Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」
―世間虚仮― Soulful Days-19- 在日の影
その疑いは不意にやってきた。
52人の在日第一世代が、日本の支配下で貧困ゆえにやむを得ずあるいは強制されて故国を出奔、この列島に渡り来て幾星霜、晩年を迎え異郷での来し方、分断されたままの祖国に望郷の想いを抱きつつ異邦人として暮してきた辛酸の日々をさまざま語りおこした「在日一世の記憶」も、あと何人かを残しほぼ読み了えようとしていた先日-2/23-の昼近くのことだった。
彼ら在日の人々が辿ってきた来し方は、あくまでそれぞれに個別の、過酷で悲惨な日々であり、厳しい闘いの足跡でもある。そんな生々しい52の証言にはちがいないのだが、それら語りの数々が重畳してどうしても浮かび上がってくるのは、日本によって植民地化された半島という歴史的背景のなかで、どこまでもマイノリティとして強いられ定めづけられてきたきわめて特殊な刻印を帯びた世界であるだけに、彼らの居住地の散らばりとはうらはらに、どうしても収斂してくる心のありようであり行動の様相であり、また彼らをつなぐ精神的紐帯の強靱さであるのだが、それらが現実の相としては、戦後の解放から生まれた朝鮮総聯や民団の諸活動及びその変遷史に色濃く重なっていることだ。
おそらくは携帯電話が原因であったろう直前の脇見運転が大いに疑われる事故の相手方T-当時27歳-の父親、書面で二度、直に会ったのも二度の、神経質そうな紳士然とした物言いの彼が、ひょっとすると在日の人でないかという疑念が、ふと脳裏をかすめたのである。
高卒で百貨店の大丸に入社して、ながらく大丸ホームショッピングの通販業務を担当してきた経験を活かしてのものだろう。定年退職してからはじめたという個人会社は、全国の食品物産を仲介する通販業とかで、日本各地の仕入先をめぐり歩くのが日常の仕事のようであった。初会の折、彼から貰った名刺には、ソウルに出先オフィスの連絡先が記されているのを眼にはしていたのだけれど、会社のHPに韓国産の岩海苔も主要品目として掲載されていたことから、これまではとりたてて不審を抱くこともなく合点していたのだった‥。
あらためて、彼の会社のHPを詳しく見た。会社情報の頁には彼の略歴が箇条書きされている。そこでひときわ眼を惹くのは韓国関連の事項だ。曰く「95年、韓国大教グループ、コンサルティング」「98年、韓国三星物産、コンサルティング」、さらには「99年、(株)ファーストリテイリング、コンサルティング」etc.。
三星物産とは韓国トップ企業のサムソン電子を擁する大財閥グループだし、世界進出めざましいユニクロの親会社ファーストリテイリングの創立者も韓国出身者とされている。名もなき一介の個人会社の代表者にすぎない者が、これら大会社のコンサルティングとはいかにも釣合わず不自然きわまりない。彼自身が在日の一世か二世で、その狭隘で緊密なネットワーク、人脈の存在ゆえかと考えないわけにはいかない。
私が親しく付き合っている人に、年齢はちょうど私より一回り下だが、在日二世の友人がいる。厳密には、彼の場合すでに帰化し日本国籍を有しているはずだから、厳密には在日というべきではないとも思われるが‥。
その年下の友人に尋ねてみた。その応答をここに詳述するのは控えるが、私を暗澹とさせるに充分すぎる内容のものであった。
私が疑念を抱いたように、仮に事故の相手方Tの父親が在日で、それもかなりの有力者だとすると、偶然のこととはいえ皮肉なことにはRYOUKOの乗っていたタクシー会社がMKタクシー、その経営トップは在日の著名人たる御仁なのだから、この構図、我々が求める事故原因の究明にとって、これを遅滞させるばかりか事件の真相を覆い隠すものになるやもしれぬ。検察に送られた捜査資料のままに、ひとり運転手Mの過失ばかりが主因とされ不当な刑に服さねばならなくなるという危惧は否めないのだ。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「花見の巻」-24
手束弓紀の関守が頑なに
酒ではげたるあたま成覧 曲水
次男曰く、それらしき人物をあしらった軽口の付である。鑓句といえば鑓句だが、初裏以下十七句、けっこう気の張った付合の連続できた。曲水のこの打崩しは時宜になったものだろう。
「渺々-バラバラ-と尻をならぶる田植かな」、同じ作者の洒脱ぶりである。この関守は根がお人善し、禿にも一徹な禿げっぷりがあるらしい、と想像させるところにユーモアがある。先の長嘯子の歌はこの禿頭の年酒でいっそう活きる、と。
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