山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

日を寒み氷もとけぬ池水や‥‥

2007-01-30 17:18:58 | 文化・芸術
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-表象の森- 四季と美意識と -1-

和歌や連歌には季と題があり、俳句には何千何万の季語がある。
四季の変化に富むわが風土にあって、われわれの祖先たちの美意識は春夏秋冬の別、季節の移ろいと密接に絡み合っている。
俳句歳時記の泰斗であった山本健吉は嘗て、無数ともいえるほどの季語の集積が形づくる秩序の世界をピラミッドに喩えてみたそうな。
曰く、頂点に花・月・雪・時鳥・紅葉の5つの景物を座しめ、それから順次、和歌の題、連歌や俳諧の季題、俳句の季語へと降りつつ裾野は遙かにひろがってゆくさまは一大パノラマの様相を呈するだろう。そのパノラマと化したピラミッドは、われわれをしてこの日本的風土を客観的認識に至らしむるものになろうが、それよりもわれわれ祖先たちの美意識の総体を現前させるものとなるだろう。


和歌の題においては、その美意識によって題自体がすでに「芸術以前の芸術」と言ったのは美学者の大西克礼だが、和歌の題とは、それ自身共同体固有の美意識を映し出し、単なる生の素材であることを脱却しているものであり、例えば「朧月」といい、また「花橘」、「雁」、「凩」といおうと、それぞれの言葉が固有の美的な雰囲気を立ち昇らせずにはおかないのだ。
「雁」といえば、秋飛来して春には大陸へと帰ってゆく、したがって半年ほどはこの列島に在るわけだが、これを秋季と定めるのは、すでに客観的認識を超え出て、長途の旅を経て飛来してきた渡り鳥に「あはれ」を感じ取った古人たちの、固有の美意識による選択となっているように。
あるいは、同じ雁でも「行く雁」や「帰雁」となれば春季ではあるが、ここでは離別の情趣が強調されるものとなるように。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-47>
 日を寒み氷もとけぬ池水やうへはつれなく深きわが恋  源順

源順集、あめつちの歌、四十八首、冬。
邦雄曰く、「あめつちほしそら」に始まる四十八音歌。冠のみならず沓にも穿かせた沓冠同音歌で、この歌は「ひ」。四季と「思」「恋」の六部、各8首、その束縛を全く感じさせない技巧は感嘆に値する。突然結句に恋が現れる意表を衝いた歌だが、その奔放な文体がまことに新鮮で、作者の技巧派たる所以を示す。言葉の厳密を体得した智恵者の一人、と。


 かくてのみ有磯の浦の浜千鳥よそに鳴きつつ恋や渡らむ  詠人知らず

拾遺集、恋一、題知らず。
邦雄曰く、有磯の浦は越中伏木の西北にある風光明媚な歌枕、語源は「荒磯」。「かくてのみ在り=有磯」の懸詞から第四句までは、夜の海に妻を恋いつつ鳴く磯千鳥の、寒夜の悲しさを叙しつつ、忍恋の切なさを絡み合わせる手法、二十一代集に数限りなく現れるが、廃れないのは、その冷え侘びつつ悲痛な幻影への、万人の共感によるものであろうか、と。


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軽の池の入江をめぐる鴨鳥の‥‥

2007-01-24 17:32:08 | 文化・芸術
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-世間虚仮- ネパールにPKO

国連の安保理が23日、「UNMIN-国連ネパール政治支援団」を設立、派遣する決議案を全会一致で採択した、という。
10年余続いてきた内戦状態も、昨年11月の和平協定で終止符がうたれ、政府軍とマオイスト双方が、国連の監視のもと武器を拠出することに合意しており、今年6月までに制憲議会選挙も行われる予定だが、これらを支援するPKOがいよいよ動き出すわけだ。
国連によるPKO派遣要員は総勢186名、任期は1年とされているが、要請を受けた日本政府は平和維持活動(PKO)協力法に基づき陸上自衛官5~10人規模で派遣する方針を固めた、ともいう。
安倍政権下で年初早々、積年の悲願であった庁から省への昇格を果たした防衛省の、小規模とはいえ初の海外派遣となれば、関係部局においては些かなりとも色めき立っていようかと想像されるが‥‥。


それはさておき、貧困家庭の少女たちがわずかなカネで売買され、インドの売春宿で働かされている、その数が毎年5000人とも7000人ともいわれる国内事象のこと。そのネパールに民主化が進み、昔日の平穏さがもどり、かような悲惨が決して起こらぬように、と切に望みたいもの。

ポカラの岸本学舎に通ってくる子どもたちも、6年間の課程を終えて無事卒業に至る子どもたちは少ないと聞く。授業も教材も制服もすべて無償で提供しているにもかかわらずだ。みんな家庭の事情とやらで志なかば泣く泣く挫折していくのだが、とくに女児の場合ははなはだしいとも。

観光産業が頼みのネパールにおいて、内戦に明け暮れた10年余のツケはあまりに大きい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-46>
 み狩野はかつ降る雪にうづもれて鳥立ちも見えず草かくれつつ  大江匡房

新古今集、冬、京極関白前太政大臣高陽院歌合に。
邦雄曰く、歌合主催者は道長の孫師実、題は鷹狩りならぬ「雪」。時は寛治8(1094)年、匡房は53歳の秋8月19日。判者は源経信。番は左が伊勢大輔の女筑前の「踏み見ける鳰のあとさへ惜しきかな氷の上に降れる白雪」で右匡房の勝。筑前の歌もなかなかの出来映えだが、判者は「鳰(ニオ)の心をば知りがたうや」と妙な難をつけて負にした。持が妥当だろう、と。


 軽の池の入江をめぐる鴨鳥の上毛はだらに置ける朝霜  藤原顕輔

左京太夫顕輔卿集、長承元(1132)年十二月、崇徳院内裏和歌題十五首、霜。
邦雄曰く、大和国高市郡大軽の辺りに、その昔軽の池はあったと伝える。最古の市という軽の市も懿徳帝の軽境岡宮も、この歌枕の近辺にゆかりを持つのであろう。なによりも「鴨鳥の上毛」とこまやかに響き交わす佳い地名ではある。うっすらと斑に霜の置いている鴨、雪中のそれ以上に寒さが身に沁む。藤原基俊没後の12世紀中葉、歌壇の覇者となる、と。


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風をいたみ刈田の鴫の臥しわびて‥‥

2007-01-23 13:15:52 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 8:94

8:94、なんの数字化といえば、
先進諸国と開発途上国における「乳児死亡率」の格差比だそうな。
UNFPA-国連人口基金-によれば、
生後1年未満で死亡する1000人対比が先進国では8人、
後進の開発途上国では94人、ほぼ12倍している訳だ。
理由はさまざま、貧困ゆえの栄養不足もあろう、紛争の巻き添えに遭うこともあろう。
水の問題、まっとうな飲料水もおぼつかない地域では、たんなる下痢でさえ命取りとなるだろう。
医療の問題、病院もない、医者もいない、あっても移動手段がない、
カネもないから診察など受けられるはずもない。


社会保障・人口問題研究所によれば、
昨年2月に65億人を超えたとされる世界の人口は、
2050年には、ほぼ91億人に達する、という。
ここでも増加比に地域間格差が歴然とある。
2006年現在の各地域別人口は、
アジア-39.5億、アフリカ-9.3億、ヨーロッパ-7.3億、北米-3.3億、南米-5.7億、オセアニア-0.3億
これが2050年には次のように増減すると推定されている。
アジア-52.2億、アフリカ-19.4億、ヨーロッパ-6.5億、北米-4.4億、南米-7.8億、オセアニア-0.4億


毎日新聞「Newsの窓」によれば、
中国の人口増は’33年頃15億でピークを迎え、以降減少に転じるとされる。
それにひきかえ、インドの増加率は緩まず’50年頃には15.9億にまでなるという。
アフリカの人口爆発はHIV感染のひろがりで、このところ増加予測も下方修正が続いているという。
それでも’50年には二倍してあまりあると予測されているのだが、
世界のHIV感染者4000万の内、2470万人がサハラ以南に暮らすアフリカの人々であるという事態は、
悲惨の極みであり、南北間格差の極み、人類文明のカタストロフィそのものだろう。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-45>
 眺めやる衣手寒し有明の月より残る嶺の白雪  寂蓮

六百番歌合、冬、冬朝。
邦雄曰く、萱斎院御集百首歌第一の秋に、新古今入選歌「ながむれば衣手涼し」がある。寂蓮の場合結句の「白雪」との照応で、むしろ言わずもがなの感もあるが、ねんごろな強調と見られたのか。ともあれ「月より残る」は手柄で、良経の「雲深き嶺の朝けのいかならむ槙の戸白む雲の光に」との番、俊成は両々、口を極めて褒め、「良き持」と評した、と。


 風をいたみ刈田の鴫の臥しわびて霜に数かく明け方の空  惟明親王

続後撰集、冬、題知らず。
邦雄曰く、後鳥羽院の兄惟明親王の作は、千五百番歌合の百首にも明らかなように、なかなかの技巧、玉葉の冬には「木の葉散る深山の奥の通ひ路は雪より先に埋もれにけり」を採られた。「数かく」はふつう水鳥が水上を行きつ戻りつして筋を引くことだが、この歌では、鴫と霜に転じて新趣向を見せた。稲の切り株の点在する景ゆえに、なお野趣も一入、と。


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初雪の降らばと言ひし人は来で‥‥

2007-01-22 14:45:57 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 政治家とタレント

福島、和歌山と続いた官製談合事件による一連の知事辞任劇にともなう宮崎県の出直し知事選で、タレントのそのまんま東が、一本化ならず2候補による保守分裂となるなど既存政党らの迷走ぶりを尻目に他候補を圧倒、完勝した。新聞は大手各紙とも一面トップに「そのまんま」という文字が躍るという、後世から見ればいったい何のことやら不思議がられもしよう珍なる現象に、思わず苦笑させられる。
嘗てはタケシ軍団の人気タレントといえ、過去にはスキャンダルで謹慎生活もしたし、先ずは生れ故郷からと政治家への転身を志せば、同じタレントの妻・かとうかずこから離婚されるという憂き目に遭い、裸一貫いわば背水の陣ともいえる立候補に、初めは県民の多くも歓迎ムードからはほど遠かったのではないか。それが告示日以降、大勢のボランティアらと一体となった真摯な戦いぶりに好感度は急上昇、選挙戦終盤では投票率のアップ次第では本命視されていたようだ。選挙は水ものとはいえ、地方における人心もまたずいぶん流動化、浮遊化が進んでいるものとみえる。
グローバリズムの到来とともに地方の時代が喧伝されるようになってきた1995(H7()年の、東京都の青島幸男、大阪府の横山ノック以来、12年ぶりの芸能人・タレント知事の出現である。


諸外国はいざ知らず、どうもこの国では、政治家と著名芸能人や文化人、有名タレントとの垣根はずいぶんと低いものらしい。大衆が喝采する立身出世物語はその時代の波を受けさまざまに変容するものだろうが、それにしてもタレントから政治家への転身は、この国においては枚挙に暇なくその歴史も古い。私がまざまざと記憶しているのは、まだ選挙権もない高校生だった1962(S37年)の参院選に、当時NHKの人気番組だった「私の秘密」のレギュラー解答者だった藤原あきが保守陣営から出馬、全国区で100万を越える票を集めたことだ。それから6年後の68(S43)年には、石原慎太郎が同じく参院選の全国区で300万票という未曾有の記録で政界へと転身し、以後、著名文化人・芸能人の転身は猫も杓子もといった様相を呈しており、一国民としてせっかく得た投票の権利行使もなにやら薄っぺらな痛痒の乏しい行為としか感じられないままにうち過ぎてきたものだ。
藤原あきは藤原歌劇団を主宰した藤原義江の元夫人でもあった。この頃は高度成長期へと移行しはじめた頃で、これをもってタレント議員のはしりと私の脳裏に刻み込まれてきたのだが、この機会にちょっと調べてみると、戦後だけでも、いちはやく1946(S21)年4月の衆院選で、ノンキ節で一世を風靡した石田一松が東京1区で自ら名のりを挙げ当選している。この選挙は女性の国政参加が初めて認められ、全国で多くの女性が立候補し、39名の当選を果たしたことで知られる戦後初の国政選挙だった。


近頃ではテレビ報道のワイドショー化全盛で、政治家たちのタレント化という逆現象も目立っている。政治的モティーフを話題に喧々囂々議論するのをバラエティー化した番組も盛んだ。政治家とタレントは職能という意味ではまるで異質なものの筈だが、「世に出る」という点では相通じており、一旦ある職能で知名度を得れば転身も容易いのは当然とはいえ、これまでのところ既存政党に取り込まれ利用されるだけのレベルに終始するようなら、政治の変革など思いもよらず、むしろその低次元化、低俗化に手を貸すだけだろう。なにしろ「美しい国へ」などと訳のわからぬ呪文にも似たスローガンを曰う宰相が君臨するこの国である。どうせなら、世の著名タレントたちが国政を担う衆参議員たちの大半を一挙に占めるまでに雪崩をうって転身してみれば、この国のカタチもいま少しましなものになるかもしれぬし、却って「国家の品格」とやらも回生の道すじが描けるやもしれない。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-44>
 初雪の降らばと言ひし人は来でむなしく晴るる夕暮の空  慈円

新拾遺集、冬、建保四(1216)年、百首の歌に。
邦雄曰く、作者61歳の百首詠の冬歌であるが、恋歌の趣も薄からず。総じて雪は径を閉じ、訪れる人も絶え、知人も肉親も愛人も音信不通となり、それを嘆き侘びるというパターンが頻出する。この歌の見どころは下句、殊に第四句の「むなしく晴るる」の皮肉な味、それも「夕暮の空」であることの、沈鬱な詠嘆の効果であろう。慈円ならではの手法、と。


 白雪の降りて積れる山里は住む人さへや思ひ消ゆらむ  壬生忠岑

古今集、冬、寛平御時、后の宮の歌合の歌。
邦雄曰く、里人もさぞ気が滅入ることであろう、心細いに違いないと推量する。「思ひ消ゆ」とはゆかしい言葉であり、当然「白雪」の縁語として、際やかに働いている。古今・冬に忠岑は続いて2首採られ、これに先立つのが「みよしのの山の白雪ふみわけて入りにし人の訪れもせぬ」。歌枕の吉野は花や月もさることながら、雪は一入あはれを誘うものだ、と。


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見し秋の尾花の波に越えてけり‥‥

2007-01-19 17:26:17 | 文化・芸術
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-表象の森- 酔いの二重奏

昨夜は久しぶりに浄瑠璃世界を堪能。
文楽の初春公演、そのチケットを2枚、知人の厚志にあずかり頂戴したので、夕刻より日本橋の国立文楽劇場へと出向いたわけだ。
友人のT君を誘ったのだが、初老男性ふたりが連れ合って、劇場の客席に身体を沈め、たっぷりと4時間、語りに人形に、聞き入り見入りしている図は、余所目には些か奇異なものに映ったかもしれない。
映画であれ芝居であれ、大抵ひとりで、連れがあるとすれば妻か或いは特段の理由などあって別の異性と出かけることはあっても、むくつけき男同士でお行儀よく隣に座りあって鑑賞するなど、とんと私には憶えがない趣向で、昨夜の文楽鑑賞は、その意味でも特筆に値するひとときだったといえそうだ。


中日を過ぎて昼夜入替となった演目は、チラシの第1部のもの。
「花競四季寿-はなくらべしきのことぶき」はいかにも新春に相応しい趣向の演目。
万歳・海女・閑寺小町・鷺娘とそれぞれのエッセンスを初春・夏・秋・冬の景として並べた、いわゆる新作物だろう。太夫も三味線も人形の遣い手も賑々しく打ち揃って舞台をつとめた。
中狂言の「御所桜堀川夜討-ごしょざくらほりかわようち」の「弁慶上使の段」は、
「菅原伝授手習鑑」の松王や、「一谷嫩軍記」の「熊谷陣屋の段」のように、いわゆる身代わり物だが、今の世ならアナクロとしか言い得ぬ残酷な物語展開、その荒唐無稽さに驚くが、弁慶登場から務めた竹本伊逹太夫の語りが、口跡に難はあるものの、綿々と情を盡して見事に客席を引き込んだ。出だしの抑揚を抑え過ぎたかともみえた語り振りに、こんなに陰々滅々と長くやられてはとても堪らないなと抱いた厭な予感もなんのその、弁慶の荒武者振りと重なるように矢継ぎばやに急展開していく場面の数々、そして一気呵成に愁嘆場へと、まったく破綻なく、些か大袈裟にいえば充分に酔い痴れさせていただいた。
口跡の解り難さについては、近頃は舞台上の一文字幕にその都度字幕が映し出されているから、それがしっかりとフォローしてくれて問題はない。字幕を採用した所為で鑑賞する側は、太夫の語りに、三味線の音に、人形の振りにと、初見でもどっぷりと浸りきってゆける。
切狂言は「壷坂観音霊験記-つぼさかかんのんれいげんき」、お馴染みお里沢市の世話物的霊験譚。。
人間国宝の竹本住太夫が聞かせどころのお里のクドキの場面を語ってファンを満足させる。私にすれば少ない出番で些か不満だったが‥。
人形遣いでは吉田玉男を昨年9月に亡くして寂しくなったが、それでも吉田簑助と吉田文雀、なお二人の人間国宝を擁している。ところが今宵の演目で簑助の遣い振りを観られず、いかにも残念。次にお目に掛かれるとすれば、はていつのことになるやら‥。


国の助成で文楽にも技芸員研修生制度ができてすでに30有余年。太夫に三味線に人形にと計40名が巣立って現在活躍しているといい、その人たちが全体の半数近くを占めるほどになっているともいう。
若手・中堅の層が厚くなって文楽の行く末に翳りを払拭できたのはまことに結構なことではあるが、観客層の薄さと相俟っていかにも上演機会の少ないのが悩みの種だろう。技芸員たちの日頃の研鑽も多くの舞台を積み重ねてこそ磨きがかかるというもの。文楽を担う技芸員たちの量における趨勢は悦ばしいとしても、現況では質の止揚になかなか届きえないだろう。
門外漢ながら、伝統芸能から現代様式のものまで数ある語り芸のなかで、浄瑠璃語りをもっとも高度に昇華したものと見る私などの眼からすれば、人形浄瑠璃という世界は、太夫にせよ三味線にせよ人形遣いにせよ、それぞれの芸においてそれが達意の芸にまで実りゆくには、いかにも細くて長い、果てしのない道程のような気がするのだ。


観終えて、こんどは居酒屋で向き合って談論すること2時間あまり、遙か遠く高校時代以来の文楽鑑賞となったT君の心身に満ちた深い余韻が私にもよく響き、酒も進んで二重の酔い気分、久しぶりに重しのある意義深い一夜となった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-43>
 玉の緒のみだれたるかと見えつるは袂にかかる霰なりけり  道命

道命阿闍梨集、或所に歌合するに、千鳥。
邦雄曰く、玉散るはすなわち「魂散る」の意であることは、古歌に明らかだが、命である玉が緒に貫かれて、その緒の切れることによって散乱する幻想は珍しかろう。降り紛う霰をそれと見た作者の心眼は奇特といえよう。結句の「なりけり」は自らに言い聞かせ、納得する感あり、今日の眼にはうるさい。第三句も同様だが、これも一つの体であった、と。


 見し秋の尾花の波に越えてけり真野の入江の雪のあけぼの  惟宗光吉

惟宗光吉集、冬、左兵衛督直義卿日吉社奉納歌に、雪中望。
邦雄曰く、金葉・俊頼の「鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波寄る秋の夕暮」を模糊たる借景として、雪景色の幻を鮮やかに描き出した。本歌の風景を初句「見し秋の」一語につづめたあたり、思わず息を呑む感。「越えてけり」の感慨はいかにも14世紀的な嫌いもあるが、調べの上では悪くない。作者は医家、第十六代集続後拾遺の和歌所寄人を勤めている、と。


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