山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

砂掘れば砂のほろほろ

2009-07-31 11:55:40 | 文化・芸術
080209126

―山頭火の一句―昭和5年の行乞記、10月12日の稿に
10月12日、晴、岩川及末吉町行乞、都城、江夏屋

9時の汽車に乗る、途中下車して、岩川で2時間、末吉で1時間行乞、今日はまた食ひ込みである。-略-
今夜は飲み過ぎ歩き過ぎた、誰だか洋服を着た若い人が宿まで送つてくれた、彼に幸福あれ。
藷焼酎の臭気はなかなかとれないが、その臭気をとると、同時に辛味もなくなるさうな、臭ければこそ酔ふのだらうよ。-略-
夕方また気分が憂鬱になり、感傷的にさへなつた、そこで飛び出して飲み歩いたのだが、コーヒー1杯、ビール1本、鮨一皿、蕎麦一椀、朝日一袋、一切合財で1円40銭、これで僕はまた秋風落寞、さつぱりしすぎたかな-追記-。
※表題句の外、23句を記す

―今月の購入本―

・猪木武徳「戦後世界経済史」中公新書
自由と平等の視点から、と副題。第2次大戦後の60年はかつてない急激な変化を経験した。そのKeywordは民主制と市場経済。本書では「市場化」を軸にこの半世紀を概観、経済の政治化、Globalizationの進行、所得分配の変容、世界的な統治機構の関与、そして自由と平等の相剋―市場Systemがもたらした歴史的変化の本質とは何か。

・鹿島茂「吉本隆明1968」平凡社新書
「吉本隆明の偉さというのは、ある一つの世代、具体的にいうと1960年から1970年までの十年間に青春を送った世代でないと実感できないということだ」という団塊の世代の著者が、吉本隆明はいかに「自立の思想」にたどり着いたか、著者流の私小説的評論を通して、その軌跡をたどる。

・白川静「漢字の世界 1」平凡社ライブラリー
漢字はどのようにして生まれたのか。甲骨文字・金文資料を駆使して、神話・呪詛・戦争・宗教・歌舞などの主題ごとに、漢字のもつ意味を体系的に語る。古代人の思考に深くわけ入り、漢字誕生のプロセスを鮮やかに描出。

・白川静「漢字の世界 2」平凡社ライブラリー
象形文字である漢字は、中国古代人の目に映る世界の象徴的表現であった。「字統」において詳説された漢字の意味を、本書は系統的・問題史的に語ってゆく。博識と明快な論理で、単なる字形の解釈を越え、ことばの始原に行きつく無類のことば・ことがら典。
他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN」7月号

―図書館からの借本―

・斎藤環「文学の徴候」文藝春秋
著者は、ラカン研究者の宮本忠雄が提唱する「エピパトグラフィー」を、作家の創造行為の中の病理的表現を個人の病理としてでなく、その関係性から考え ようとした点で画期的だったと評価し、作家個人の人間関係だけでなく、作家と作品、作家と共同体、作家と社会といった様々な関係性が、創造の孵卵器としての環境に転ずると、本来は健常であった作家の作品が、病理的なエレメントをいっぱい孕んだものへと変質する。その一種の相互作用に似た仮説的な場を「病因論的ドライブ」と呼ぶ。

・斎藤環「文脈病-ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ」青土社
ベイトソンの学習理論、フロイト‐ラカンのシニフィアン理論、マトゥラーナのオートポイエーシス理論などと、分裂病や神経症の臨床経験を独自に重ね合わせ、精神病理学理論に新たな地平を拓き、吉田戦車、D.リンチ、F.ベーコン、H.ダーガー、宮崎駿、庵野秀明など、特異な作家達の描く「顔」のなかに、 人間の本質と文化の現在を読み解く。とくに序章と13章は著者独自の思考ドライブを辿るによくまとまっている。

・梅原賢一郎「カミの現象学」角川書店
宮古島の「六月ニガイ」、宮崎県の「銀鏡神楽」、長野県の「遠山の霜月祭り」など、日本各地の祭りや神楽、宗教的な儀礼や行法から、子どもの遊びといった日常の行為まで、「自分と自分以外のものとの間の回路」としての「穴」をKeywordに、宗教と芸術の隙間を思考し、いわば身体に埋蔵された日本文化を解明してゆく。著者は梅原猛の息子。

・藤井直正「東大阪の歴史」松籟社
著者は東大阪市枚岡に住む考古学者だが、私の中学時代の社会科教師でもある。本書は大阪・市史双書シリーズの2として編まれ、1983年初版発行された。

・「昭和30年代の大阪」三冬社
「東洋の奇跡」と称された高度経済成長を強力に牽引した頃-1955~64-の大阪を彷彿とさせるフォトグラフ。


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今のまに雪の厚さを指てみる

2009-07-30 22:13:07 | 文化・芸術
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<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-25

   客を送りて提る燭台  

  今のまに雪の厚さを指てみる  孤屋

次男曰く、「送りて」とあるから付けて作りは送られる客の体である。
「今のまに」とは、時間の経過、雪の降り様、積り様を予測したことばだが、この雪は夜更にかけて深くなると考え、帰路の難波を気にかける人の様子も自ら現れている。「指てみる」はむろん深さを棒などで測ってみることで、方向を指すことではない。

婚礼の宴でもよいが、話をドラマティックに拵えたければ謀議と眺めるのも面白かろう。「今のまに」が、沈々として凍てる夜の緊張をよく伝えて、これはよいはこびだ。取込事にせよ相談事にせよ、当座は無事に済んだが後始末はまだ残っている。それが辞して帰る客の側の心のことであれば、自家の工夫の重みがそこにのぞく。今晩は大雪になりそうだというのは単に表面上のことにすぎなくて、そう口にする人のこれからが大変だという心の奥をあれこれと想像させる。興をそそる句だろう、と。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.26-
「KASANE-2-Scene.3-in Alti Buyoh Festival 2008」




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泣く子叱つてる夕やみ

2009-07-29 22:54:20 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月11日の稿に
10月11日、晴、曇、志布志町行乞、宿は同前-鹿児島屋-

9時から11時まで行乞、こんなに早う止めるつもりはなかつたけれど、巡査にやかましくいはれたので、裏町へ出て、駅で新聞を読んで戻つて来たのである。-略-

今日はまた、代筆デーだつた。あんまさんにハガキ2枚、とぎやさんに4枚、やまいもほりさんに6枚書いてあげた、代筆代をくれやうとした人もあるし、あまり礼をいはない人もある。-略-

隣室に行商の志那人5人組が来たので、相客2人増しとなる、どれもこれもアル中毒者だ-私もその一人であることに間違ひない-、朝から飲んでゐる-飲むといへばこの地方では藷焼酎の外の何物でもない-、彼等は彼等にふさはしい人生観を持つてゐる、体験の宗教とでもいはうか。

コロリ往生-脳溢血乃至心臓麻痺でくたばる事だ-のありがたさ、望ましさを語つたり語られたりする。
酒壺洞君の厚意で、寝つかれない一夜がさほど苦しくなかつた、文芸春秋はかういふばあいの読物としてよろしい。-略-
※表題の句は、10月10日付に記されたものの一句

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.26-
「KASANE-2-Scene.2-in Alti Buyoh Festival 2008」




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客を送りて提る燭台

2009-07-28 23:56:08 | 文化・芸術
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―世間虚仮― 振込め詐欺、やっと減少傾向

本日、’09年版の警察白書が閣議に報告された。

‘04年以降、毎年250億円超の被害を出してきたという振込め詐欺、その検挙率-‘08年-は全刑法犯に比し10point低く21.5%にとどまっているそうだ。犯人らの検挙をすれどもすれども、手口の多様化や巧妙化も相俟って一向に被害は減らず、まるで鼬ごっこのごときこの数年間だったが、今年上半期-1~6月-の被害は昨年同期比で3分の1と減少傾向を示しており、年間換算では100億円超の見込みとか。

この数年、日常茶飯化した振込め詐欺の蔓延が、もっぱらターゲットにされてきた世の高齢者たち、好々爺の謂のごと、心穏やかによき人と余生を過ごすべきすべての人々を、警戒や猜疑心をつのらせてはどれほど暗澹とした気分にさせてきたか。それを思えば、詐欺とはいえこの犯罪、このうえなく非道のものと断罪されるべきだろう。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.25-

今日のVideoは、’08年アルティ・ブヨウ・フェスティバル参加の「KASANE Ⅱ-襲-」
ベースは例によってImprovisation Danceだが、一部に構成振付を施したもので、
全体は21分余あり、3Sceneに分割してuploadした。
「KASANE-2-Scene.1-in Alti Buyoh Festival 2008」



<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-24

  着のまゝにすくんでねれば汗をかき  

   客を送りて提る燭台  岱水

次男曰く、「着のまゝにすくんで」寝るのは商人の旅寝の体だけではない。取込事の最中、予想できる変事に対する備え、などと考えてもよい。

人の出入があると見定めた場の転、人物の取替だが、前句に寝た人の姿があればこれを起すのは付句の自然であるから、「送りて」とまず地拵えをしている。送る人は家人か従者か。その家の主でもよい。工夫が「提る燭台」にある。

灯火具を油皿、蝋燭、松材のいずれを用いるかによって灯台、燭台、松明に分ければ、短檠-たんけい-や行灯は灯台、手燭や掛燭や雪洞は燭台である。提灯も手燭の工夫と見てよいだろう。脂燭、篝火は松明の一種である。

これらの名称のなかには岱水の句に取入れて用いてよいものがいくつもあり、なかでも短檠などは口調の良さは燭台にまさる。「客を送りて提る短檠」と作れば、なかなか洒落た表現になる。なぜ、わざわざ「提る燭台」と作ったのか、と考えたくなる。

云わんとするところはどうやら裸灯らしい。「着のまゝ」との対照である。「すくんで寝る」に対して、形状の直なる印象も伝えたいらしい。「燭台」はここでは手燭である。

燭台が用いられるようになったのは鎌倉時代末頃から、はじめはもっぱら置燭台で社寺の用だったが、近世以降一般にも普及し、手燭もその頃からのものだ、と。


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故郷の人と話したのも夢か

2009-07-27 23:56:36 | 文化・芸術
080209169

―山頭火の一句―昭和5年の行乞記、10月10日の稿に
10月10日、曇、福島町行乞、行程4里、志布志町、鹿児島屋

8時過ぎてから中町行乞2時間、それから今町行乞3時間、もう2時近くなつたので志布志へ急ぐ、3里を2時間あまりで歩いた、それは外でもない、局留の郵便物を受取るためである、友はなつかしい、友のたよりはなつかしい。-略-

安宿の朝はおもしろい、みんなそれぞれめいめいの姿をして出てゆく、保護色といふやうなことを考へざるをえない、片輪は片輪のやうに、狡いものは狡いやうに、そして一は一のやうに! -略-

自動車が走る、箱馬車が通る、私が歩く。
途上、道のりを訊ねたり、此地方の事情を教へてくれた娘さんはいゝ女性だつた。禅宗-しかも曹洞宗-の寺の秘蔵子と知つて、一層うれしかつた、彼女にまことの愛人あれ。-略-
※揚げた句の他に「秋風の石を拾ふ」など20句を記す

―四方のたより― 事件性はある

地下鉄本町-四つ橋線-の駅から近く、中央大通りに面したビルの地下1階に綺羅星-きらら-ホールという空間が登場したのはいつからか、ついぞ知らなかったのだが、25-土-、26-日-の両日、VIA LACTEA DANCE と題したダンス公演が催されていた。VIA LACTEAとは天の河の意味らしい。関西に滞在し活動している外国人Dancerたちが寄った企画だが、これに角正之君が協力して即興performanceを加えた催しである。

前半のA-proは外国人Dancerたちを中心とした振付作品が並び、後半B-proは角正之がCoordinateした即興世界だが、25-土-と26-日-では顔ぶれをがらりと変え、先は男たち中心、後は女たち中心といった趣向。
25-土-の顔ぶれは、レナート.レオン/カミル.ワルフルスキー/フラビオ.アルビス/ピーター.ゴライトリー/中田一史/ザビエル守之助/斉藤誠/角正之に、女性ゲストとして森美香代/ミナル-川西宏子-/Heidi.S.Durningが参加。
26-日-は、小谷ちず子/越久豊子/山田いづみ/三好直美/北垣あや/福原幸/黒田朋子に、加わる男性がレナート.レオン/中田一史/ヤザキタケシ/角正之。

私は先のほうを観、Junkoが後のほうを観た。幼な児が居るため分かれて観ることにしたのだった。
振付作品のA-proはどれも言うべきほどのことはなにもない。ミラノ・スカラ座バレエ学校を首席で卒業し、欧州や南米のバレエ団で活躍して後、’07年帰国したという中田一史の柔軟な身体能力が眼を惹いた程度で、soloにせよDuoにせよ、作品はなべて古臭いセピア色した風景ばかりだ。

だが、B-proの即興は一見の価値はあった。なにしろキャリアも技法も異なる11人のDancerが一堂に会しての競演である、それだけで事件性はある、といえよう。事実、始まってからの10~15分ばかりは、かなり愉しめるperformanceを供しえたといっていい。これには男性8人に女性3人という配合のバランスも貢献したものと思われる。

女性中心の26-日-のほうを観たJunkoに言わせれば、期待したほどのことはなく、観ること自体かなりきつかったと、報告している。こちらは女性7人に男性4人だ。キャリアも技法も異なるそれぞれのDancerが、その固有な動きを繰り延べたとしても、その差異は男性ほどにはclearなものにはなりにくいという負が、加法・乗法に働かず、減法・除法となって、ただ煩いものに堕してしまいがちになるものだ。

このあたりの事情を、Coordinator角正之はどう推量していたのか。そう容易には成り立たぬ折角の集合の機会が、両夜においてかほどに落差のある結果を呈しては勿体ないというもの、もう少し緻密な計算をしておくべきではなかったか、惜しまれてなるまい。


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