山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

かつと日が照り逢ひたうなつた

2011-06-30 16:01:15 | 文化・芸術
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―四方のたより Kへの通信

昨日は、お疲れさま、でした。
君にとっては、不本意なことも、いろいろとあったでしょうが、
兄と妹と弟、三人が揃った場に2時間余り立ち会って、家族としての、兄弟としてのさまざま来し方が、よくわかったような気がしました。
父親の早世も背景にあったでしょうが、君の妹や弟はなんとしても、母-君を基軸にして、生きてこなければならなかった-。そりゃそうだろうなあ、と痛いほど感じられました。
身内のあいだに、他者を介在させてみることは、問題解決にはとても大切なことですよ。
昔の家族制度なら、大概近くに叔父や叔母が居た。そういった存在が、他者の役割を果たして、縺れた結ぼれをほどいたり、なにくれとサポートできた。
今朝の新聞に、「独り暮し、3割超す」の見出しが躍っていました。
昨年の国勢調査に基づくものですが、
「一人暮し」31.2%、「夫婦と子ども」28.7%、「夫婦のみ」19.6%、「単親と子ども」8.8%、「その他」11.7%、とあります。
人間の社会というものが家族を単位として形成されるもの、という基本的原理がこうまで痩せ細ってきては、その社会に健全さを求められよう筈もなく、さまざまな病理現象があとを絶たないのも当然のことだろうし、世も末だと嘆かれるのもあたりまえだと思うよね。
でも、よく考えてみたら、人間の歴史なんて、有史以来、どの時点をとっても、つねに末法だったんじゃないか、ほんとうのところは。
話が横に逸れた。
とにかく君としては、これまでの生を、母-君を基軸に生きてきたと思われる、あの妹や弟の存在を、率直に心の頼みとすることが、ベターなんじゃないかと思います。彼らは、かなりの程度の甘えを許容してくれるよ、きっと。
もちろん、君の残りの生に寄り添ってくれ、その最後を看取ってくれようとしている存在を、排除しろなんてことを言うつもりは毛頭ないよ。
ボクとしては、もうすぐ日本にやってくるというその若い子をこの眼で見、彼女の想いをきちんと受け止めたうえで、君たちの関わりが、そんな嫌悪するべきものじゃないということを、僭越ながら君の妹や弟に助言できるようになれば、と願っているよ。

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Photo/「石川九楊展」の小皿に描かれた千字文

昨日は、宝塚のK宅を訪ねる前に、伊丹の工芸センターで開催中の「石川九楊展」に立ち寄った。
彼の書論や書史論は頗る面白く読んでいるが、前衛書の鑑賞には、やはり期待薄で臨んで正解だった。
「源氏物語五十五帖」や小皿に描かれた「千字文」を一時間近くかけて拝見したが、心撲たれる感からは遠かった。
これがまさに営為として、そこに開陳される、即ちパフォーマンスとして行われたとすれば、それは一見の価値ありかもしれないが、作品となった書の表層から、その途方もないような営為の過程を追体験出来よう筈もない。そんなことはほんの入口のところですぐ頓挫してしまうのが常だろう。

会場を出てその界隈を歩いていると、酒蔵の旧岡田家住宅があったので見学。
天井の高いガランとした広い空間、黒っぽい漆喰の酒蔵が、そのままイベント空間として利用されているらしい。
思わず食指が動いた。

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Photo/酒蔵の旧岡田家住居外観

―今月の購入本―
G.ベイトソン「精神の生態学」新思索社

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H.R.マトゥラーナ/他「オートポイエーシス-生命システムとはなにか」国文社
U.エーコ「薔薇の名前 -下-」東京創元社
D.H.ロレンス/福田恒存訳「黙示録論」ちくま学芸文庫
「現代思想 2011/02 特集-うつ病新論」青土社
夏樹静子「裁判百年史ものがたり」文藝春秋
山之口獏「山之口獏詩文集」講談社文芸文庫
々 「山之口獏-沖縄随筆集」平凡社ライブラリー
南伸坊「顔」ちくま学芸文庫
「文藝春秋 2011年07月号」文藝春秋

―図書館からの借本―
U.エーコ「醜の歴史」東洋書林
G.ベイトソン/他「天使のおそれ-聖なるもののエピステモロジー」青土社


―山頭火の一句―
行乞記再び-昭和7年-172

6月30日、同前。曇、今日も門外不出、すこしは気軽い。
あさましい夢を見た-それはほんたうにあさましいものだつた、西洋婦人といつしよに宝石探検に出かけて、途中、彼女を犯したのだ!-。
私は、善良な悪人に過ぎない。‥‥
 自戒三条
 一、 自分に媚びるな
 一、 足らざるに足りてあれ
 一、 現実を活かせ
いつもうまい酒をのむべし、うまい酒は多くとも三合を超ゆるものにあらず、自他共に喜ぶなり。

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Photo/KAORUKOと三恵寺の石仏と-‘11.04.30


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のぼりつくして石ほとけ

2011-06-29 04:17:39 | 文化・芸術
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-表象の森- 東寺見物と青木繁展

やっと青木繁展を見てきた。
7月10日の最終日も近づいているし、休日などに行こうものならとんでもない混雑のなかの苦行となろうから、絶対平日に行くべしと思っていた。

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京都南のインターから国道1号線を北へ走ると東寺にぶつかる。その門前を通りながら、そうだ学生時代から京都には関わりある身でありながら、この歳まで拝観もせず素通りばかり、時間に余裕もありそうだからこの際ちょいと立ち寄っていこう、独りだとこんな気まぐれもおきる。
四度焼失の災厄に遭ったという五重塔は、寛永21-1644-年、将軍家光の寄進によって再建なったという。

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金堂の薬師三尊、薬師如来の台座下部、その四面に配された小ぶりの十二神像たちに思わず見入ってしまった。

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見応えのあったのは講堂の立体曼荼羅、広い堂内に所狭しと並ぶ21躯の仏像たち、その内の15躯が平安前期の創建時のものでみな国宝指定、梅原猛によれば、この配置が空海の独創であろうというからおもしろい、必見の価値あり。
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岡崎公園へと足を運ぶのは久しぶりだ。
京都国立近代美術館-没後100年の青木繁展。

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青木繁については、作品「海の幸」-1904年-との出会いにはじまって、4年前になんどか書いたので、ここでは繰り返さない。
ただ、遺された作品の、そのナマの姿に直に向き合えれば、それでよかった。

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「黄泉比良坂」1903年

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「輪転」1903年

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「大穴牟知命」1905年
夭折の天才画家と、今でこそ謳われ評価も定まっているが、当時の画壇は一旦はこの早熟の才能に着目しつつも、時代の器はこれを受容もできず、結果として黙殺してしまったのだ。彼は不遇なまま、放浪の果てに病に倒れ、28歳の若さで死んでしまった。
わずか10年にも満たぬ画業のうちに、彼ならではの凝縮された作品世界がある。
その世界にひたすら耽溺できれば、ありがたいことこのうえない。

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「自画像」1904年

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「自画像」1903年
自画像が三点あった。
21歳の時の、未完ともみえる荒々しいタッチの自画像には強烈な牽引力がある。

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「幸彦像」1907年
我が子に幸彦の名を与えた彼は、父親の危篤の報で久留米に帰郷、幼な児は2歳にしてそのまま生き別れとなった。
その幼な児がどのように育ったのか、気になって調べてみた。
作曲家にして尺八奏者の福田蘭堂、昭和28-‘53-年のNHKラジオ放送「新書国物語・笛吹童子」、懐かしやあのオープニングテーマを手がけた御仁だった、とはオドロキ。
その蘭堂の息子が、クレージーキャッツの石橋エータローだと、ずいぶん意想外なところへ結びついたものだ。

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-171

6月29日、同前。晴、寝床からおきあがれない、悪夢を見つづける外ない自分だつた。
寝てゐて、つくづく思ふ、百姓といふものはよく働くなあ、働くことそのことが一切であるやうに働いてゐる。
私は悔恨の念にたへなかつた。

※句の記載なし、表題句は6月26日所収。

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Photo/川棚温泉、クスの森の大楠


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大きな声で死ぬるほかない

2011-06-25 23:55:39 | 文化・芸術
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―表象の森― 懐かしの阪妻映画

今週月~金の5日間、毎朝10時前から昼頃までのひととき、WowWowの特番で、60年近くもタイムスリップ、阪妻主演の映画を堪能させてもらった。
‘52年封切の「丹下左膳」を皮切りに、「大江戸五人男」-‘51-、「あばれ獅子」-‘53-、「稲妻草紙」-‘51-、「おぼろ駕籠」-‘51-の5本。

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Photo/阪妻主演の「あばれ獅子」

いまだテレビも登場していなかった子どもの頃、私が育った九条の町の繁華街には、5.6館の映画館が建ち並んでいた。昭和30年代の映画全盛の五社協定時代なら、そのすべての封切館があったし、加えて洋画の封切館も1館あったくらいだから、とにかく休日となれば映画館に通うといった子ども時代だった。
阪妻映画は、’53年の「あばれ獅子」が遺作だから、昭和28年、私が9歳の年である。こんな頃に独りで劇場に行った訳もないから、たいがい父母に連れられて通ったことになるが、後の勝海舟となった勝麟太郎と小吉の親子を描いたこの映画は記憶の片隅にいまも鮮やかに残っていた。それに「丹下左膳」も「大江戸五人男」も場面の断片が記憶にあるし、「おぼろ駕籠」にもなんだか記憶があるような‥。ことほどさように映画漬けの幼い頃だったのだ。
そんな昔の映画だから、運びのテンポはのんびりと悠長なことこのうえないが、それでも伊藤大輔監督の「おぼろ駕籠」など娯楽映画としてはよく出来た一級品の代物で、ずいぶんと愉しめた。

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図版は面白いが、訳文がひどすぎる-エーコ編集の「美の歴史」「醜の歴史」


豊富な図版とこれらに付された引用文献の数々、その対置は博覧強記、Umberto.Ecoの躍如たるものではあろうが、如何せん翻訳が拙すぎる。訳者の川野美也子は「翻訳に関しては、原書に対応したレイアウトの関係上文字数に制限があったためと、著者の思考回路をなるべくストレートに辿っていただくためにあえて直訳に近い形にいたしました。」と記すが、直訳どころか逐語訳にもひとしく、文脈の辿れぬ熟さぬ日本語には辟易もいいところ。これではEcoの深意がどれほども伝わるまい。
これほど未熟な訳をもって、ぬけぬけと豪華本の如き体裁をなし、鳴物入りで出版する会社も非道いものだが、新聞などでお先棒を担ぐかのような書評を書いている有識の御仁たちには呆れかえるばかり。

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-170

6月30日、同前。晴、時々曇る、終日不快、万象憂鬱。
不眠が悪夢となつた、恐ろしい夢でなくて嫌な夢だから、かへつてやりきれない。
何もかも苦い、酒も飯も。
最後の晩餐! といふ気分で飲んだ、飲めるだけ飲んだ、ムチャクチャだ、しかもムチャクチャにはなりきれないのだ。
何といふみじめな人間だらうと自分を罵つた、-こんなにしてまで、私は庵居しなければならないのでせうか-と敬治君に泣言を書きそへた。

※句の記載なし、表題句は6月27日所収。

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Photo/川棚温泉、クスの森の大楠


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拾ふことの、生きることの、袋ふくれる

2011-06-18 16:02:02 | 文化・芸術
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―四方のたより― お出かけ二題

朝から岸里の関西芸術座スタジオへと出かけ、
東日本大震災被災地支援チャリティ公演と副題した、河東けい構成の「宮沢賢治を誦む」の午前の部を観る。
関芸の老優たち-失礼!-、おけいさんをはじめ、藤山喜子、小笠原町子、寺下貞信、山本弘、梶本潔ら、懐かしい顔ぶれと若手の劇団員たちによる協働の舞台は、舞踊家上甲裕久の振付も得つつ、抑制を効かせ過剰に陥らずあくまで静謐に進行した。観るべきほどの特段の表象があった訳ではないが、企画趣旨の取組みからしてそこまでは此方も期待していないから一応の納得。
とはいえ地下鉄岸里の駅から歩くのは遠い。この地の利の不便さが、関芸スタジオを使いにくいものにしている。本拠稽古場をそれまでの美章園から此の地へと移したのが’78年だったとすると、もう33年も以前のことだ。それなのに私自身、足を運んだのはこの日でたった二度目。それほどに外部団体などからの利用がきわめて乏しいということだろう。

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雨が激しくなってきたが、今日は夕刻からもう一つお出かけの予定。
陶芸の石田博君が、昨日から寝屋川の市民ギャラリーで個展を開催している。
個展のたびにいつも凝った案内状が届く。
今回は会場もずいぶんと広いらしく、タイトルどおり積年の作品群がひしめくようで、愉しめるのじゃないか。

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―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-169

6月27日、同前。曇、梅雨らしく。
朝蜘蛛がぶらさがつてゐる、それは好運の前徴だといはれる、しかし、今の私は好運をも悪運をも期待してゐない、だいたい、さういふものに関心をあまり持つてゐない、が、事実はかうだつた、東京から送金して貰つた、同時に彼女から嫌な手紙を受取つたのである。
二三日前からの寝冷がとうとう本物になつたらしい、発熱、倦怠、自棄-さういつた気持がきざしてくるのをどうしようもない。
小串へ出かける、月草と石ころを拾うてきた、途中、老祖母の事が思ひだされて困つた、父と私と彼女と三人が本山まゐりした時の事が、‥八鉢旅館の事、馬の水の事。‥‥
近来、妙な句ばかり出来る、私も老いぼれたのかも知れない、まだ老いぼれるには早すぎるが!

※表題句の外、4句を記す

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Photo/川棚、三恵寺の石仏たちに混じって


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ひさしぶり逢へたあんたのにほひで

2011-06-13 12:38:07 | 文化・芸術
Santouka081130076

―四方のたより― しっかり-6159歩

久しぶりに早朝の散歩。
二日つづきの大雨がやっと霽れて、夏至も近い頃合の午前5時はすでに薄明りで、歩くにつれどんどん明るくなっていく。
住吉公園をぐるりと周回してから大社の方へと足を運んだが、どっこいいずれの門扉も閉じられていて、境内には入れない。開門は4月~9月は午前6時、10月~3月は午前6時30分と表札にあり、時計を見ればまだ5時半、やむをえず社塀に沿って南の方へ廻ると、ほぼ正方形の広い御田に出会す。
田圃の中央には櫓造りの舞台が設えられてあり、細
い橋懸りが手前の岸へと伸びている。明14日が例年行われる御田植祭だそうで、なるほど周囲にはテントが張られパイプ椅子も所狭しと並べられていた。
あまりご無沙汰だった所為か、歩き始めて30分も経つと、情けないことにへばってきて運びが緩む。やっぱり日々継続してなくてはダメだネと、ちょっぴり反省しつつも、あとはのんびりと歩いて帰参。
歩行計によれば「しっかり-6159歩-53分」とあった。

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記憶では70年代後半から80年代にかけてほぼ毎号のように購読していた青土社の月刊誌「現代思想」、30年ぶりになるか、特集「うつ病新論」の2月号を取り寄せ、このほど通読、雑誌をほぼ隅から隅まで読み切るなどとんと久しいことだけれど、私にとってはそうさせるだけの内容であった。
以下、参考になった論考を目次順に列挙しておく-
・立石真也「社会派の行き先-4」連載
・特集対談討議-内海健/大澤真幸「うつ病と現在性-<第三者の審級>なき主体化の行方」
・鈴木國文「<うつ>の味-精神科医療と噛みしめがいの薄れた<憂うつ>について」
・津田均「<うつ病>と<うつの時代>」
・熊木徹夫「<らしさ>の覚知-診断強迫の超克」
・村上靖彦「固有名とその病理」
・小泉義之「静かな生活-新しいことは起こらないこともありうる-アレント」
・粥川準二「バイオ化する社会-うつ病とその治療を例として」
・柳澤田実「ノンコミュニケーション-生の流れを妨げない思考のために」
・美馬達哉「ホモ・ニューロエコノミクスの憂うつ」

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-168

6月26日、同前。
曇、近郊散策、気分よろし、御飯がうまい、但し酒はうまくない、これも人生の悲喜劇一齣だらう。
蚤はあたりまへだが、虱のゐたのにはちよいと驚いた、蝿や蚊はもちろん。
-略- 青龍園-妙青寺境内、雪舟築くところ-を改めて鑑賞する、自然を活かす、いひかへれば人為をなるたけ加へないで庭園とする点に於てすぐれてゐると思ふ、つゝじとかきつばたとの対照融和である-萩が一株もう咲いてゐた-。
午後はあてどもなく山から山へ歩く、雑草雑木が眼のさめるやうなうつくしさだ、粉米のやうな、こぼれやすい花を無断で貰つて帰つた。
おばさんが筍を一本下さつた、うまい、うまい筍だつた、それほどうまいのに焼酎五勺が飲みきれなかつた!-明日は間違なく雨だよ!-
ほんたうに酒の好きな人に悪人がゐないやうに、ほんたうに花を愛する人に悪人はゐないと思ふ。
改造社の俳句講座所載、井師の放哉紹介の記録を読んで、放哉は俳句のレアリズムをほんたうに体現した最初の、そして或は最大の俳人であると今更のやうに感じたことである。
「刀鋒を以て斬るは勝つ」、捨身剣だ、投げだした魂の力を知れ。
-略- 今朝はめづらしくどこからも来信がなかつた、さびしいと思つた、かうして毎日々々遊んでゐるのはほんたうに心苦しい、からだはつかはないけれど、心はいつもやきもきしてゐる、一刻も早く其中庵が建つやうにと祈つてゐる。‥‥
近頃また不眠症にかかつて苦しんでゐる、遊んで、しかも心を労する私としては、それは当然たらうて。

※表題句には「緑平老に」前書あり、この句の外7句を記す

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Photo/妙青禅寺境内の雪舟作と伝えられる庭


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