―山頭火の一句―昭和5年の行乞記、10月12日の稿に
10月12日、晴、岩川及末吉町行乞、都城、江夏屋
9時の汽車に乗る、途中下車して、岩川で2時間、末吉で1時間行乞、今日はまた食ひ込みである。-略-
今夜は飲み過ぎ歩き過ぎた、誰だか洋服を着た若い人が宿まで送つてくれた、彼に幸福あれ。
藷焼酎の臭気はなかなかとれないが、その臭気をとると、同時に辛味もなくなるさうな、臭ければこそ酔ふのだらうよ。-略-
夕方また気分が憂鬱になり、感傷的にさへなつた、そこで飛び出して飲み歩いたのだが、コーヒー1杯、ビール1本、鮨一皿、蕎麦一椀、朝日一袋、一切合財で1円40銭、これで僕はまた秋風落寞、さつぱりしすぎたかな-追記-。
※表題句の外、23句を記す
―今月の購入本―
・猪木武徳「戦後世界経済史」中公新書
自由と平等の視点から、と副題。第2次大戦後の60年はかつてない急激な変化を経験した。そのKeywordは民主制と市場経済。本書では「市場化」を軸にこの半世紀を概観、経済の政治化、Globalizationの進行、所得分配の変容、世界的な統治機構の関与、そして自由と平等の相剋―市場Systemがもたらした歴史的変化の本質とは何か。
・鹿島茂「吉本隆明1968」平凡社新書
「吉本隆明の偉さというのは、ある一つの世代、具体的にいうと1960年から1970年までの十年間に青春を送った世代でないと実感できないということだ」という団塊の世代の著者が、吉本隆明はいかに「自立の思想」にたどり着いたか、著者流の私小説的評論を通して、その軌跡をたどる。
・白川静「漢字の世界 1」平凡社ライブラリー
漢字はどのようにして生まれたのか。甲骨文字・金文資料を駆使して、神話・呪詛・戦争・宗教・歌舞などの主題ごとに、漢字のもつ意味を体系的に語る。古代人の思考に深くわけ入り、漢字誕生のプロセスを鮮やかに描出。
・白川静「漢字の世界 2」平凡社ライブラリー
象形文字である漢字は、中国古代人の目に映る世界の象徴的表現であった。「字統」において詳説された漢字の意味を、本書は系統的・問題史的に語ってゆく。博識と明快な論理で、単なる字形の解釈を越え、ことばの始原に行きつく無類のことば・ことがら典。
他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN」7月号
―図書館からの借本―
・斎藤環「文学の徴候」文藝春秋
著者は、ラカン研究者の宮本忠雄が提唱する「エピパトグラフィー」を、作家の創造行為の中の病理的表現を個人の病理としてでなく、その関係性から考え ようとした点で画期的だったと評価し、作家個人の人間関係だけでなく、作家と作品、作家と共同体、作家と社会といった様々な関係性が、創造の孵卵器としての環境に転ずると、本来は健常であった作家の作品が、病理的なエレメントをいっぱい孕んだものへと変質する。その一種の相互作用に似た仮説的な場を「病因論的ドライブ」と呼ぶ。
・斎藤環「文脈病-ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ」青土社
ベイトソンの学習理論、フロイト‐ラカンのシニフィアン理論、マトゥラーナのオートポイエーシス理論などと、分裂病や神経症の臨床経験を独自に重ね合わせ、精神病理学理論に新たな地平を拓き、吉田戦車、D.リンチ、F.ベーコン、H.ダーガー、宮崎駿、庵野秀明など、特異な作家達の描く「顔」のなかに、 人間の本質と文化の現在を読み解く。とくに序章と13章は著者独自の思考ドライブを辿るによくまとまっている。
・梅原賢一郎「カミの現象学」角川書店
宮古島の「六月ニガイ」、宮崎県の「銀鏡神楽」、長野県の「遠山の霜月祭り」など、日本各地の祭りや神楽、宗教的な儀礼や行法から、子どもの遊びといった日常の行為まで、「自分と自分以外のものとの間の回路」としての「穴」をKeywordに、宗教と芸術の隙間を思考し、いわば身体に埋蔵された日本文化を解明してゆく。著者は梅原猛の息子。
・藤井直正「東大阪の歴史」松籟社
著者は東大阪市枚岡に住む考古学者だが、私の中学時代の社会科教師でもある。本書は大阪・市史双書シリーズの2として編まれ、1983年初版発行された。
・「昭和30年代の大阪」三冬社
「東洋の奇跡」と称された高度経済成長を強力に牽引した頃-1955~64-の大阪を彷彿とさせるフォトグラフ。
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