―表象の森―「究極の田んぼ」
耕さず肥料も農薬も使わぬ-不耕起移植栽培と冬期湛水農法
不耕起とは文字通り、田んぼの土を耕さずに、苗を植えること-イネを刈り取った後のイネ株をそのまま残し、そのイネ株とイネ株の間に今年の新しい苗を植える。移植とは、あらかじめ苗を育てておいて、田植期にそれを移植すること。田んぼに直接種籾をまく直播き法ではなく、一般的に行われているように、苗を別に育てておいて、田植えの時に移植する方法で、苗の育て方が一般と違い、稚苗ではなく、成苗にしてから移植する。
冬期湛水法とは、冬に田んぼに水を張っておく農法-一般的には、秋にイネ刈りをした後、田んぼをそのままにしておき、春の田植えの前に田起しをしてから水を張って苗を植えるが、冬期湛水は、冬にも田んぼに水を張っておき、田んぼの中の光合成を促し、植物プランクトンやそれを餌にする動物プランクトンの発生を助け、イネの生長に必要な栄養分が供給されることを狙うもので、結果として無肥料栽培になる。また、雑草の発生も抑えられるので、無農薬栽培にもなる、という。
―今月の購入本―
・岩澤信夫「究極の田んぼ」日本経済新聞出版社
千葉の変人-奇跡の農法! 田んぼを耕さず、農薬も肥料も使わずに多収穫のイネを作ることに成功した男が、不耕起移植栽培の普及と環境再生農業の提唱、市民と農家が共に楽しめる、地球と人と生きものに本当に優しい市民農園・村おこし構想を提言する。
・兵藤裕己「琵琶法師-異界を語る人々」岩波新書
モノ語りとは“異界”のざわめきに声を与え、伝えること。最後の琵琶法師・山鹿良之を直接取材すること10年余-聖と俗、貴と賎、あの世とこの世の“あいだ”に立つ盲目の語り手、琵琶法師-古代から近代まで、この列島の社会に存在した彼らの実像を浮彫にする。
・兵藤裕己「太平記<よみ>の可能性」講談社学術文庫
太平記よみの語りは、中世・近世を通じて人びとの意識に浸透し、天皇をめぐる二つの物語を形成する。その語りのなかで、楠正成は忠臣と異形の者という異なる相貌を見せ、いつしか既存のモラル、イデオロギーを掘り崩してゆく。天皇をいただく源平武臣の交代史、宋学に影響された名文論が、幕末に国体思想にヨミ替えられ、正成流バサラ再現としての薩長閥の尊皇攘夷へと続いてゆく。講談社刊の初版は95年。
・西村亮「源氏物語とその作者たち」文春新書
著者は、長年折口信夫に師事し、古代学の継承と王朝の和歌・物語の研究に努めた人。原稿用紙にして2500枚にも及ぶ長大な源氏物語を、紫式部が一人で書いたのか。―文体や登場人物の扱いなどに着目し、錯綜する展開を解きほぐすこと で見えてきたのは、「宇治十帖」のみならず多くの部分が、読者によって自由に加筆や修正が行われ「成長」していった事実だった。
―図書館からの借本―
・石川九楊「書の宇宙 -24-書の近代の可能性・明治前後」二玄社
・別冊太陽「泉鏡花-美と幻影の魔術師」平凡社
鏡花の曰く「僕は明かに二つの大なる超自然力のあることを信ずる。これを強ひて一纏めに命名すると、一を観音力、他を鬼神力とでも呼ばうか、共に人間はこれに対して到底不可抗力のものである。」
―山頭火の一句― 行乞記再び -72-
3月10日、雨となつた、行程2里、小城町、常磐屋
降りだしたので合羽をきてあるく、宿銭もないので雨中行乞だ、少し憂鬱になる、やつぱりアルコールのせゐだらう、当分酒をやめようと思ふ。
早くどこかに落ちつきたい、嬉野か、立願寺か、しづかに余生を送りたい。-略-
夜は文芸春秋を詠む、私にはやつぱり読書が第一だ。
ほろりと歯がぬけた、さみしかつた。
追記-川上といふところは川を挟んだだが、水が滑らかで、土も美しい、山もよい、神社仏閣が多い、中国の三次に似てゐる、いはば遊覧地で、夏の楽園らしい、佐賀市からは、そのために、電車が通うてゐる、もう一度来てゆつくり遊びたいと思うた。-略-
春日墓所-閑叟公の墓所-は水のよいところ、水の音も水の味もうれしかつた。
※表題句の外、句作なし
Photo/川上峡の十可苑は、嘗て鍋島侯の別荘地であった
Photo/紅葉盛んな十可苑
Photo/小城市小城町にある須賀神社
Photo/神社境内の阿吽の狛犬
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