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林田鉄のひとり語り「うしろすがたの山頭火」
―四方のたより― 音波舎提供のCommon Café Live
いよいよ本番前日となってしまった。
とかく公演の準備などというものは演ずること以外に為すべきことが多すぎて、毎度のことながら近づくにつれ役者をするこの身が煩わしい雑事に追われる羽目となる。企画も制作も仕込の手配から印刷物まで、なにもかも自分でやるしかないのだからどうしようもなくそうなる。
昨夜はその息抜きにというわけではないのだが、Decalco Marieが出演するというLiveを観に小雨降るなかを出かけてみた。中崎町のCommon Caféなる日替り店主で運営されるという愉しそうな話題に惹かれた所為もある。木曜日の常の店主は「音波舎」を営むというまだ40歳前とみえる男性だった。
演奏者が大竹徹氏と、今度の山頭火で初めてお付合い願う田中康之さんであったのも重なってのことだ。
LiveはDecalco Marieたち以外にもう一組、NIMAさんなるDancerとTenor Saxの川崎知さん、こちらが先に演じたのだが、Saxの演奏は息の量がそうとうなもので迫力満点、演奏者の烈しい生理そのものがダイレクトなほどに音の世界を生み出していた。さまざまなJazzmenたちとLive競演をしている由のNIMA女史のDanceは、この生理そのものといってもいい音の洪水に対し、私からみればどうもSituationに逃げすぎているのではないかと感じられ、些か消化不良気味の鑑賞となった。
体育会系を自称してやまぬDecalco Marieは、すでに50歳半ばを過ぎた肉体をその体力の限界に挑むかのごとく過酷なまでに使い切っていくが、その筋力の頑健さが私の眼には怖くてたまらない。剛直なるはかならずしも勁いとはかきらぬ。この屈強を誇る肉体もしのびよる老いとともにやがてはポキリと折れつきてしまう。かりに70歳を過ぎても踊っていたいなら、すみやかに剛から柔へと肉体の改造を、しなやかなる身体へと転身を図るが賢明かと思われる。
終わって雑談の折、「気功でも太極拳でもいい、今からでも遅くないから、本気で取り組んだらどうか」といったようなことを彼に具申してみたが、はたして応答はどうでるか。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「霜月の巻」-20
骨を見て坐に泪ぐみうちかへり
乞食の蓑をもらふしのゝめ 荷兮
次男曰く、荷兮の面目躍如とした警策である。陰の極の趣向だが、「平家物語」も「太平記」も、先の叙述に続けて北の方の落飾と、従者をして高野山に納骨させたことをしるしている。
小道具のあしらいを蓑と考えたのは、前句の人の、ひいては句はこびの露けさを防ぐための手立で、無常の門出にあたって着る蓑はどうせならいっそのこと乞食から貰おう、と云っている。巧い。とりわけ、前句に「うちかへり」とあるから付句もひっくり返すさまに仕立てたい、と思案したところにそれが生れたらしいのが並ではない。
現代でもこの程度の感覚の飛躍はないではなかろうが、状況を陰の極へ追いつめているうちに何となく乞食から蓑を貰おうというふうな表現がひらめいたにというにとどまる。「うちかへり」という言葉一つの見定めが逆転の発想を生むということはまずないのだ。
荷兮句の逆転の発想は窮鼠かえって猫を噛む式で、これは連句の醍醐味である。でたらめに思付いたわけではない。そのあとは深く沈めたものを浮上させる呼吸工夫があればよく、「しのゝめ」は、誰が探してもそう据えることになりそうな投込の四文字である。
「乞食」じつは有徳の人かもしれぬ、というところまでは読は延びる。芭蕉には後年、「こもをきてたれ人ゐます花のはる」-元禄3年膳所での越年-という吟がある。「五百年来昔、西行の選集抄に多くの乞食をあげられ候。愚眼故、能き人見付ざる悲しさに二たび西上人をおもひかへしたる迄に御座候。京の者共はこもかぶりを引付の巻頭に何事にやと申候由、あさましく候」という自釈も遺されており、「なし得たり、風情終に菰をかぶらんとは」-栖去之弁、元禄5年-という彼自身の無住願望につながるものだ。その原形が「冬の日」の荷兮句にあった、ということは軽々に見逃せぬ、と。
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