ」は晩秋の季であって冬ではないとはいえ、これは明らかに連句の約束に背く。敢えてそう作ったのは、次句の花の座-春-に難題を吹っかけているとしか読みようがあるまい。手詰りが生んだ窮余の策だったかもしれぬが、面白くなってきた。意外なところに警策がある、と。
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