山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

酒ではげたるあたま成覧

2009-02-27 20:43:49 | 文化・芸術
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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―世間虚仮― Soulful Days-19- 在日の影

その疑いは不意にやってきた。
52人の在日第一世代が、日本の支配下で貧困ゆえにやむを得ずあるいは強制されて故国を出奔、この列島に渡り来て幾星霜、晩年を迎え異郷での来し方、分断されたままの祖国に望郷の想いを抱きつつ異邦人として暮してきた辛酸の日々をさまざま語りおこした「在日一世の記憶」も、あと何人かを残しほぼ読み了えようとしていた先日-2/23-の昼近くのことだった。

彼ら在日の人々が辿ってきた来し方は、あくまでそれぞれに個別の、過酷で悲惨な日々であり、厳しい闘いの足跡でもある。そんな生々しい52の証言にはちがいないのだが、それら語りの数々が重畳してどうしても浮かび上がってくるのは、日本によって植民地化された半島という歴史的背景のなかで、どこまでもマイノリティとして強いられ定めづけられてきたきわめて特殊な刻印を帯びた世界であるだけに、彼らの居住地の散らばりとはうらはらに、どうしても収斂してくる心のありようであり行動の様相であり、また彼らをつなぐ精神的紐帯の強靱さであるのだが、それらが現実の相としては、戦後の解放から生まれた朝鮮総聯や民団の諸活動及びその変遷史に色濃く重なっていることだ。

おそらくは携帯電話が原因であったろう直前の脇見運転が大いに疑われる事故の相手方T-当時27歳-の父親、書面で二度、直に会ったのも二度の、神経質そうな紳士然とした物言いの彼が、ひょっとすると在日の人でないかという疑念が、ふと脳裏をかすめたのである。

高卒で百貨店の大丸に入社して、ながらく大丸ホームショッピングの通販業務を担当してきた経験を活かしてのものだろう。定年退職してからはじめたという個人会社は、全国の食品物産を仲介する通販業とかで、日本各地の仕入先をめぐり歩くのが日常の仕事のようであった。初会の折、彼から貰った名刺には、ソウルに出先オフィスの連絡先が記されているのを眼にはしていたのだけれど、会社のHPに韓国産の岩海苔も主要品目として掲載されていたことから、これまではとりたてて不審を抱くこともなく合点していたのだった‥。

あらためて、彼の会社のHPを詳しく見た。会社情報の頁には彼の略歴が箇条書きされている。そこでひときわ眼を惹くのは韓国関連の事項だ。曰く「95年、韓国大教グループ、コンサルティング」「98年、韓国三星物産、コンサルティング」、さらには「99年、(株)ファーストリテイリング、コンサルティング」etc.。

三星物産とは韓国トップ企業のサムソン電子を擁する大財閥グループだし、世界進出めざましいユニクロの親会社ファーストリテイリングの創立者も韓国出身者とされている。名もなき一介の個人会社の代表者にすぎない者が、これら大会社のコンサルティングとはいかにも釣合わず不自然きわまりない。彼自身が在日の一世か二世で、その狭隘で緊密なネットワーク、人脈の存在ゆえかと考えないわけにはいかない。

私が親しく付き合っている人に、年齢はちょうど私より一回り下だが、在日二世の友人がいる。厳密には、彼の場合すでに帰化し日本国籍を有しているはずだから、厳密には在日というべきではないとも思われるが‥。
その年下の友人に尋ねてみた。その応答をここに詳述するのは控えるが、私を暗澹とさせるに充分すぎる内容のものであった。

私が疑念を抱いたように、仮に事故の相手方Tの父親が在日で、それもかなりの有力者だとすると、偶然のこととはいえ皮肉なことにはRYOUKOの乗っていたタクシー会社がMKタクシー、その経営トップは在日の著名人たる御仁なのだから、この構図、我々が求める事故原因の究明にとって、これを遅滞させるばかりか事件の真相を覆い隠すものになるやもしれぬ。検察に送られた捜査資料のままに、ひとり運転手Mの過失ばかりが主因とされ不当な刑に服さねばならなくなるという危惧は否めないのだ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-24

  手束弓紀の関守が頑なに  

   酒ではげたるあたま成覧  曲水

次男曰く、それらしき人物をあしらった軽口の付である。鑓句といえば鑓句だが、初裏以下十七句、けっこう気の張った付合の連続できた。曲水のこの打崩しは時宜になったものだろう。

「渺々-バラバラ-と尻をならぶる田植かな」、同じ作者の洒脱ぶりである。この関守は根がお人善し、禿にも一徹な禿げっぷりがあるらしい、と想像させるところにユーモアがある。先の長嘯子の歌はこの禿頭の年酒でいっそう活きる、と。


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手束弓紀の関守が頑なに

2009-02-26 21:59:39 | 文化・芸術
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―表象の森― 赤い唄たち

「赤」を題に含んで唄われ親しまれてきた曲は、おそらく青や黄など他の色名に比べても、白と双璧をなしてよほど多いにちがいない。なにしろこの国の旗とされる「日の丸」が「白地に赤く」なのだから、赤と白の対比は、この国の文化のかたちにさまざま象られ遺されている。

さしずめ童謡ですぐ念頭に浮かぶのは、
「赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」
「夕焼小焼の、赤とんぼ 負われて見たのは、いつの日か」などか。

「ふしぎな橋がこのまちにある」と唄い出される浅川マキの「赤い橋」には、その二番あたりで
「赤く赤くぬった橋のたもとには
紅い紅い花が咲いている」の一節が登場する。

流行り唄ではないが、同声二部合唱曲「赤い屋根の家」というのがある。
「でんしゃのまどから 見える赤いやねは
小さいころ、ぼくが すんでた あの家」とはじまり
「ずっと心の中 赤いやねの家 赤いやねの家」とリフレインされて、いまもう跡形もない幼い頃を過ごした家の赤い屋根が、少年時の自身の姿と重ね合わせられように立ち上がってくる。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-23

   熊野見たきと泣給ひけり  

  手束弓紀の関守が頑なに  珍碩

手束弓-たつかゆみ-

次男曰く、「吾が背子が跡ふみもとめ追ひゆかば紀の関守い留めてむかも」-万葉・巻四-、天皇の行幸に従って紀伊の国に下る夫に贈るとして、女に成替り笠金村が詠んだ歌である。

「紀の関-原文、木乃関-」は、大化2年に定められた畿内四囲の南限の背山かと思われるが、むろん関趾など残っていない。「い」は主格の下に付く強意の助詞。成替って詠むということは面白いもので、依頼者と作者との間にも問答のくすぐりを生む。「留めてむかも」、引留めるだろうか-通してくれるものでないかしら-女--いや通してくれぬかもしれんよ-作者-。

右の歌は「夫木和歌抄」にも採っているし、珍碩はこれを下に敷いて「熊野」との連想で付けたと考えてよかろうが、「紀の関守」と「手束弓」は寄合の詞である。

「あさもよひ紀の関守が手束弓ゆるす時なくまづ笑める君」-初見は源俊頼の歌学書「俊頼髄脳」永久3年頃成るか-。「あさもよひ」は「き」の枕詞。歌意は定かには捉えられぬが、次のような話を添えている。

「むかし男ありけり。女を思ひて深くこめて愛しけるほどに、夢にこの女、我は遙かなる所に行きなんとす、ただし形見をば留めんとす、我が代りにあはれにすべきなりと言ひける程に夢さめ、驚きて見るに女は無くて、枕に弓立てり。あさましく思ひてさりとて如何せんとて、その弓を近く傍らに立てて、あけくれに取り拭いなどして、身をはなつことなし。月日ふる程に又白き鳥になりて飛びいでて、遙かに南の方に雲に随きて行くを、尋ね行きて見れば、紀伊国に到りて人に又成りにけり。さて、この歌はその折に詠みたりけるとぞ」。

歌も話も伝承だが、その後これは「奥義抄」「今鏡」「袖中抄」なども載せ、
「引きとむる方こそなけれ行く年は紀の関守が弓ならなくに」-藤原俊成、長秋詠藻-
「引きとめよ紀伊の関守が手束弓春の別れを立ちや返ると」-藤原家隆、壬二集-
というような写しが詠まれる。下って、木下長嘯子にも
「雪の内に押しても春のたつか弓紀の関守や今日を知るらん」-挙白集-、がある。

前二者が歳暮と暮春の歌ならこれは立春に目をつけた云回しだ-春立つ、手束弓-、というところが工夫のみそで「手束弓紀の関守」と続けた歌はほかに無いようだ。
珍碩は、「挙白集」の初に収める年内立春の歌を知っていたのではないか。ならば、「頑に-押戻す-」と翻した俳はいっそう面白く読める、と。


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熊野見たきと泣給ひけり

2009-02-25 20:47:28 | 文化・芸術
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―表象の森― どちらが先か?-F.ヴァレラ「身体化された心」より

「世界とイメージと、どちらが先か」という問いに対するほとんどの視覚研究の答えは、認知主義者であれ、Connectionistであれ、それぞれ研究テーマの名称から明らかである。彼らは「明度差から形状を」「運動から奥行きを」「さまざまな照明から色を」回復することを研究する。このスタンスを<鶏の立場>とすれば、

<鶏の立場> そこにある世界は所与の特性である。それし認知システムに投影されるイメージに先立って存在するのだから、認知システムの課題は-記号によって、あるいは全体的な準記号的状態によって-世界を近似的に回復することだ。

この立場はとても理に適っているように聞こえるし、事物が他のやり方で存在しうると想像することはとても難しい。他の選択肢としては<卵の立場>しかないと考えてしまう。

<卵の立場> 認知システムはそれ自身の世界を投射する。故にこの世界の見かけの実在性はこの内的な法則の反映にすぎない、と。

しかしながら、色は、知覚、認知能力から独立して「外のそこ」にあるのでもないし、我々を取り囲む生物学的、文化的世界から独立して「内のここ」にあるのでもない。色は、客観主義的な見方に反して、経験的なものであり、主観主義的な見方にも反して、我々の共有された生物学的、文化的な世界に属するものである。

所与の外的世界の回復としての認知-実在論-と、所与の内的世界の投射としての認知-観念論-という、これら両極は<表象>をその中心概念としている。前者では外にあるもの回復するために使われる表象、後者では内にあるものを投射するために使われる表象である。

Enactive approach を標榜する我々の意図は、認知を回復や投射としてではなく、<身体としてある行為>として研究することにより、この内側対外側という形式的な対立を回避することにある。

<身体としてある行為>とは、第一に、各種の感覚運動能力を有する身体のさまざまな経験に、認知が存在すること。第二に、これらの感覚運動能力自体が、より包括的な生物的、心理的、文化的コンテキストに埋め込まれていること。

感覚と運動の過程、知覚と行為が生きた認知においては根源的に不可分であること-両者は個人において偶発的に結びついているだけでなく、一体化して発展してきたのだ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-22

  羅に日をいとはるゝ御かたち  

   熊野見たきと泣給ひけり  翁

次男曰く、前二句を「平家物語」巻十、屋島を落ちた小松三位中将維盛の高野山剃髪、熊野参宮の俤と見做して、その入水を知らされた北の方・若君姫君の悲嘆のさまを付けている、と私なら読む。

ここのところ、打越以下三句が同じ人物と読まれ易いはこびである。いきおい、打越と前を身分ちがいで所詮かなわぬ恋をたねにした向付、前とこの句を同一人の高貴な女性と考える説や、打越と前を深窓佳人の二句一意、この座を熊野詣を趣向にして、女旅を男旅に読替えたと考える説-中村俊定-も生れる。いずれも、俤を引出すということの面白さがわかっていないようだ。

「熊野見たきと泣給ひけり」を維盛北の方の俤と読んでいる宮本三郎注-校本・芭蕉全集第四巻-でさえ、打越と前を男女の向付と解している。そうではあるまい。

維盛は重盛の長子、病と称して一ノ谷の合戦にも加わらず、一門より先に屋島に逃れた、かの優男である。「抑もこれより江戸を厭ふにいさみなし。閻浮愛執の綱つよければ、浄土をねがふも物うし。ただこれよりや山伝ひに宮こへのぼつて、恋しきものどもをいま一度みもし、見えての後、自害をせんにはしかじ」-巻十、首渡-と悲嘆にくれる男が、さんざ迷ったあげく高野に上り滝口入道の導きで剃髪した、という哀話を諸注はおろそかにし過ぎている。

熊野はもともと土着信仰だが、院政期、阿弥陀信仰と習合して行事化されるに及んで、貴賤男女の別なく往来が繁くなり、世に蟻の熊野詣と呼ばれた。そのなかから俤の一つもさがすなら、よほどの説話的要素がなければなるまい。維盛入水を除いて有ろうとも思われぬ、と。


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羅に日をいとはるゝ御かたち

2009-02-24 18:17:19 | 文化・芸術
Zainichi

Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― 在日、語りの群れ

12月に購入していた「在日一世の記憶」を昨夕やっと読み了えた。有名無名のさまざま52人の在日第一世代の証言を集めた本書は新書版ながら781頁という大部のオーラル・ヒストリー。

序において姜尚中が、
「在日一世たちの証言-その肉声は、<観念の嘴>から滑らかに押し出される声ではない。それは、うめきや叫び、嘆息や怒り、悲しみや喜びに満ちた、全身を痙攣させるように絞り出される肉声である。ここに収められた彼らの証言には、饒舌なおしゃべりとは正反対の、言葉のいのちが宿っている。たとえ、それが彼らの経験が脳に刻み込んだ一般的偏見を免れていないとしても。」と記しているように、一人一人の語り手、その言霊は肉の重さをもってひしひしと伝わってくる。

歴史に向かうあるべき精神を、姜尚中流に「歴史の痕跡を示す証言に問いかける包容力」といってみるならば、本書もまたよくこれを鍛え打ってくれる書であり、この列島の近現代における実相を照射してやまぬ良書の一つとして、渡辺京二の「逝きし世の面影」や宮本常一らの監修になる「日本残酷物語」-5巻本-に、本書を加えておきたいと思う。

―今月の購入本―
・H.マトゥラーナ/F.ヴァレラ「知恵の樹」ちくま学芸文庫
システムが自分自身の組織を形成し変化させていく閉じた環のなかにとどまり、その循環をよき環として捉え直そうというオートポイエーシス論の提唱者たる二人の原理的入門の書。

・A.M.ヴァールブルク「蛇儀礼」岩波文庫
恐怖の源か、不死の象徴か。世紀末のアメリカ、ブエブロ・インディアンの仮面舞踏や蛇儀礼は、やがてギリシア・ローマやキリスト教の蛇のイメージと交錯し、文化のなかの合理と非合理、その闘争と共存を暗示する。

・堀田善衛「上海にて」集英社文庫
1945年3月東京大空襲の後、上海に渡って敗戦の前後1年余を過ごした堀田善衛が、十年を経て再訪した際にものした回想紀行。

・坂部恵「かたり-物語の文法」ちくま学芸文庫
「歴史学は客観主義、実証主義の過度の呪縛から逃れ、小説の手法を用いながら、具体的な効果を現す」べしとした折口信夫の論を承け、虚構-実録の双方根底に<かたり>という共通の基盤を見出した著者が、和洋垣根のない柔軟な発想で<かたり>の位相や地平を論じる。

・西垣通「こころの情報学」ちくま新書
情報なるもの‥、その意味解釈や処理加工は、生物の身体内に蓄積されてきた情報系に基づいて実行され、結果として情報系自体も変化する。こういった累積効果こそが<情報>の基本的な性格なのだ。

・木田元「なにもかも小林秀雄に教わった」文春新書
ハイデガー思想やフッサールやM.ポンティの現象学を専らとしてきた哲学者の読書体験を軸にした自伝的回想録。

・三浦雅士「漱石-母に愛されなかった子」岩波新書
漱石作品を貫く<心の癖>-それは母の愛を疑うという、ありふれた、しかし人間にとって根源的な苦悩であった。彼の小説の数々を、この<心の癖>との格闘に貫かれたものとして読み解き、人間への鮮烈な問いとして現前させる新しい漱石像。

・入江曜子「紫禁城-清朝の歴史を歩く」岩波新書
清朝280年波乱に満ちた王朝の歴史、その出来事の数々を重ねつつ、壮大な紫禁城を隈なく訪ね歩く。

・湯浅誠「反貧困-「すべり台社会」からの脱出」岩波新書
いわずと知れた「年越し派遣村」村長である著者の、反-貧困の実践十余年の活動から問う社会と政治へのプロテスト。
他に「DAYS JAPAN」2月号、月刊「みすず」1/2月合併号

―図書館からの借本―
・J.デリダ他「アルトー/デッサンと肖像」みすず書房
「残酷の演劇」狂気の芸術的天才アルトーが遺したデッサンの数々に触発されて書き上げられた300枚におよぶジャック・デリダの文章が添えられたという類例のない画集。

・F.ヴァレラ「身体化された心」工作舎
紹介済み

・いしいしんじ「みずうみ」河出書房新社
少年の目線でもって社会との関わりを意識して描いた作品が多く、優しい表現の裏に切実に人間を生きる姿勢が印象的な作家といわれる、いしいしんじ07年初版の小説。

・金子邦彦・池上高志「複雑系の進化的シナリオ」
複雑系科学としての理論生物学の可能性、共生-多様な相互作用世界、ホメオカオス、繰り返しゲームにおける開放的進化、コミュニケーションゲームにおける進化、などを論じる。

・水墨美術大系第11巻「八大山人・揚州八怪」講談社
17世紀後半の明代末から清代初期、花卉や山水、鳥や魚などを題材としつつ、伝統に固執しない大胆な描写で水墨山水の新たな地平を拓いた八大山人の画集。

・加藤哲郎「ワイマール期ベルリンの日本人」岩波書店
副題に「洋行知識人の反帝ネットワーク」とある。大正後期から昭和初期にかけて、ワイマール・ドイツに滞在する日本人1000人近くに達した。その学者や芸術家たち、政治的に先鋭化してゆく者、その対立批判派、あるいは中立派などの動向を伝える。

・小松和彦/関一敏編「新しい民俗学へ-野の学問のためのレッスン26」せりか書房
これまで民俗学において生み出されてきた数多のキーワードを、現在の文脈のなかで、その堅さをほぐしつつ、再生を図ろうとする事典的コラージュ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-21

   文書くほどの力さへなき  

  羅に日をいとはるゝ御かたち  曲水

次男曰く、羅-ウスモノ-は平安末の辞書「名義抄」にも「ウス物」として載せるが、連・俳の詞として取出したのは元禄11年-1689-刊の連歌学書「産衣」が最初か。
「羅-ウスモノ-白く紋なき絹也」として「とる袖も羅匂ふ扇かな-宗祇」を例に挙げている。但し、季の詞とも雑の詞とも云っていないし、第一これは俳諧書の手引書ではない。季語としての初出は「俳諧通俗史」-享保元(1716)年-らしく、仲夏として挙げる。

曲水の句は、諸注いずれも夏としているが、雑と見るべきものだろう。因みに、この巻の以下を見ると表八句目まで雑、九句目-「中なかにと土間に居-すわ-れば蚤もなし-曲水」-が夏である。雑を何句間に持っても季が動いたことにはならぬ。況や、前後同季-夏-の作者が同じ-曲水-などというぶざまなはこびはありえまい。

されば、この「羅」は着衣ではない、被りものである。
二句一章として、男か女か、いずれ身分高き人であろう、俤のひとつも、催促していると覚らせる作りである。うまい会釈-あしらい-付だ、と。


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文書くほどの力さへなき

2009-02-22 23:03:57 | 文化・芸術
Dancecafe080928193

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―表象の森― F.ヴァレラ「身体化された心」より

・色視覚の次元性

われわれ人間の視覚は「三色性」である。その視覚システムは三つの色チャンネルへ交差結合される三種の光受容体から成っている。

もちろん三色性は人間固有のものではない。むしろほとんどすべての動物群に三色性をもつ種がいる。だが、興味深いことは、「二色性」や「四色性」を有する動物群もあり、さらには「五色性」の可能性のある動物もいるとされていることだ。
二色性には、リス、兎、ツバイ、ある種の魚、おそらくは猫、ある種の新世界猿が、四色性には、金魚のように水面近くで生きる魚、ハトやカモのような昼行性の鳥などだが、昼行性の鳥においては五色性の可能性もあるというのだ。

われわれ人間の視覚が三次元であるように、二色性の視覚を表すには二次元、四色性には四次元、五色性には五次元が必要となるわけだが、その基礎となる神経系の作用はわれわれのそれとはまったく異なるものにちがいない。
仮に、四色性=四次元の色視覚を、われわれ三次元の視覚に時間次元を有したものと想像してみるなら、色は四番目の次元値に応じて異なった度合で点滅するといったことが起こり、たとえば「速い-赤」とか「遅い-赤」といわねばならないようなことになるだろう。

このような動物界の多様な色視覚の存在は、鳥、魚、昆虫、霊長類の非常に異なる構造的カップリングの歴史によって、それぞれ異なった知覚される色の世界を創出してきたものと見るべきだろう。
したがって、われわれ人間の知覚する色世界が、けっして進化論的な最適の適応と見なしてはならないわけである。われわれの有する色世界は、生きている存在の進化論的な歴史のなかで実現された、一つの存続可能な系統発生的な経路の成果にすぎないのだ。

・認知科学におけるenactive approach-行動化アブローチ-

Q. 認知とは何か?
A. 行為からの産出-enaction-。世界を創出する構造的カップリングの歴史である。

Q. それはどう機能するのか?
A. 相互連絡した感覚運動サブネットワークの多重レベルからなるネットワークを介して。

Q. 認知システムが十分機能しているときをどうやって知るのか?
A. あらゆる種の若い生物のように進行中の存在世界の一部になるときか、進化の歴史で起こるように新しい世界が形成されるとき。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-20

  何よりも蝶の現ぞあはれなる  

   文書くほどの力さへなき  珍碩

次男曰く、恋句に奪って二ノ折入の展開としている。

余情を汲んだ遣句体ながら、このはこびのよろしさは、既に芭蕉の句作りが期待した筈のものである。人物はひとまず女と見たくなるが、そうと限ったわけではない、と。


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