山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

ならべて嬉し十のさかづき

2009-03-28 23:47:13 | 文化・芸術
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―世間虚仮― 格差は格差のままに、か

ETCさえ搭載していればなべて休日の高速道路-旧道路公団関係など-料金を一律1000円にするという、不人気をかこつ麻生内閣の景気対策の目玉というべき高速道路値下げが一斉に始まったが、時事通信社の時事ドットコムによれば、その出足、前年比の1~5割増の賑わいだが、GW並みというには及ばず、道路各社が事前に予測していたほどのものではなかったらしい。

そりゃそうだろう、今日から始まったのは普通車限定だというし、昨秋から続くこの深刻な不況感がこの程度の思いつき的な景気刺激策で一気に払拭できるとは到底思えぬが、道路各社など関係機関ではGW並のラッシュをも想定していたというのだから、その大甘の認識ぶりには畏れ入る。

マンションなど住宅取得者への所得税大幅減税をしたし、なりふり構わぬ大判振舞いの麻生内閣、次なる景気対策は富裕高齢者層を狙い撃ちとばかり、贈与税の大幅減税を本格検討という。子や孫世代の住宅や車の購入資金に対し、贈与税をゼロ乃至大幅減税をというのだ。

かたや、規制緩和の派遣法で、雪崩的に大量の貧困化現象を生ぜしめた果てに襲いかかった大不況のなか、元凶たる派遣法改正には一向手が付けられず、急場しのぎ的としかいいえぬ失業手当の拡充や緩和策の雇用保険法改正でお茶を濁しているにすぎず、バブル崩壊以後、大量発生させてしまった貧困層、それ自体を底上げしようという抜本的な対策はまったく省みられていない。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-04

  新畳敷ならしたる月かげに  

   ならべて嬉し十のさかづき  去来

次男曰く、「ならべて」は「敷ならしたる」の、「嬉し」は「新畳」のうつり、与奪して一首の和歌の姿に作っている。連句というより、むしろ連歌の体である。芸といえば、「並べて嬉し四つ-四人-の盃」と作りたくなる筈のところを、抑えて、
作意と見せる数を取出したところか。

十という数は十全を現すが、めぐって再び一-はじまり-に続くところが、目付のみそだ。「十」は、次座-芭蕉-に対する、去来らしい持成の工夫だろう。「嬉し」さの度のみに心を向けているわけではない。句意は、明日の祝事-茶事とはかぎらぬ-をひかえて、饗膳の引盃を新畳の部屋に並べてみている、と読んでおけばよい。

「前句に新宅のさまありありと見ゆれば、此句には宴のさまを附けたり」-露伴-、「自分のところへたくさん-宴会の-盃が集まってきて、ほくほくしている。‥自分を祝う盃が、おのずから自分をとりまいた」-折口信夫-、と。


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新畳敷ならしたる月かげに

2009-03-27 22:58:23 | 文化・芸術
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―四方のたより― ネットで繋がる予期せぬ糸

昨日の昼下がり、突然かかってきた電話-、その声の主は葛城市の青年会議所の者だと云っていた。JC=青年会議所の構成は20歳から40歳までとされているように、電話の声は若くはきはきとして、姿は見えぬまでも好感の持てる明朗闊達な青年なのだろうと、見知らぬ突然の電話に些か戸惑いながらもそう感じさせるに充分なものだった。

奈良県葛城市は、金剛・葛城山脈の北端、二上山の麓、中将姫伝説で名高い当麻寺のある當麻町とこれに隣接する新庄町が’04年に合併して誕生した市である。

電話の用向きは、その葛城青年会議所の主催事業なのだろうが、この秋9月に小学生高学年の児童たちを対象としたイベントで、地元の史跡文化に親しく触れようと、当麻寺や二上山の大津皇子の墓所などを巡るウォーキングをするのだが、その出発セレモニーの中で万葉にのこる大津皇子にまつわる悲劇などをちょっとした実演で子どもたちに紹介できたらと、そんなモティーフで劇団関係をネットで検索していると我が四方館にいきあたり、相談というかお願いというか、不躾ながらひとまず電話をしてきたというものである。

私が折口信夫の「死者の書」と謀反の嫌疑で刑死させられた大津皇子の悲劇、万葉にのこる姉大来皇女との相聞歌などを材に劇的舞踊を作ったのは’82年と3年、すでに四半世紀も経た昔のことで、藪から棒の話に些か面喰らいながらも、趣旨のほどはよくわかったから、かなり暗くて重い私の大津世界が小学生の子どもたちに親しめよう筈もないので、そういった旨を話して丁重にお断り申し上げるとともに、葛城とは最寄りの平群や生駒あたり、地域の演劇にネットワークを有する演出家の熊本一さんならきっとなんらかプロモートされるだろうと思い、ご本人には多少ご迷惑となるやもしれぬが、彼の連絡先を紹介しておいた。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-03

   あぶらかすりて宵寝する秋  

  新畳敷ならしたる月かげに  野水

次男曰く、「新畳」を「宵寝する秋」の理由とした会釈-あしらい-と読めば、意味は簡単に通じるから、ついうっかり嵌りそうになる。

平句ならともかく、連句の事実上のはじまりである第三の作りをまず後付-逆付-にたよるようでは、先行き思いやられるだろう。といって、夜長に敢て宵寝を決めこんだ閑情を具象化する付だ、と気分に頼って順に考えれば、これはこれで作者がとくに「新畳」を敷き均したくなった、興の説明にならぬ。

新畳という季語はないが、藺刈は「毛吹草」「増山の井」以下に晩夏の季とする。刈取ってそのまま乾すと茶色になり品質も悪くなるから、泥染してゆっくり陰干し、仲・晩秋の頃青々とした畳表に作る。句は、脇の作り様に深秋の情を見定めて、興のうつりを新畳にあしらっているとわかるだろうが、その作者が余人ならぬ野水だということが、この第三の、いかにも相伴たるに相応しい見どころだ。

口切-初冬-という季語がある。風炉の名残-晩秋-とともに茶方にとって大切な行事で、真の初釜は正月よりもむしろ口切の茶事である。備えて炉を開く。概ね陰暦10月1日-古伝に9月1日とも云う-、または立冬、10月初亥の日などをえらんで開くが、むろん先立って茶室の畳替も行う。

「新畳敷ならしたる月かげに」とは、口切の大事を脳裡に描いて、宜斎野水の祝言だと読めばこの句はよくわかる。畳に冠した「新」に新風興行のめでたさも含ませ、重宝な挨拶としている。「月かげ-光-」は、したがって、兼三秋の遣方ではあるがとりわけ後の名月-九月十三夜-あたりにかけての上弦の月が相応しい。「宵寝」とも釣合うだろう。

芭蕉自ら亭主-脇-となり、京撰者二人をもてなした「猿蓑」の三歌仙は、「市中の巻」-凡兆・芭蕉・去来-を除いて各一名を加えている。張行の変化をもとめるためには違いないが、その一つは去来には芭蕉、凡兆には史邦を介添として老若のペアを競い-鳶の羽の巻-、いま一つは、新風興行の相伴を求めるなら此人を措いて他にはない、と肯かせる珍客を迎えて第三に据えている。秋発句で始まる歌仙では、初折の表の月を第三に執成した例が多く、その常套的手法を利用すれば、遠来の客に対するもてなしになる。そこまでは誰でも思付くことだが、当日の会は四吟である。月の初座はもともと芭蕉に当っていた。意はかさねてそこに生れるだろう。

去る6年前-貞享元年冬-、「野ざらし」の風狂人を尾張に迎えて「五歌仙」の旗を揚げさせた勧進元は野水だった。「灰汁桶」にはいずれ、彼の日の思出に因んだ両人のたのしい応酬がみられる筈だ、と覚らせる第三の句ぶりで、片やさりげなく月の座を譲って謝辞に替えれば、片や茶人ならではの会釈の工夫を以て、そつのない祝を陳べるものだ、と。


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あぶらかすりて宵寝する秋

2009-03-25 17:53:30 | 文化・芸術
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―表象の森― 反貧困ネットワーク

徹夜が続いたりする忙しさもなんとか峠を越えたところで、昨年暮れの「年越し派遣村」から全国各地に拡がった「駆込み相談会」など反貧困ネットワーク運動の旗手、湯浅誠の岩波新書「反貧困」をやっと読了。その第一感、69年生れという今年40歳になるという若い著者は、この世代にはめずらしいほどの、骨太の思想家であり活動家だと受けとめ得た。

本書の内容について云々することなど必要はあるまい。私の手許の本書が12月5日発行の第5刷とあり、さらに刷を重ね、なおベストセラーであり続けていようから、より広汎に多くの読者を獲得されることを期するのみだ。

此処では彼らの活動に共鳴とともに讃を表するため「反貧困ネットワーク」のシンボルマークをHPより拝借して掲げておきたい。
写真にある「ヒンキー」と名付けられたシンボルキャラクターはオバケだそうだ。なぜオバケか、著者に云わせれば、貧困は「ある」と「ない」の間にあるからだ、と。貧困の最大の特徴は「見えないこと」であり、最大の敵は「無関心」だ。社会のみんなが無関心だと、ヒンキーオバケは怒ってどんどん増殖していくだろう、みんなが関心を寄せ合って、このオバケをどうするか、あの手この手を考えていけば、いずれ安心して成仏してくれるだろう、と。

―今月の購入本―
・J.B.テイラー「奇跡の脳」新潮社
脳出血によって言葉や記憶、歩行能力を失った脳科学者の回復体験を綴った注目の書。言葉を失い、それを取り戻す過程を、脳と関連付けて語ってくれる体験録は、人間らしさには言葉が不可欠ということが、それを失ったことでわかると同時に、言葉以外にどれだけ大事なメッセージがあるかを具に明らかにしてくれる。

・山本兼一「利休にたずねよ」PHP研究所
昨年下期の直木賞受賞の時代小説。利休好みの真っ黒な水指と棗-なつめ-を初めて眼にしたとき頭に浮かんだのは、利休につきものの侘びたメージではなく、全く逆の艶っぽさであったという作者。その艶やかさの根源は何なのかを追い求め、これまでにない利休像を作り上げた。

・梅原猛「京都発見 -8- 禅と室町文化」新潮社
嘗て京都新聞に連載された京都発見シリーズの8。鎌倉時代に日本にもたらされ、室町時代の京都でその魅力を大きく開花させた臨済禅。後醍醐天皇を鎮魂する天龍寺、足利氏の相国寺や金閣・銀閣、一休など反骨の禅僧を輩出した大徳寺ほか、妙心寺や龍安寺etc. 庭、茶、書画 といった諸芸を吸収し発展させた禅寺のさまざま、その魅力を説く。

・竹内整一「日本人はなぜ「さよなら」とわかれるのか」ちくま新書
アメリカ人の女性飛行家A.リンドバーグを「これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない」と言わしめた別れの言葉-「さよなら」の持つ人間的な温かみと人知を超える厳しさ、そして生と死の「あわい」で揺れるその両義性‥。

・井上繁樹「はじめてのLAN-パソコンとパソコンのつなぎ方 Vista版」秀和システム
Home NetworkのHow Toもの。
他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN 」3月号

―図書館からの借本―
・陶山幾朗「内村剛介ロングインタビュー」恵雅堂出版
深い共感が導き出した稀有な記録、と吉本隆明に言わしめた、少年時より渡満し、哈爾濱学院に学び、シベリア抑留を経て、戦後日本を生き急ぐ日々の中で、遂にソ連崩壊を見届けるに至る内村剛介の歩んだ軌跡。ここには20世紀という時代が負った痛切な軋みが反響している。

・宮地尚子「環状島=トラウマの地政学」みすず書房
戦争から児童虐待にいたるまで、トラウマをもたらす出来事はたえまなく起き、今日の社会に満ちている。トラウマについて語る声が、公的空間においてどのように立ち現れ、どのように扱われるのか。被害当事者、支援者、代弁者、家族や遺族、専門家、研究者、傍観者などは、それぞれどのような位置にあり、どのような関係にあるのか。

・F.ダイソン「叛逆としての科学-本を語り、文化を読む22章」みすず書房
20世紀が生んだ物理学の巨人の一人であり、奔放な想像力と鋭利な哲学的思索でも知られるイギリス人著者の精選書評・エッセイ集。「ラマンやボース、サハといった、20世紀のインドの偉大な物理学者にとって、科学はまずイギリス支配に対する、そしてまたヒンドゥー教の宿命論的な価値観に対する、二重の叛逆だった」。

・A.モール他「生きものの迷路」法政大学出版会
副題に空間-行動のマチエールと、劇場・美術館・庭園・街路・都市・観光の島etc. 多様な日常的空間をミクロ心理学からアプローチを試み、社会という巨大な空間・迷路のなかでの人間行動を分析・追求する。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-02

  灰汁桶の雫やみけりきりぎりす  

   あぶらかすりて宵寝する秋  芭蕉

次男曰く、其場の景を探って人情を取出した、典型的な打添えの脇である。「雫やみけり」-元桶の枯れ-に「あぶらかすりて」と合せたか、「やみ-けり-きり-ぎり-す」の細りを無聊の「宵寝」につないだか、二つの想はいずれ不可分だが、「宵寝する秋」は秋の夜長・夜鍋があってのことだ。

八朔または秋彼岸頃を境にしてよなべを始める風習は、西日本では常識となっている。黒川玄逸の「日次-ひなみ-紀事」-貞享2年-にも陰暦9月の頃に、「この月より諸職人、夜長に乗じ夜半に及ぶまでその作業を勤しむ。これを夜鍋といふ。言ふこころは、夜深きときはすなはち飢うるゆゑに、鍋をもつて物を煮て喰ふ義なり」云々と記している。

宵寝は、仲秋-名月-はもとより初秋にも不束だが、秋作業も終って人々皆夜鍋にいそしむ時季なら、この天邪鬼はは俳になるだろう。一見「あぶらかすりて」を「宵寝」の理由のごとく読ませる作りだが、そうではない。芭蕉は凡兆作の「きりぎりす」を秋深しと弁-みわけ-て、景・情のうつりを以て付けているのだ。

「かする」は掠、本来はかすめとる・軽く触れるなどを意味する。ここは、灯油を節約する・惜しむ意味に借りた当時の俗用か。また、こうも考えられる。自動詞・他動詞の混用は珍しくない。「荒海や佐渡によこたふ天河」は「よこたはる-よこたふ」である。「かする」も「かすれる」の俳諧工夫かもしれぬ。いずれにせよ「かする」は他動詞-四段-だというところが云回しのみそで、自-やむ-に他のはたらきを付けると、合せの妙が生れる。「あぶらかすれて」とあれば、「宵寝」も只の成行きときこえるから、夜長人をよそに見遣る風狂の人体の面白みは現れてこない、と。


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灰汁桶の雫やみけりきりぎりす

2009-03-24 21:04:00 | 文化・芸術
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―表象の森― 灰汁桶の巻

巻頭に「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也 芭蕉」の句を置いた「猿蓑」は、芭蕉の厳密な監修の下、去来・凡兆による編集で元禄4年5月末に選了、同年7月に出版された。

乾坤2冊、うち乾-巻1~4-は諸国蕉門作家118人の発句382句を冬・夏・秋・春の部立順に収め、巻軸は「望湖水惜春、行春を近江の人と惜しみける 芭蕉」である。坤-巻5.6-は発句の部と同順の歌仙4つと芭蕉の「幻住庵記」などから成る。

集の「序」は和文を以て其角がしるし、「跋」は漢文を以て丈草がしるしている。「古今集」の仮名序・真名序の伝に倣ったものだが、選者二人の起用に合せこれまた旧人・新人の取合せにも用意の趣向が見える。

この「灰汁桶の巻」は芭蕉・凡兆・去来・野水を連衆とし元禄3年秋に興行された。野水の現住庵訪問を迎えて義仲寺の宿坊で催されたと考えるのが自然だが、京の凡兆宅とか去来宅という可能性もなくはない。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-01

  灰汁桶の雫やみけりきりぎりす  凡兆

次男曰く、
コオロギの声がした。
灰汁桶の雫は止んでいた。
散文で書けばこういうことになる。灰汁桶の雫がしなくなったと思ったら替りにコオロギが鳴き出した、というのではない。「けり」は今まで気付かなかった事実に気付かせられた感動をあらわす詠嘆の助動詞で、動作・作用の単なる完了を確認するものではない。「止みたり」とは違う。

灰汁桶は、衣類の洗いや染に用いる灰汁を採るため水桶に灰を浸したもので、簡便には上澄をじかに汲んで使うが、ここは濾し口を取付け別の桶へ滴らせるようにした仕掛である。土間かそれとも軒下か、いずれにしても雫の音が届く程の場所はそう遠くはないが、コオロギの声が聞えてきたのは軒端の内とは限らぬ。

この「きりぎりす」の実体は厳密にコオロギと考える必要はなく、庭にすだく虫の声だと解しておいてもよい。句眼は、理由は何であれふと耳を傾けさせられた秋の夜の虫の音が、代りに灰汁桶の雫の音が止んでいると、発見させた興の動きにある。

蟋蟀-しつしゆつ-、蟋は「万葉集」ではこおろぎ、「古今集」以来「きりぎりす」として詠み習わされ、いずれも秋に鳴く虫の汎称で-コオロギに限らない-、初乃至仲秋の季に扱うのを通例とする。芭蕉は、この歌仙と前後して、「白髪ぬく枕の下やきりぎりす」と、早々と牀下に入る虫の「あはれ」を詠んでいる。元禄3年8月、義仲寺の吟である。

「やみ-けり-きり-ぎり-す」、末尾イ音を伴う小節の積み重ねが暗示する終熄の予感は、寂寞とした晩秋の情景をも容易に思い描かせるだろう。庭には既に虫の気配なく、戸辺、絶々のコオロギの声を聞いたのだ、と読んでも句の解になる。灰汁桶の滴りのリズムに乗る夜長の興は、初・仲・晩三秋それぞれにある、と云いたげな作りである。

当季の発句には違いなかろうが、凡兆の句ぶりは当座の嘱目に基づくとも云い切れぬようだ、と。


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虻に刺さるゝ春の山中

2009-03-23 17:43:27 | 文化・芸術
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―表象の森― 夜色楼台図、国宝に

2.3日前だったか、以前にこの場で触れたこともある蕪村の筆になる縦28センチ×横130センチの横長の墨画「夜色楼台図」が、文化審議会答申で八戸市の風張遺跡から出土した合掌土偶とともに国宝になるという記事を見かけた。

文化財保護法による美術工芸品などの国宝指定はこれで864件になるらしいが、たしか「夜色楼台図」は個人蔵であったから、個人所有の美術品が指定されるのはきわめてめずらしいのではないかと思われ、ちょっとググって国宝一覧なる頁で確かめてみた。かの一覧、ざっと見渡してみても、その所有は博物館や美術館、各地の神社仏閣が連なるばかりで、個人蔵は可翁筆の「寒山図」くらいしか見あたらず、あとは刀剣の類が数点あるのみのようだ。それほどに神戸市の個人が所有するという蕪村の「夜色楼台図」、保存もよく美術品として評価が高いということなのだろう。

「桃源の路次の細さよ冬ごもり  蕪村」

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-36

  花咲けば芳野あたりを駆廻り  

   虻に刺さるゝ春の山中  珍碩

次男曰く、「花薄」の句以来、芭蕉と曲水は珍碩を肴にして興じている。「花咲けば」の句は、三人三様に風狂の誓いを新たにしていると読んでよく、「虻-あぶ-に刺さるゝ」は珍碩の謝辞でもある、と。

「花見の巻」全句

木のもとに汁も膾も桜かな      翁  -春  初折-一ノ折-表
 西日のどかによき天気なり     珍碩 -春
旅人の虱かき行春暮て        曲水 -春
 はきも習はぬ太刀のヒキハタ    翁  -雑
月待て仮の内裏の司召        珍碩 -秋・月
 籾臼つくる杣がはやわざ      曲水 -秋
鞍置る三歳駒に秋の来て       翁  -秋  初折-一ノ折-裏
 名はさまざまに降替る雨      珍碩 -雑
入込に諏訪の湧湯の夕ま暮      曲水 -雑
 中にもせいの高き山伏       翁  -雑
いふ事を唯一方へ落しけり      珍碩 -雑
 ほそき筋より恋つのりつゝ     曲水 -雑
物おもふ身にもの喰へとせつかれて  翁  -雑
 月見る顔の袖おもき露       珍碩 -秋・月
秋風の船をこはがる波の音      曲水 -秋
 雁ゆくかたや白子若松       翁  -秋
千部読花の盛の一身田        珍碩 -春・花
 巡礼死ぬる道のかげろふ      曲水 -春
何よりも蝶の現ぞあはれなる     翁  -春  名残折-二ノ折-表
 文書くほどの力さへなき      珍碩 -雑
羅に日をいとはるゝ御かたち     曲水 -雑
 熊野見たきと泣給ひけり      翁  -雑
手束弓紀の関守が頑なに       珍碩 -雑
 酒ではげたるあたま成覧      曲水 -雑
双六の目をのぞくまで暮かゝり    翁  -雑
 仮の持佛にむかふ念仏       珍碩 -雑
中かに土間に居れば蚤もなし     曲水 -夏
 我名は里のなぶりもの也      翁  -雑
憎れていらぬ躍の肝を煎       珍碩 -秋
 月夜々々に明渡る月        曲水 -秋・月
花薄あまりまねけばうら枯て     翁  -秋  名残折-二ノ折-裏
 唯四方なる草庵の露        珍碩 -秋
一貫の銭むつかしと返しけり     曲水 -雑
 医者のくすりは飲ぬ分別      翁  -雑
花咲けば芳野あたりを駆廻り     曲水 -春・花
 虻に刺さるゝ春の山中       珍碩 -春


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